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ふたたび、生きて、愛して、考えたこと 杉原 美津子(著) - トランスビュー
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ふたたび、生きて、愛して、考えたこと (フタタビ、イキテ、アイシテ、カンガエタコト)

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B6判
194ページ
上製
定価 1,500 円+税   1,650 円(税込)
ISBN
978-4-901510-90-5   COPY
ISBN 13
9784901510905   COPY
ISBN 10h
4-901510-90-8   COPY
ISBN 10
4901510908   COPY
出版者記号
901510   COPY
Cコード
C0095  
0:一般 0:単行本 95:日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2010年4月
書店発売日
登録日
2010年3月5日
最終更新日
2025年6月20日
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紹介

炎に焼かれ、奇跡的に生還した新宿西口バス放火事件から29年、さまざまな困難を乗り越え、レビー小体型認知症の夫を看取った私に、癌の宣告が下される。かくも過酷な運命を生きること、そして死んでゆくことの意味とは、いったい何なのか。

◆第3回〔池田晶子記念〕わたくし、つまりNobody賞・特別賞受賞

目次

第一章 宣告

二十九年目の宣告
新宿西口バス放火事件
いつも二人で
余命と向きあう
生をくれた医師
「悪い予測はいくらでも立つ」
さまざまな支え
新しい在宅医療
臨死の記憶
福祉事務所にて
こんなふうに逝きたい

第二章 追憶

レビー小体型認知症
「言葉」のよろこび
「書いてごらん」
三人家族のHAPPY LIFE
モクの死まで
愛したと、言えるだろうか。
深淵
いのちの実相

第三章 託す

この一瞬のために
支え合うということ
「私」と向き合う
十二歳の少女の感想文
習作を重ねる
誤診された母
母とのわかれ

終 章 最期の晩餐

いのちの締め切り
駆けつけてくれた記者
出版の師
三人の恩人と

あとがき

前書きなど

あとがき

本書は、一九八〇年に東京で起きた新宿西口バス放火事件に遭遇した私が、事件後から今日までの年月を振り返りながら、心身に負った傷から解放されていく心の跡を綴ったものである。

事件が起きたのは、私が三十六歳のとき。全身に八〇パーセントのやけどを負い、「絶望」と診断されたが、奇跡的に死線を越えて、医師にも予測できなかった二度目の「生」を生きていくこととなった。多くの後遺症もやけどの醜い痕も、元に戻ることはなかった。

自業自得だった。

だが、そのことを自分の力で背負っていくことのできなかった私は、「あなたにも責任があったのだ」と、ひそかに「犯人探し」をした。そのいちばんの責めを受けたのは、夫の荘六だった。いちばん愛する人が、いちばん憎い。愛憎半ばするその痛さに、二人で声を殺して泣いたことが何度あったかしれない。その苦しみは、いっしょに暮らすあたたかな時間の重なりと、十年二十年という長い年月の経過によって、ゆっくりと小さなものになっていったものの、終わることはなかった。

そして二〇〇八年十二月、荘六は全介護の身を私に委ねて八十歳の人生を終えた。

それから半年余りのち、事件から二十九年を経た昨年の夏、当時の輸血によって感染したC型肝炎から、肝臓癌を宣告された。余命はわからないが、私は今、二度目の「死」に向かっている。

自分自身のこの三十年間を振り返った時、「苦しみ」という荷物を背負って生まれ、その荷物を彼岸へと運んでいくのが、人の一生だと、そんな気がする。

苦しみは、ひとりで手をこまねいていればいっそう重くなる。逃げ出そうとすれば追いかけてくる。放り出そうとすればしがみついてくる。

だが苦しみは、向き合って受け止めれば「糧」になる。ひとりになってはじめて、そのことを知った。その時、私を待ち構えている「死」の意味が、「絶望」から、残された時間を精一杯に生きる、自分への最後の「挑戦」に変わっていた。

死が単に「絶望」であるとしたら、誕生は「絶望」への出発点の意味しかなくなる。誕生が祝福されるものであるのなら、その死もまた、人生を卒業していく祝福するべき終焉の時であっていい。助産婦がいるなら「助死者」があってもいいと、医師やその周辺から、助死者を推進する声も上がっている。「死」は、すべてのいのちが平等に辿りつく「事実」なのだ。死を「敗北」とみなす医師にも、その死は、必ずやってくる。治らない患者に無関心になる医師も、いつかその患者たちの仲間になるのだ。「死」を単に拒絶するのではなく、互いに「助死者」となって、臨終の時を支え合うことができれば、一人ひとりの「死」は無意味なものではなく、次を生きていく者たちに、人としての生き方を問い直させるメッセージの意味を持つものになるのではないか。
 
荘六が逝って、二度目の春が来た。
もうすぐ今年も、家の近くの歩道の桜が車道にトンネルを作るだろう。
「わあ、きれい!」
荘六が車椅子から見上げて歓声を上げたのは、二〇〇八年のこと。それが最期の春になった。

荘六とラブレターを交わしたことはなく、愛の言葉も互いに冗談にしてしか伝えることができなかった。そんな言葉をひとことでも照れずに交わしていたら、遺されたひとりのさびしさが少しは暖まったであろうに、と思うこともある。だがそれも叶わない今は、いっしょに夢中で生きた思い出が私を慰めている。

二人で生きてきた年月を穏やかな気持ちで見つめ直せば、険しかったその道のりから、かけがえのない「宝」を見つけることができる。二人でなければ分かち合えないことがたくさんあった。「ほんとうに正しいこととは、なにか」と、夜を徹して激論を交わした日々もあった。その答えは、思うようにはいかない足元の現実を何ひとつとして変えることはできなかったが、「こうありたい」という同じ思いを確認し合うことができた。そこから、「自分を信じること」や「自分を疑ってみること」を、いっしょに学ぶこともできた。繰り返された軋轢も、静かになればいつも互いにいとおしい思いに変わっていた。それは転びながら二人で歩いた、大事な道のりだった。

苦しみは、決して無駄ではなかった。私にとって、必要な試練だったと思う。そうして、背負った「苦しみ」を、かけがえのない「財産」に代えることができたのだ。ひとりでは、できなかったと思う。周囲からのあたたかな支えが私をそこへ導いてくれたのだ。
そのことを最初で最後のラブレターにして、彼にこの「あとがき」を贈りたい。

二〇一〇年、春 杉原美津子

著者プロフィール

杉原 美津子  (スギハラ ミツコ)  (

杉原美津子(すぎはら みつこ)
1944年、愛媛県生まれ。作家・編集者。1980年、新宿西口バス放火事件に遭遇したのをきっかけに執筆を始める。著書に『生きてみたい、もう一度』『老いたる父と』『炎のなかの絆』『命、響きあうときへ』『他人同士で暮らす老後』(以上、文藝春秋)、『絆をもとめて』(風媒社)、『夫・荘六の最期を支えて』(講談社)がある。

上記内容は本書刊行時のものです。