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ヒロインたちの聖書ものがたり
キリスト教は女性をどう語ってきたか
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2020年10月10日
- 書店発売日
- 2020年10月6日
- 登録日
- 2020年8月21日
- 最終更新日
- 2020年10月26日
書評掲載情報
2021-03-01 |
本のひろば
3月号 評者: キスト岡崎さゆ里 |
2021-02-05 | ふぇみん 3277号 |
2021-01-10 | 信徒の友 2月号 |
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重版情報
2刷 | 出来予定日: 2021-11-30 |
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紹介
聖書に登場する女性たちは男性に比べると圧倒的に少ないですが、男性中心の古代社会で、歴史に翻弄され失意の人生を送った女性もいれば、機知と機転でたくましく生き延び祝福された人生を終えた女性もいる。そうしたヒロインたちの生身の姿を生き生きと描き直すことによって、聖書全体の流れを俯瞰しようというのが本書の試みです。
ヒロインたちは、夫に裏切られたり、屈強な男たちに武力で囲まれたり、若くして夫と死別したり、誠実な夫を権力者に殺されたりしました。また、若い側女への嫉妬、無理解な夫への義憤、女同士の競争、さらにはレイプと家族による沈黙の強要など、聖書は彼女たちの過酷な現実をそのままに語ります。しかし、それでも希望を失わず自らの人生に向き合い、絶望的な時代に、未来に信頼することをやめなかった女性たちがいたのです。本書はかのじょたちの視点で聖書のものがたりを語ります。
聖書に関心があるけれど、全体の流れがわからず、分厚くて読み通すことが難しいと思っている人にとっては、ヒロインたちのものがたりを通して聖書が伝えたいメッセージの輪郭が見えてくるでしょう。また、ある程度聖書になじんでいる方にとっては、聖書が提起する人間と社会にまつわる重い課題にあらためて対面する契機となることでしょう。
目次
まえがき
プロローグ 聖書のものがたりと歴史
第1章 祝福された女たち──旅の途上で
1 エデンの園からの出発 (たびだち)──エバ
2 子どもを産めない女主人、自由を求める女奴隷──サラとハガル
3 顔も知らない夫の元へ──リベカ
4 媚薬を奪いあう妻たち、そして男たちの闘争──レアとラケルと娘ディナ
5 やもめの服を脱ぎ捨てて──タマル
6 約束の地を目指す旅──ヨケベド、ファラオの娘、ミリアム、ツィポラ
第2章 生き残りを賭けて──戦乱と混迷
1 滅ぼし尽くす聖戦(ヘレム)を生き延びた遊女──ラハブ
2 非情な戦場を生き抜くには──デボラとヤエル
3 父の名誉に命を賭ける──エフタの娘
4 貧しいやもめたちのさいごの賭け──ナオミとルツ
第3章 語り出す女たち──王国の統一、その光と影
1 神は貧しい者を引き上げる、とかのじょは歌った──ハンナ
2 亡霊の声を取りつぐ──エン・ドルの口寄せの女
3 恋愛と政略結婚に翻弄される王女──ミカル
4 預言者のように語る賢女──アビガイル
5 ファム・ファタール(運命の女)──バト・シェバ
6 沈黙を強いられた王女──ダビデの娘タマル
第4章 権威と権力を身に纏う女たち──王国の分裂と崩壊
1 王妃はマスカラをたっぷりと塗った──イゼベル
2 神殿から引きずり出された女王──アタルヤ
3 王にも預言者にも夫にも媚びない──シュネムの女
4 敬虔王ヨシヤに改革を進言する預言者──フルダ
5 美と知恵の化身──ユディト
第5章 イエスと共に生きる
1 主のしもべ──イエスの母マリア
2 イエスに触れる──長血の女とヤイロの娘
3 イエスに話しかける──シリア・フェニキアの女
4 ヤコブの井戸のかたわらで──サマリアの女
