「本づくりはまちづくり」にたどり着くまで
新しい地域の本をつくろうと、岡山大学近くの貸しビルの一室で産声を上げたのが1995年春。この春、吉備人は15周年を迎えた。これまで流通を前提にして刊行した本は約360タイトル、70万部を超える。このほか、私家版の自費出版、記念誌、報告書などを加えると、さて何点になるのだろうか。走り続けることに精一杯で、あまり振り返ることがなかった。せっかくの機会なので、この15年を振り返りながら、地域出版の現状と生き残っていくための術を探ってみたい。
最初の本は、『楯築遺跡と卑弥呼の鬼道』(薬師寺慎一)だった。出版社にとって、その一作目は重要だ。その出版社がどんな本を出していくのか、その方向性のようなものが、一作目で見えてくる。
本書は、倉敷市北東部の吉備路の一角にある日本最大の弥生墳丘墓「楯築遺跡」をテーマに、その被葬者と卑弥呼の共通点を、文献資料を駆使して論証したもの。邪馬台国論争に一石を投じる内容だ。古代史ファンには興味を引く内容だと、初版部数は3000冊にした。なにぶん初めての刊行、販売部数の裏付けや根拠があったわけでなかった。ひょっとしたらという期待(いつも本を出すときには、ひょっとすると…と今でも思う)がなかったわけではないが、初めての本がいきなりベストセラーになった、などと幸せは展開の話にはならなかった。
しかし、この1冊目がその後の15年を左右することになる。
本書の著者・薬師寺慎一氏は、その後6冊の本を小社から出版し、吉備の古代史研究の第一人者として、小社から刊行予定の7冊目に取り組んでいる。
また、この本の序文を依頼したことがきっかけで、岡山大を退官して間もない考古学者の近藤義郎氏から「吉備の考古をシリーズで出さないか」と企画を打診された。恥ずかしい話だが、当時の私は考古学の知識もなければ、近藤義郎の名前も深くは知らなかった。
ただ、地方で出版を始めるにあたって「郷土史は必須科目」といわれたことがずっと頭のどこかに引っかかっていた。それは、大学を卒業後に就職した三重県にある地方新聞社で仕事をしていたとき、先輩の記者から〈常識〉のように言い渡された一言だった。地方出版に携わる者なら当たり前のようなその言葉を、その時はまだ実感できなかった。
近藤先生からのシリーズ提案に、この時の言葉が記憶の淵から浮き上がってきた。地域で出版をするからには、地元の歴史は避けて通れない。当時は興味・関心の高い分野とはいえなかったが、社名にした「吉備人」のイメージにぴったりだったし、地域の歴史は、いずれにしても小社の出版物の柱の一つになるものだと、この提案話を受けた。
岩波書店をはじめ、河出書房や青木書店といったところから本を出してきた近藤先生からは、考古学の専門的な分野だけでなく、出版社としての作業の仕方、原稿の読み方、扱い方、印刷会社とのやりとりなど、いろいろなことを教えてもらった。著者に鍛えられ育ててもらったわけだ。かなり厳しい指導ではあったが。
98年5月『月の輪古墳』でスタートした「吉備考古ライブラリィ」シリーズは、近藤先生が亡くなる昨年までに全17巻を刊行した。実績も後ろ盾も、そして知識も力も何もない出版社が、地域のなかで少しずつ信頼度を高めることができたとすれば、このシリーズの存在が大きかったことは間違いない。吉備の考古を専門家が分かりやすくまとめようという吉備人出版の大きな柱となり、考古を中心とした歴史分野から、地域と地域の人をテーマにした本づくりへとその幅を広げていくことにつながる。
本を作り続け、その幅が広がっていくにつれて、もし、私たちが生活しているこの地域に出版社がなかったとしたら、ということを想像する。
岡山には、戦後間もないころから「岡山文庫」という地域出版の草分け的な存在として知られる日本文教出版社がある。また、地元山陽新聞の出版局が70年代から90年にかけて精力的に出版活動を展開してきた。
しかし、吉備人が歩みを始めた当時、「地域出版の豊かな時代」はかなり様相を変えていた。象徴的な出来事として、山陽新聞社の出版局が97年に出版局を改組し、メディア開発局出版部へと規模を縮小したことが挙げられる。理由は「本が売れず、倉庫は在庫の山だから…」。
「売れないから出さない」という市場原理の上では、地域出版は成り立ちにくい。発行側がなくなれば、書き手は発表の場を失い、魅力的な地域の本はますます出にくくなる。書き手は育たず、地域の歴史や文化の掘り起こしそのものが停滞することはいうまでもない。
「出した本を売って成り立つ」という当たり前のことが、よく売れて1500部とか2000部という地域出版の世界では必ずしも成立しない。したがって、地域出版は、一般的に思われている「出版」という概念(システム)とは違うまた別の土俵で勝負するものだと考えなければならない(というか、考えることにした)。そう割り切ってしまえば、「地域出版」という個別のフィールドで、その事業が成立する仕組みを考えればならない。このことを自覚し、企画を考え、部数を決め、販売方法を練ることが必要だ。
「まちづくり」という言葉をよく耳にする。都市計画的なイメージの場合もあれば、地域振興を指すこともある。生活基盤そのものを整備することを意味しているものもある。
早稲田大学理工学部の後藤春彦教授は、「まちづくり」を次のように定義している。
「地域で暮らしを営む人々が生活環境や伝統文化など潜在的な可能性を引き出すことにより、経済的な自立性を獲得するとともに、地域社会に立脚した豊かな生活を追求すること」(『まちづくりオーラル・ヒストリー』水曜社))
これは、地域出版の本づくりにも当てはまるのではないか。
本を編集し出版することは、世代や場所を超えて人と人とをつなぎ、記録として次世代に伝える役割を担っている。その営みは、「地域の歴史や文化を掘り起こし、そこで暮らす人々の生活を豊かにする」ことにほかならない。
このように考えると、「本づくり」は「まちづくり」なのだと思う。
そういう「出版」という機能を地域が持ち続けるためには、何が必要なのだろう。それは、地域(市民、行政、企業、団体など)が、「出版」という機能をもっと活用することではないだろうか。企画・編集・制作・印刷・製本といったことから、流通・販売・広報まで、地域にいて本を出し続けられるような環境を、地域自身が育て、活用し、守ることだ。書き手も読み手も、そのことを意識して、はじめて地域での出版は成り立つ。もちろん、出版する側もその〈役割〉を担えるよう成長、進化が必要であることは言うまでもない。
15年前、吉備人出版の名前で初めて出した『楯築遺跡と卑弥呼の鬼道』は、この3月には入り棚から在庫がなくなった。14年と半年かかったが、3000部を売り切った。この数年は、インターネットでの注文などで少しずつ動いていた。完売したのはインターネットのおかげかもしれない。地域出版が生き残っていくための術は、探せばまだまだ潜んでいるのかもしれない。