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紅い翼の翻訳家
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2026年5月27日
- 書店発売日
- 2026年5月28日
- 登録日
- 2026年3月31日
- 最終更新日
- 2026年5月28日
紹介
亡命作家と、絶滅言語の翻訳家。
――「存在しない言葉」を届けるふたりの物語。
「出版してよ。私が死んだらね」
故人の願いを叶えるため、海を渡るナディア。
遠い島国の山奥の幽霊屋敷に、問題の翻訳家は待っていた。
「ご依頼ですね。高地アーレンベルク語ですか。低地アーレンベルク語ですか」
ナディアには馴染み深い言葉だが、
この国の人たちは耳にしたことがないという。
謎の言語を扱う翻訳家の少女と、
母語を物珍しがられることに苛立つ作家。
それでも誰かに届く形へと編み直す営みは、翻訳なのか――
あるいは魂を削る嘘なのか。
◆関連作品:
『王の庭師――アーレンベルクより愛をこめて』(ISBN978-4-902381-47-4)
本書単体でもお楽しみいただけますが、
二つの物語は、同じ世界のどこかでつながっています。
目次
プロローグ
第一章 イーデルハイムの村はずれ
第二章 アジアの島国
第三章 山奥の幽霊屋敷
第四章 疑念
第五章 翼の跡
主要参考文献一覧
幻想の彼方へ
前書きなど
「日本の皆さんへ」と書き出した文章をすべて消した。
人付き合いが苦手だ。
会話はおろか、他人とすれ違うことすらしたくない。たとえば買い物。できるだけ遅い時間帯を選んで出かけても、ばったり近所の人に会ってしまうことがある。そんなとき私は無視を決め込む。「あら、ナ――」名前は呼ばせない、声をかけられる前に空咳を重ねて遮る。急用を思い出したかのようにスマホを取り出し、画面を凝視しながら方向転換してダッシュする。「あらぁ?」と残念そうな声が聞こえても振り返らない。この小細工のせいで帰宅に一時間以上余計にかかるとしても構わない。迂回を選ぶ。
そんな人間が、どの面下げて「日本の皆さんへ」などと書けるのか。
さも親しみ深い「外国人」然として振る舞うことは詐欺ではないのか。
この企画を請け負ってくれた人にそう告げると、彼女は言った。そういうときは自分の内心は語らずに、ただ聞けばいいんですよ。
私は釈然としないながらも、彼女に倣ってこう書いた。
お元気ですか。
それから、まじまじとその六文字を眺める。
wordsを「言の葉」と言い表した遠い島国の人々は、日々、何を思って生きているのだろう。一口に葉といっても色々あるだろう。光にかざせば葉脈が透けて見えるような若葉。薄明かりの下で雨滴を受ける紫陽花。晩秋の木枯らしに舞い散る紅葉。まさにその多様さをもってして「言葉」としたのかも分からない。
けれど、「葉」と聞いて私自身が真っ先に、そしてほとんど唯一思い浮かべるものは腐葉土だ。
蚯蚓(みみず)や微生物が分解し、崩れ落ちた「あと」の葉の姿。
遺骸が堆積して土になる。そこには名前も面影も残らない。
およそ「言葉」として言い表せるもののひとつに、虚言がある。
あれも分解されて養分になるだろうか。何かを育む礎となりえる? 死の層が積み重なってやがて土となるように、人を殺した言葉にも価値はある? 言葉というのはそれ自体はつねに「正しい」道具だ。戦ってねじ伏せるよりもよほど建設的で、だからいつも語り手に、ひとひらの傲慢さを残してしまう。言葉によって何かを成そうとするとき、人は無意識にペンは剣よりも強いと過信する。その正義に心酔している象徴のように感じるから、「言葉」という言葉の表層に宿る美しさを好きになれない。
だから私は杏奈に頼んだ。私が書いた文章を信じないでほしいと。
言葉が堆積するとき、そこには誰かの沈黙や死が横たわっている。分解されるのを待てるほど、気長で強い人ばかりではない。
お元気ですか。
あなたは、どんな人ですか。
版元から一言
言葉を信じきれない亡命作家が、それでも言葉で他者に触れようとする――現代の孤独とコミュニケーションの歪みを描いた翻訳ファンタジーです。
異文化交流や関係性の非対称、AIといった今日的テーマを扱いながらも、難解さに寄らず、読者自身の体験へと引き寄せて読むことができます。
既刊『王の庭師』と世界観を共有しつつ、本作単体でもお楽しみいただけます。言葉に違和感を抱いたことのある方、翻訳や機械的な言語処理に疑問を感じたことのある方におすすめです。
関連リンク
上記内容は本書刊行時のものです。





