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版元番外地
〈共和国〉樹立篇
- 初版年月日
- 2025年7月4日
- 発売予定日
- 2025年7月4日
- 登録日
- 2025年5月9日
- 最終更新日
- 2025年6月29日
紹介
★オルタナ旧市街さん推薦!(作家、『お口に合いませんでした』等)
「ひょうひょうと無頼、偏屈だけどチャーミング。
永遠のおしゃべりから放たれる孤高のひかりに、
わたしはこの先も焦がれるだろう。」
★藤川明日香さん推薦!(月と文社代表/元『日経WOMAN』編集長)
「偏屈、少数派、バカボンのパパ…を自認する下平尾さんの文章は、
「本当の孤独」への深い洞察と優しさにあふれている。」
★藤原辰史さん推薦!(京都大学教授〔食農思想史〕)
「この出版社のせいだ。たくさんの重い問題と、取り組まなければならない。考えなければ安穏と暮らすことができるのに。」
ひとり出版社〈共和国〉代表《下平尾 直》渾身の書き下ろし、初の単著!
「書物で世界をロマン化せよ!」ーー
2014年春、ひとりの失業編集者が、こんな理想を掲げて出版の世界に火をおこした。
社員なし! 事務所なし! なのに社名だけはむやみに大きい超零細出版社は、この転形期に何を夢みたのか? その行き着く先は?
共和国の創業記や出版・編集についての知見、そしてドストエフスキーやドイツ・ロマン派をはじめ影響を受けた文学論から、生まれ育った町の知られざる歴史、そして飲酒による失態にいたるまで、出版と本と人間についてのめくるめく世界観が饒舌に語られたユニークな書物の誕生!
目次
うしろから本を読む人のためにーーまえがきにかえて
Ⅰ 東久留米に出版社をつくるまで
一、共和国事始めーー架空実録
二、共和国は共和制の夢をみるかーー架空インタビュー
三、原稿は遅れて本になり、本は遅れて読者に届くーー架空講義
Ⅱ 共和国の地層を掘る
四、岸和田市春木の片隅から
川沿いのリザヴェータ
橋と墓
幻の大安楽国
五、東にはいつも何かある
六、Within You Without You
Ⅲ 黄金時代の夢
七、死にかけて
京阪出町柳駅の階段の長さを全身で測定した話
馬鹿につける薬の話
八、耳で読む『罪と罰』ーー行き場のない人間の音像
九、いつか編みたい最期の一冊
こんなことしている場合ではないのだがーーあとがきにかえて
前書きなど
うしろから本を読む人のために――まえがきにかえて
こういう人は少なくないと思うが、わたしもまた雑誌や単行本、新聞といった文字媒体を、まずうしろから読んでしまう悪癖がある。
本ならそこはたいてい本文と関係のない奥付や広告だから、ページの引力にあらがって巻首に向かうことになる。書物の多くは前から順番に、論理的に読み進められるように設計されているので、つくり手の意向を無視した、なんと読ませ甲斐のない読者であることか。ときにはそのまま解説や編集者のあとがき、こまかく詰め込んである本や映画や音楽の短評やコラムのページにまで目が及んでしまうため、いわゆるネタバレに遭遇してしまうことすらある。なので巷間いわれるネタバレの何がわるいのかもさっぱりわかっていない。とはいえ、本文に書かれた内容を味わいたくてその一冊を手にしたはずなので、やはり不自然なんであろう。
ふりかえればこの習性も、六歳だか八歳だか小学生時代からのようだが、明確な理由があってというより、奥付や広告のような本文とは無関係なページ――フランスの記号論学者ジェラール・ジュネットが『スイユ』(水声社、二〇〇一年二月)で定義しているペリテクスト的なものが好きだから、としか言いようがない。うしろにあるけれども前座や附録のようなもの、大きな物語に巻き込まれる前の予行演習といえばよいか。だからいまでも内容とはまったく関係のない発行者の、たとえば佐藤だとか緑川だとかいう姓だけでなく、出版社や印刷所の所在地、たとえば矢来町だとか神田錦町だとかのような、関西の辺陬(へんすう)に暮らす小学生には意味をもたない固有名詞ばかりが爾後半世紀を経たこちらの頭にこびりついていて、肝心なそれ以外のこと、つまり登場人物の氏名やら物語の主題やらといった教科書や試験で問われそうな内容については、どれもこれも茫洋としてどこかへ飛んでいったままだ。
