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「ヘイト本」を読んでみた。

 この2月に雑誌『WiLL』(ワック)の花田紀凱編集長と、「出版業界と『ヘイト本』ブーム」をテーマに公開で対談した。
 当初は、花田氏と彼が推薦する識者組に対して、私と『「在日特権」の虚構』(河出書房新社)の著者・野間易通氏が2対2で「対決」するというのがウリだった。
 ところが、開催直前に「木瀬さんはともかく、知らない人とは話したくない」という理由にならない理由で野間氏の同席を拒否。自ら推薦する識者も「いない」と言い出した。
 そのため、急遽、私と花田氏が1対1で「対決」することになった(野間氏には、第2部として『WiLL』に執筆する古谷経衡氏と対談いただいた)。
 この場で、花田氏は「タイトルだけでなく、本文で判断すべき」と主張するばかりだった。
 しかし、私は、「タイトルがヘイト=差別煽動である」として、また本文は編集者でなく著者の責任であると考え、「どのように立派な内容であれ、たとえ中身が村上春樹が書いた素晴らしい小説であっても『中国を永久に黙らせる』などというタイトルを付ける自由はなく、そういった本を公共の場である書店に並べることはヘイトクライム(犯罪)だ」と訴えた。
 そのことで、花田氏は「読まずに批判している」と騒ぎ、先日はヤフー・ニュースにおいて「『NOヘイト!』本はトンデモ本だ。」と題する記事を掲載した。

 これに対しては、対決相手の版元名を「ころから出版」と間違えたり(正しくは「ころから」)、1対1の対決になったいきさつを略してしまっていることは、あまりに杜撰かつフェアではないと反論しておきたい。
 とはいえ、花田氏は、私が生まれる前から出版業界にいた大先輩でもある。
 その花田氏から直々に「編集者なら本の中身を読んで議論するのが当然ではないか」とご指導いただいたのだから、「ヘイト本」を読んでみた。
 が、伊達や酔狂で「ヘイト本」を読むほどにヒマではない。
 そこで、近刊の『さらば、ヘイト本!』の企画のひとつにしようと、小社編集部でヘイト本を「羊頭狗肉」の観点でランキングすることにした。
 その中には、会場でも話題になった『中国を永久に黙らせる100問100答』(渡部昇一著、ワック)が含まれた。
 ノミネートされた10冊の内、羊頭狗肉度第2位にランクされた同書のレビューは以下のようなものだ。

==『さらば、ヘイト本!』本文より転載==
羊頭狗肉度ランク 第2位『中国を永久に黙らせる100問100答』

 フリー編集者の加藤直樹さんは2014年の講演で、ヘイト本について、「私が恐ろしいと思うのは、(中略)ジェノサイドへの欲望が読み取れること」と指摘。その一例として、この本を上げている(小社刊『NOヘイト!』より)。
 ヘイトスピーチが危険なのは、ジェノサイドの入口になりえるからだとされる。その意味で、誰かを「永久に黙らせる」ための本が書店に並ぶことを危惧するのは当然の感覚だ。
 しかし、この本が書店に並ぶワケは、一読すれば分からなくもない。なぜなら、あまりに羊頭狗肉で、これではたとえ小学生が相手でも黙ってくれないからだ。
 書名通りなのは100問あることだけで、100「答」にすらなっていない。たとえば、「アジア諸国は首相の靖国参拝に不快感を覚えている」への回答はわずか3行。しかも「『アジア諸国』とひとくくりにするのは大きな間違い」と質問をはぐらかしている。一事が万事、なんと半数の50答が5行以内であしらわれている。かと思えば、「A級戦犯は極悪人だ」などは4ページにわたっており、あまりに稚拙な編集にがっくりすること確実。
 こんな「答」では相手は黙らない。したがって、「永久に黙らせる」には、物理的に口を封じるしかないのではないか? そんな本が書店に平積みされるのは悪夢としか言いようがない。
==転載おわり==

 先の対談の最後に、私は花田氏に「あなたは、どのような社会を望んで雑誌を作っているのか?」と質問した。その時の様子を、リテラ編集部の梶田陽介さんが、『さらば、ヘイト本!』でルポしてくれている。
 これも本文から抜粋して転載する。

==『さらば、ヘイト本!』本文より転載==
 一瞬言い淀んだ花田氏は「どのような社会?」と聞き直し、「いやいや、それはね、その今のね、あのー」とさらに言い淀む。
 そしてひねり出した言葉が「日本がすべていいとは言いませんよ。もっと住みよい日本にしたい、もっと人が生きよい社会にしたい、そう思ってやってんじゃないですかね、はい」と、まるで他人事のような回答に終わった。
 木瀬氏は「人とはどういう人? 外国人も入ってんですか? 住みよいとは具体的に?」と畳み掛けたものの、「いやいや、じゃあ、あなたに聞きたいんだけど」と質問をさえぎってしまった。
 雑誌にしろ書籍にしろ、あるいは映画や芝居といった「表現」をなす者には、「理想の社会像」があって、その一翼を担うため、自ら表現者になるのではないのだろうか?
 そういう前提があるから、ヘイトスピーチに抗する人たちは、「どうして、あのようヘイト本を作るのか?」と訝しむ。
 しかし、作り手が「望むべき社会像」など考えもしなかったらーー。
 そこに、傾聴すべき「答え」などないはずだ。
==転載おわり==

 今回、大先輩の忠告にしたがって「ヘイト本」を読んでみた。
 が、その結果、私の考えは強化されたのであって、修正はされなかった。
 たとえどのように立派な内容であれ、あるいは極端に羊頭狗肉であったとしても、タイトルがレイシズムあるいは排外主義をともなう差別を煽動していれば、それはヘイト本だ。
 しかも、タイトルが民族などの属性をもとに敵視していれば、中身もしっかりデマと中傷にあふれていることを確認した。
 その意味で、私は花田氏に感謝しなければらない。


 
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