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「14年目にして味わう醍醐味」

 ここ数日、岩手県の沿岸南部の大船渡も朝晩めっきり涼しくなってきました。震災後プレハブの小さな社屋を建てて社員4人とともに仕事をしているのだけれど、朝には少しの間エアコンを暖房にしないと小寒くて仕事ができないほど涼しくなってきた。そのくせ昼過ぎになると熱くて冷房を入れたりする。プレハブは安くていいのだけれど、気温の変化に対応できず室内で働いていても寒暖の変化を直に感じて結構ストレスになってしまう。
 暦を見ると今年も早10月半ば。「11月1日」も間近だと気がついた。「11月1日」はイー・ピックス社の創業記念日ということにしている。「…ということにしている」という言い方は少しいい加減なのだけれど、イー・ピックス社が出版業務を手がけて初めて出版した『ケセン語訳新約聖書:マタイによる福音書』の奥付に記された初版の出版日が2002年11月1日になっており、以来この日をイー・ピックス社の創業記念日にしようと社員に宣言したのだった。

 創業記念日といってもなにか記念行事をするわけでもなく、朝礼でそのことを話して社歴をみんなで確認し合う程度なのだが、出版という地味で一見大変そうな仕事のお陰でこの14年の間にいろいろな方々との知己を得、また著者とともに北は北海道から南は沖縄まで、さらにはバチカンにまで行って教皇ヨハネ・パウロⅡ世に謁見し、イー・ピックス社の本を献呈するという経験まですることができた。「11月1日」はそんな出版社の歴史を走馬灯のように思い起こさせてくれる日になっている。
 さて、そういえば今年の2月には芥川賞作家の池澤夏樹さんから突然に電話をもらい一緒に夕飯でも食べませんかと誘いを受け、隣市の陸前高田の「鶴亀鮨」で『ケセン語訳聖書』の著者山浦玄嗣さんとともに楽しい時間を過ごしたことを思い出した。
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「鶴亀鮨」からの帰り際、店主の粋な計らいでご覧のような楽しい記念撮影
(左から、池澤さんに同行の編集者・山浦玄嗣さん・池澤夏樹さん・鶴亀鮨の主人・筆者)
※原本がなくフェイス・ブックからコピーしたので写真はよくありません

 池澤さんとは『ケセン語訳新約聖書:マタイによる福音書』の書評を毎日新聞に寄稿してくれて以来のお付き合いで、ケセン語訳新約聖書の第2巻『マルコによる福音書』の帯を書いていただいた。それ以来細い糸でご縁がつながり続け、東日本大震災後には沿岸被災地に来るたびに電話を頂いたり、プレハブ小屋のイー・ピックス社を訪ねてくれたりしていた。池澤さんがイー・ピックス社を訪ねてくれるのは何も私に会いに来るというようなことではなく、「東日本大震災の時、70%くらいは私の心の中を山浦玄嗣のことが占めていた」という池澤さん自身の言葉の通り、私を通して山浦さんのことを聞いたり、山浦さんの住む大船渡市の様子を聞きたかったのだと思うのだが、それでも池澤さんから直接携帯に電話をもらったり会社に訪ねてきてもらうのは、なんだか嬉しくて誇らしい気持ちにもなる。それもこれも出版という仕事を通して頂く貴重な宝のような時間なのだと感じる。
 前置きが長かったが、その2月の鮨屋でのことを少し書きたいと思う。
 今年の2月に池澤さんから「今晩一緒に食事でもどうですか? 今日の昼には山浦さんとも会うので、場合によっては山浦さんも一緒になるかも知れないけれど…」と食事のお誘いを受け、もちろん断る理由はないので即座に受けたものの、不安な材料といえば万一山浦さんが来てくれなければ話題の少ない自分には到底場が持たないだろうということくらいだった。
 幸いにして山浦さんも一緒に食事をすることになり、池澤さんに同行した編集者と合わせ4人で「鶴亀鮨」の美味しい鮨に舌鼓を打ったのだが、それ以上に感動したのは池澤夏樹さんと山浦玄嗣さんとの会話だった。二人とも世界中の言語や日本語への造詣が驚くほど深く、互いにその知識と感性を確かめ合うようにして徐々に深まるその会話に、私と編集者の二人は気持ちよく浸っていました。
 そんな会話の終わりに山浦さんがおもむろにカバンから取り出した分厚い原稿がありました。それは山浦さんが25年以上も前に書いた東北エミシ族の叙事詩でした。山浦さんは言語学者でもあり聖書学者でもありますが、郷土の歴史家でもあります。東北エミシ族がその誇らしい歴史と文化を坂上田村麻呂率いるヤマト朝廷軍に蹂躙され、以来現代に至るまで、東北の地は日本の中では未だに「みちのく」なんだと私たち東北人は思っているのですが、山浦さんはその「みちのく」の地に、かつて、そして今も誇りを持った人間たちが住み素晴らしい文化や歴史を紡いでいることを何らかの形で表現したかったのだと思うのです。おそらくはその思いが、その分厚い叙事詩にいっぱい詰まっているに違いないのです。山浦さんは池澤さんに、「この本を出版せずには死にきれない」とキッパリと言いました。そしてその叙事詩の中の主人公がまるで目の前に現れたかのように生き生きとその物語を語ってくれたのです。

 この本の出版が決まったと山浦さんの口から聞いたのはそれから数ヶ月後でした。池澤さんが知り合いの角川書店の編集者にその分厚い原稿を持ち込み、出版を勧めてくれたのだとか。私はその話を山浦さんから聞いて心底喜びました。山浦さんとともに丸14年にわたり全国津々浦々講演して回り、二人三脚で本を売ってきたその相方の著者が、今、メジャーデビューすることになったのです。〈編集者の喜びには、こんな喜びもあったのだ〉と気づくとともに、イー・ピックス社の中でいつの間にかこんなにも長い歳月が流れていたのだと感慨深く思い起こしたのでした。
イー・ピックスの本の一覧
 

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