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プロヴォーク
中平卓馬をめぐる50年目の日記
- 書店発売日
- 2024年2月2日
- 登録日
- 2023年12月15日
- 最終更新日
- 2024年1月17日
紹介
1960年代末から70年代後半にかけて、写真家、批評家として精力的に活動した中平卓馬。彼の撮る写真郡は「アレ・ブレ・ボケ」と呼ばれ、また雑誌に発表される文章も言葉を巧みに操り煽情的で、当時の若者の心情と共振し話題となった。その中平の存在は写真界にも大きなインパクトを与えた。そんな活動の最中、1977年9月に急性アルコール中毒により入院。記憶喪失、言語障害を患うが、1980年代に再起し、2010年代初頭までは写真作品を発表し続け、2015年にその生涯を閉じた――。
現在でもなお「激動」と表現されることの多い1960年代後半から1970年代初頭。
総合雑誌『現代の眼』編集者時代に東松照明、寺山修司らの連載を担当していた中平は、同時代に活躍する表現者たちの仕事に触発され「写真家になる」ことを決意する。やがて中平は多木浩二、岡田隆彦、高梨豊とともに、写真同人誌『プロヴォーク』を1968年に創刊(2号目からは森山大道も参加)。わずかに500部が製作され、3号まで刊行されるも終焉を迎える。『プロヴォーク』はその希少性からいまやヨーロッパをはじめ世界中の写真に関心を持つ人々には伝説として語られている。
中平の作品発表の場は、『プロヴォーク』に留まらず、『現代の眼』『朝日ジャーナル』『アサヒグラフ』『デザイン』といった従来のカメラ雑誌とは異なる媒体を中心としていた。中平は言論の場とどのように関わり、どのように写真と向き合っていたのか。
自身の姉が『現代の眼』を発刊していた現代評論社に勤めていたことを縁に中平卓馬と知り合った著者・柳本尚規。20代後半から30代前半当時の中平卓馬と行動を共にし、その姿を最も傍で見てきた一人である著者が、伝説になる前の等身大の中平卓馬の姿を描く回想記。
『週刊読書人』に連載(2019年4月5日号~2023年6月9日号)されていた「中平卓馬をめぐる50年目の日記」を加筆・削除・修正をして『プロヴォーク 中平卓馬をめぐる50年目の日記』と改題し書籍化。
上記内容は本書刊行時のものです。