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松下幸之助の昭和史
- 初版年月日
- 2011年9月
- 書店発売日
- 2011年9月1日
- 登録日
- 2011年8月12日
- 最終更新日
- 2013年2月22日
書評掲載情報
2011-09-18 | 日本経済新聞 |
2011-09-18 | 読売新聞 |
2011-09-18 | 朝日新聞 |
2011-09-11 | 東京新聞/中日新聞 |
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紹介
松下幸之助はいかにして経営の神様と呼ばれるようになったのか。
「松下幸之助を神様にした男たち」をキーワードに、昭和という時代を描きながら、いまなお増殖し続ける松下幸之助神話とその呪縛をひもとく。
リーダー不在の今日、読むべき一冊。
目次
第1章 山下俊彦社長就任劇の謎
第2章 幸之助の前線復帰──熱海会談
第3章 コンピュータ撤退
第4章 同族経営の時代
第5章 番頭体制の時代
第6章 二人の大番頭──丹羽正治と高橋荒太郎
第7章 最大の危機──PHP運動の開始
第8章 戒律なき宗教
第9章 批判される商法──消費者運動の波
第10章 パナファコム──富士通との提携
第11章 山下俊彦の九年間
第12章 神話は呪縛する
第13章 松下正治の十六年間
第14章 もうひとつの「山下社長就任劇」
第15章 「神様」とは何だったか
あとがき
本シリーズにあたってのあとがき
解説 佐高 信
前書きなど
あとがき
……松下電器産業の取材を始めた当初、私の関心は松下幸之助氏本人よりも、彼を取り巻く人間模様にあった。とりわけ、彼に仕えてきた「番頭」と呼ばれる一群の人たちである。
「昭和の今太閤」と賛えられた彼の成功物語や経営語録は数多く出版され、小学校では彼の伝記を副読本として使用しているところもあるほどだが、逆に、私は彼に数限りない賞賛が与えられれば与えられるほど、その陰で彼を支えてきた人物に惹かれていった。
松下幸之助氏に心服して、公私ともに自分自身を捧げた「松下の番頭」とは、どういう男たちなのだろうかと。また、彼らの目には「経営の神様・松下幸之助」はどのように映っていたのだろうかと。
そのため、ひとつの試みとして、松下幸之助氏を主人公としながらも、彼らの目を通して「もうひとつの松下幸之助像」を描けないものかと考えたのが、本書を書く切っかけである。この手法を採ることにした背景には、もちろん、幸之助氏本人が高齢であり、加えて健康上の問題もあり、しかも言葉が不自由なため事実上インタビューが不可能という現実もあった。
そして何よりも、松下幸之助氏の自叙伝をはじめ、彼の目を通して書いた作品がすでに多く出版されていたので、それらとの重複をさけると同時に新しい切り口で「幸之助像」を描いてみたいという、強い個人的な意図が私にはあった。
このような事情から当初、私の頭の中には「松下幸之助を神様にした男たち」という仮題があった。あくまでも、松下の番頭たちを主人公にしたものである。ところが、取材を進めていくうちに、「幸之助神話」は完成されたひとつの成功物語としてではなく、いまなお増殖され続け、一人歩きを続け、総合エレクトロニクス企業を目指す「ニュー松下」を呪縛するものとして、私の前に現われ始めたのである。……
版元から一言
<シリーズ頭辞>
■主役は人間
すべてのドラマの主役は人間である。あらゆる悲劇も、あらゆる喜劇も人間が紡ぎ出す。
小説について、人間が描かれているとか、描かれていないとか、よく言われるが、それはフィクションに限らない。むしろ、ノンフィクションにこそ、それが要求されるのであり、人間が躍動していないノンフィクションは読むに堪えない。
あくまでも事実を追うノンフィクションは、それゆえに制約があるが、困難な取材を諦めずに続けて、そこに限りない人間の魅力をクローズアップさせようとする書き手は、佐木隆三氏が言うように「事実に近づく興奮」に身体を震えさせながら、その旅を続ける。
残念ながら、現在、ノンフィクションの傑作は薄っぺらなベストセラーの洪水の波間に埋もれてしまっている。佐木氏の『越山田中角栄』をトップバッターとして発掘されるこのシリーズは、まちがいなく、熱い読者の支持を得るだろう。私はそれを確信している。(佐高 信)
上記内容は本書刊行時のものです。