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日本の体罰
学校とスポーツの人類学
原書: Discourses of Discipline: An Anthropology of Corporal Punishment in Japan's Schools and Sports
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2021年6月10日
- 書店発売日
- 2021年6月8日
- 登録日
- 2021年2月25日
- 最終更新日
- 2021年12月20日
書評掲載情報
2022-10-08 |
日本経済新聞
朝刊 評者: 中澤篤史(早稲田大学教授) |
2021-11-20 |
図書新聞
3521号 評者: 束原文郎(京都先端科学大学) |
2021-09-11 |
神戸新聞
評者: 小島慶子(エッセイスト) |
2021-09-11 |
京都新聞
評者: 小島慶子(エッセイスト) |
2021-09-05 |
新潟日報
評者: 小島慶子(エッセイスト) |
2021-09-05 |
中国新聞
評者: 小島慶子(エッセイスト) |
2021-09-04 |
信濃毎日新聞
評者: 小島慶子(エッセイスト) |
2021-09-04 |
山陰中央新報
評者: 小島慶子(エッセイスト) |
2021-08-29 |
下野新聞
朝刊 評者: 小島慶子(エッセイスト) |
2021-08-29 |
南日本新聞
評者: 小島慶子(エッセイスト) |
2021-08-28 |
北日本新聞
評者: 小島慶子(エッセイスト) |
2021-08-28 |
高知新聞
朝刊 評者: 小島慶子(エッセイスト) |
2021-08-28 |
秋田魁新報
朝刊 評者: 小島慶子(エッセイスト) |
2021-08-28 |
福島民友
朝刊 評者: 小島慶子(エッセイスト) |
2021-08-28 |
沖縄タイムス
朝刊 評者: 小島慶子(エッセイスト) |
2021-08-27 |
週刊金曜日
2021年8月27日号 評者: 早尾貴紀(東京経済大学教授) |
2021-08-07 | 東京新聞/中日新聞 朝刊 |
2021-07-31 |
日本経済新聞
朝刊 評者: 山本敦久(成城大学教授) |
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重版情報
2刷 | 出来予定日: 2021-12-27 |
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紹介
義務教育はもちろん、「ヨットスクール」から大相撲やサッカーをはじめとするスポーツの現場で、いまもしばしば問題になる「体罰」。海外では宗教コミュニティで形成される道徳や倫理規範が、なぜ日本では公教育で担われるのか。それは儒教や武士道、軍国主義などの歴史に淵源を持つものなのか?
カリフォルニア在住の気鋭の日本研究者が、豊富な資料や日本国内でのフィールドワークを通して検証する、日本の体罰の現実とその実態。体罰論であるだけでなく、すぐれた日本論ともなっている。
目次
日本語版への序文 011
序章
1 体罰をめぐる三つの事件
2 体罰とはなにか
3 日本の体罰を研究する意義
4 本書のねらいと概要
第1章 人類学と体罰
一 体罰根絶に向けた世界の動き
二 体罰研究における人類学の有用性
第2章
日本の体罰史―その重層性
一 近代以前の日本の体罰
二 戦前の体罰禁止法
三 戦後の体罰禁止法
四 戦後体罰の構築過程
第3章 体罰とコンテクスト
一 コンテクストの重要性
二 規律訓練の諸様式
三 規律訓練とジェンダー
四 規律訓練の場
五 誰が規律訓練を課すのか
六 規律訓練の「言語」
第4章 倫理
一 対立する教育観
二 善悪をめぐる議論
三 体罰肯定論
四 体罰否定論
第5章 体罰の原因と文化の複数性
一 世界の体罰観
二 体罰の構造的要因
三 体罰の文化的要因
四 文化主義を越えて
第6章 権力の言説、言説の権力
一 歴史的・通文化的分析の重要性
二 権力・暴力・身体に関する諸理論
三 沈黙・言語・行動
終章 「暴力的文化」の神話
補論 アメリカ合衆国における体罰
資料1 精選体罰関連研究リスト(1979~2008年)
資料2 日本の主要な体罰事件(1976年~2010年)
注
参考文献
訳者あとがき
索引
前書きなど
《秩序や規律というものは、どんな社会にも存在する。社会が社会として維持されるためには、成員が大なり小なりその秩序や規律・規範を内面化していなければならない。もちろん、個人というレベルでみれば、それにうまく順応できない者や、そこから逸脱する者は、いつの時代、どの社会にも一定数いるに違いない。社会の側でも、政治や宗教、あるいは慣習や伝統などの圧力によって、秩序や規律が厳格に成員に強要される社会もあれば、個人の自由度が比較的高い社会もある。さらに、秩序や規律のありかた自体、時代とともに変化する。しかし、それでも大部分の人間が、当該社会の秩序や規律を一定の幅のなかで遵守しているからこそ、社会というものは成り立つのだろうし、そもそもそうした秩序や規律そのものが存在しない社会というものは想像しづらい。
だとすると、秩序や規律を子どもに教え込み、これを再生産するための何らかの仕組みが社会には必要となるはずであり、じっさいそのような仕組みもまた、どの社会にも存在する。著者ミラーが本書で「ディシプリン」と呼ぶのは、まずはそのような、秩序や規律を子どもに教え込むための「躾」や「訓練」のことであり、同時にそうした社会の規律や規範そのもののことでもある。
本書は、この「ディシプリン」が、一つの社会において形成され、再生産されるメカニズムの研究である。アメリカをはじめ、世界の多くの社会において、道徳的・倫理的規範の形成は、往々にして家庭や、日曜学校のような宗教コミュニティのなかで行なわれる。ところが、日本ではそれに公教育が大きな役割を担ってきた。そしてそこでは、長いあいだ「体罰」と呼ばれる規律訓練方法が用いられてきたのだが、それはなぜか。体罰は独特の「日本文化」なのだろうか。だとしたら、儒教や武士道、軍国主義など、歴史に淵源を持つものなのだろうか。
文化研究の書である本書は、しかし、体罰が存在する理由を、「文化」や「国民性」によって説明することからいったん距離を置く。そして、歴史や制度や経済、個人の主体的な選択の多様性など、狭義の文化以外の要素を丹念に精査していくのである》――「訳者あとがき」より
版元から一言
体罰反対!
上記内容は本書刊行時のものです。