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ワセダアジアレビュー NO.9
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2011年2月
- 書店発売日
- 2011年4月2日
- 登録日
- 2011年3月31日
- 最終更新日
- 2011年3月31日
紹介
研究、時事問題、NGO、エッセイ…早稲田大学のアジア研究者を中心に、多彩な書き手が集まって、アジアを論じます。今号の特集は「日韓併合100年」です。
目次
【目次】
巻頭口絵写真 ハンギョレ新聞社
機構長コラム 「憐れ劉涌は刑場の露と消えた」 小口彦太
フィールドから──カラー・フォトエッセイ 「モンゴル、草原、砂漠化、遊牧民」 松岡俊二
巻頭論文 「日越関係を強化する」 坪井善明
【特集】日韓併合100年
「朝鮮古代史と植民地主義──その克服のための課題」 李 成市
「日本的オリエンタリズムと国際関係」 重村智計
「日本産業人にとっての日韓併合」 小林英夫
「日韓の次世代が開く新たな『100年』──『誠信学生交流フォーラム』がめざす地平」 小田川 興
シリーズ歴史の証人
「中国を語る──アジアの巨龍、中国とどう取り組むか」 谷野作太郎
IAS研究プロジェクト報告
「欧州から眺める東アジア共同体研究」 寺田 貴
「アジア地域統合の新機軸を求めて」 天児 慧
「中国文明と地域文化──日本における秦簡研究の現状」 工藤元男
次世代研究者
「グローバル・イシューと国際規範──『保護する責任』はアジア地域に馴染むのか?」 本多美樹
「日本の対外政策におけるアジア地域協力」 黄 偉修
第45回アジアセミナー報告
「韓国の李明博政権と市民メディアの現状──デモクラシーとコミュニケーション権利拡大の歩み」 金 明俊
第47回アジアセミナー報告
「北朝鮮の最新権力構造と後継者問題」 惠谷 治
OAS連続セミナー講義ノート
「韓国農村の経済を振り返る」 伊藤亜人
My Field :ワセダからアジアへ
「越境する人たちを追って──マレーシア、フィリピン人移民集落でのボランティアと調査」 金田尚子
アジアを食べる@早稲田界隈 「国境を越える民族の料理──カチン・ミャンマー料理」 砂井紫里
書籍紹介 小林英夫
What’s going on? 早稲田大学アジア研究機構からのお知らせ
アジアのNGO 活動現場から 「人びとが創るもうひとつのアジア」 野川未央
前書きなど
機構長コラム「憐れ劉涌は刑場の露と消えた」小口彦太
二〇〇二年、遼寧省瀋陽市の黒社会の頭目であった劉涌なる人物が逮捕され、その後、一審の中級法院で死刑の判決が下された。黒社会とは、日本でいえば「やくざ」に相当するが、この組織の怖さは、地域の党幹部や公安当局(=警察)と「癒着している」点にある。彼は瀋陽市の副市長らに多額の賄賂を渡し、市の人民代表大会の代表にも選出されていたが、その表の顔とは裏腹に、九〇年代から五〇人程度のメンバーを率いて数々の犯罪を重ね、遂に逮捕、起訴された。一審で死刑が宣告された直接の罪状は故意傷害致死罪であった。
ところで、中国の死刑には二種類あり、その一つは、決して助からない死刑で、もう一つは、絶対助かる死刑で、執行延期つきの死刑と称され、死刑宣告後二年間故意犯罪を犯さなければ、自動的に無期懲役に減刑される。一審判決は絶対に助からない方の死刑であった。ところが、遼寧省高級法院は彼に対して、絶対に助かる方の死刑判決を下したのである。中国の裁判制度は二審終審制なので、〝一応〟これで終わることになる。〝一応〟という意味は、中国では終審判決が下されても、広く再審の道が開かれているからである。この再審請求は被告人のみならず、検察もできるし、何と裁判所自身もできるのである。本件では、被告人も検察も再審を求めなかった。ところが、何と、最高人民法院が自ら瀋陽の地まで出張ってきて再審を始めたのである。そして、最高人民法院は当地で絶対助からない方の死刑判決を下して、慌ただしく刑を執行した。
では、何故、最高人民法院は再審を行ったのか。その理由は、二審判決に民衆が怒ったからである。中国ではこれを〝民憤〟と言う。こんな悪い奴を活かしておくのは何事だというわけである。しかし、法律家はこの二審判決に総じて好意的であった。何故か。それは、本件では捜査当局が自白をとるために拷問を加えた可能性があり、この疑念を考慮に入れた二審判決は、人権尊重の観点からすれば評価できるというものであった。中国でも、拷問はもちろん違法であり、その証拠能力は否定されている。
専門家は、二審判決は人権保障の観点から評価できるというものであった。しかし、最高人民法院は、そうした専門家の意見に与さず、〝民憤〟に与したのである。人民(日本流にいえば国民)の生身の感情をそのまま司法に投影させたのである。(国民の側からの)〝雑音に耳を貸すな〟と述べた田中耕太郎最高裁長官の言について、かつては反発を感じたのであるが、最近は逆に司法のあるべき姿を言い当てているように思うようになってきた。もっとも、それは、司法が権力に右顧左眄せず、理性と論理にのみ従うという覚悟のあることが大前提であるが。
上記内容は本書刊行時のものです。