5 イエスの足元で学ぶ姉妹──マルタとマリア
6 イエスに愛された冷徹な弟子──マルタ
7 破壊と死とメシアの意味──ナルドの香油の女
8 悔い改めた娼婦──罪の女
9 イエスの同伴者──マグダラのマリア
エピローグ 忘れ去られた女たち
あとがき
前書きなど
まえがき
女は「イヴであると同時に聖母マリア、偶像であり、召使いであり、生命の源泉であり、闇の力である」。*1
長い間、西欧において女性は、つかみどころのない生き物として見られてきた。そうした西洋的な文化の基盤にある聖書のなかの女性たちは、まさに謎のような存在である、と。しかしそれは真実なのだろうか。
本書はあえてヒロインを軸に聖書ぜんたいを俯瞰するという試みである。普通ならばアダムから始めて、信仰の父アブラハムの生涯を学び、古代イスラエルの民の祖ヤコブの旅路を追い、偉大な預言者モーセの劇的なエジプト脱出へと読者は聖書を読み進めるが、本書ではそれら代表的なものがたりを女性の登場人物を中心に据えて語ることにする。
聖書に記されているヒロインの言動だけで、ものがたりを語り尽くすことはできるのだろうか。
聖書が書かれた古代社会は男性中心でものごとが進む。その意味で男性の存在を完全に無視することはできないし、補助的な歴史の知識も必要である。だがヒロインたちの置かれた状況に具体的に目を向けると、かのじょたちが血の通った人間として生きたことがわかる。
聖書におけるヒロインのものがたりは、思いのほかドロドロしている。義父ユダと寝て身ごもった長男の嫁タマル、同胞を裏切り聖戦を生き延びた遊女ラハブ、夜中に男性の寝所に入りこんだ異邦人のやもめルツ、ダビデ王の子を身ごもった美しい人妻バト・シェバ。どうしてそんな話が聖書にあるのかと首をかしげたくなる。
ところが、そのような経歴の女性たちが『マタイによる福音書』では、イエス・キリストの男性の先祖ばかりの系図で名指しされるという特別の地位を得ている。聖書の女性観は一筋縄ではいかない。この四名の女性を「罪人」だと評したのは、初期キリスト教で「教父」と呼ばれる学者たちで、以降、ハンを押したように悪女と見なされてきた。しかしものがたりが生まれてきた時代、その文化においては、ヒロインたちは常識外れの行動をとったにもかかわらず賞賛されたのだ。
「女」とは罪深く、平気で嘘をつき、男性を誘惑する危険な生き物だと考えるのは古代ギリシア的である。そうした「女性嫌悪(ミソジニー)」の偏見を脇において聖書のものがたりを読むとき、泥臭い、ときには血なまぐさいとさえ言える暗い状況を機知と機転で乗り切る女たちの素顔が見えてくる。とはいえかのじょたちは無傷ではない。夫に裏切られたり、屈強な男たちに武力で囲まれたり、若くして夫と死別したり、誠実な夫を権力者に殺されたりした。あるいは、若い側女(女奴隷)への嫉妬、無理解な夫への義憤、女同士の競争、さらにはレイプと家族による沈黙の強要。聖書のものがたりは残酷な現実をそのままに語る。だがそれでも希望を失わなかった女性たちがいたことは驚きでさえある。絶望的な時代状況の中で神と対峙し、未来を信頼することをやめなかった女たちがいたのだ。
ヒロインたちは完全無欠な美徳の体現者ではないが、また男性を悪へと誘う悪魔でもない。さいごには祝福された人生を送ったと言える者もいれば、失意のどん底に突き落とされた者もいる。聖書は人間を描く書物であり、女性たちも生身の人間である。たしかに本書はヒロインたちを中心に据えるが、聖書の女性観ではなくて、人間観を知る一助になってくれればと願う。それぞれの人物の生き様をとおしてのみ、わたしたちは隠れた神が照らし出す一縷の希望に気づくのだから。
注1 シモーヌ・ド・ ボーヴォワール、『第二の性』を原文で読み直す会訳『決定版 第二の性―― Ⅰ事実と神話』(新潮文庫、二〇〇一年)、三〇一頁。
版元から一言
過酷な現実を生きながらも、希望を失わず自らの人生に向き合い、未来を信頼することをやめなかった聖書の中の女性たち。男性中心で家父長的な古代社会を思い描く私たち現代人にとっては驚きの連続です。
上記内容は本書刊行時のものです。