そんな元小学生が、長じて共和国という屋号だけがむやみに大きな意味をもつアングラ零細マイナー出版社の火を熾(おこ)して十年あまりが経過してしまった。本文(ストーリー)という大きな枠組みに呑み込まれる生きかたから逃げまくってきたのに、いまや自分がその物語(ストーリー)を生み出す側になったのか――と整理しかけてみたものの、よく考えるとそういうものでもない。
というのも、編集や出版という仕事の主たる部分は、そもそも用紙の取り都合のために八や一六で割り切れるページの奴隷に自らを堕(お)とすことであり、奥付や広告などのペリテクストを作成するだけの、雑業の積み重ねにすぎないからだ。一般的に奥付には――現行法上は必要ではないとはいえ――タイトルや著訳者名や刊行日や版元名や印刷所の所在地やめざわりなISBNなど、その本の内容にかんすること以外のあらゆる情報を書きこむ。広告には――雑誌のように他社の広告で埋め尽くすのでなければ――自社から刊行されたほかの本にたいして読者の関心をあおるような惹句や書誌情報を書きこむ。編集や出版の仕事の大部分とは、このように、書かれた本の中身とは直接は無関係に、その外野で足掻(あが)くことなのだ。だから編集もふくめた出版というものの要諦は、本来は営業や流通、商品管理や広告その他の実務にある。それぞれの担当者の営為がなければ、刊行から十年を経た本を新本で読むことなどできない。なので、他人にはうるさく自分に甘く、数字が読めず、管理などという剣呑な単語は自分の辞書ではかならず墨塗りにする人間に、出版を語る道理などあるわけがないではないか。
しかし、にもかかわらず、現在もなおかろうじて出版業の外野の下流のそのまた支流の末端の外縁の僻地にあって、日夜資金繰りに追われながらほそぼそと栖息(せいそく)することを赦されているわけだから、わたしの半生のモティーフは、すでに六歳だか八歳だかで決していたのであった。ああ、なんたることだ、とここで溜息を吐(つ)く。うしろからしか読めない本はどうやってつくればいいんだ?
小さな出版社の活動記録のようなもの、あるいは開業のためのノウハウなどは、むしろこの十年余のあいだにいくつも刊行されてきたし、蓄積があるようだ。いまさら屋上屋を架す必要はない。そもそもとくとくと語ることができる成功譚とも無縁だし、主観的にはそんな年齢のつもりもない。創業から十年を経た出版社なんて佃煮にするくらいあり、同時期に創業してもっと上手に、丁寧に生き残っている版元だって少なくないだろう。雑な丁斑魚(めだか)は鯨にならず。まして神社仏閣の境内に麗々と飾ってあるような聖人の文言のごときライフハックに役立つフレーズなど、本書には一行もない。なぜなら、本はそれ自体が人間であり、世界であり、全体だからだ。なんの役にも立たない本だって一冊くらいあっていい。だいたい、だれに頼まれるまでもなく自分で勝手に出版社を名乗り、自分が読みたい本をつくってきただけなのだから、これまでに刊行した九十余点の出版物が、いいたいことのすべてである。
本書は、だから、うしろから本を読まないことには最初のページをめくることができない万年周回遅れの人間が、自分なりに見聞したり経験したりすることのできた小さな風景や、とおく失われた時代精神の所在について書いたものであって、刊行直後から周縁化を余儀なくされるたぐいの何ものかにちがいない。
上記内容は本書刊行時のものです。