書店員向け情報 HELP
出版者情報
書店注文情報
在庫ステータス
取引情報
ボンクラ夫婦のバングラ日記
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2026年7月10日
- 書店発売日
- 2026年7月10日
- 登録日
- 2026年6月23日
- 最終更新日
- 2026年6月26日
紹介
バングラデシュ支援に人生を捧げ
2026年元日、急逝した岩下八司さんが語った
「感・即・動」の生き様――。
1949年、兵庫県は丹波篠山生まれの八司さんは、中学を出て整備工になり、的屋、運送業と仕事を変えながら勝手気まま生きていた。ところが30代半ば、向かいのアパートに住むバングラデシュ人青年と出会い、現地を訪れたことから人生が変わる。現地に学校を建てるために自宅を売却。仕事で稼いだお金をバングラデシュ支援につぎこむようになる。
その活動を支えてきた啓子さんも1949年生まれ。「あんただけあかん子」と言われ続けた幼少期、いじめ、100回を超える見合い。それでも信仰に支えられ、56歳で八司さんと結婚。自身もバングラデシュへ渡り、学校建設に奔走するようになる。
これまでバングラデシュに建てた学校は49校。3万人以上の子どもたちが通う。里親制度で女子中学生や職業訓練生の就学を支え、日本をはじめ各地の災害現場にも飛んでいく。思ったらすぐ動く、「感・即・動」のやみくもな活動とその歩みをふたりが語りおろした。
[売上の一部がバングラデシュの子どもたちへの教育支援に充てられます]
目次
まえがき
まえがきのあとで
第1章 自由奔放、青春時代
丹波篠山に生まれて
じいさん、ばあさんと尾道
母のもとへ帰る
整備工として働き始める
尾道に戻り、大阪に向かう
寅さんのような日々
旅から旅へ
第2章 世界を見る
運送業への転身
家庭を持つ
母の誘い
現地で働く日本人女性
何かを感じなさい
友達引き連れ旅ガラス
第3章 バングラデシュとの出会い
アパートの住人
世界で最も貧しい国
バングラデシュ支援の道へ
自宅を売って鋳物会社へ
広島県三次市との縁
妻と別れ、会社と別れ
第4章 啓子の半生
あんただけあかん子
体重との戦い
お見合い100回の日々
突然の結婚
第5章 啓子のバングラ日記
学校建設に奔走する
学校を建設する理由
幸せってなんだろう
第6章 新たな支援の歩み
再婚の決断
不良牧師をサポートする
エルセラーンと学校建設
石田くんとたかちゃん
2015年の脅迫事件
バングラデシュの変化
男性社会からの脱却
あとがき
あとがきのあとで
前書きなど
まえがき
ぼくの名前は岩下八司です。1949年生まれ。76歳になりました。
現在、ぼくと妻の啓子は、兵庫県丹波篠山市で「NPO法人 P・U・S JAPAN (バングラデシュの村を良くする会)」を運営しています。その拠点となっているのが篠山の呉服町にある「だいじょうぶ屋」。啓子がネパールとバングラデシュで現地の人に作ってもらった衣料品やアクセサリー、それとぼくが作るバングラデシュカレーの店です。
1985年に初めてバングラデシュを訪れて以来、40年にわたって現地の子どもたちへの教育支援を続けてきました。これまでバングラデシュに建てた学校は49校。3万人以上の生徒が通っています。里親制度(支援者が里親として特定の子どもの就学を支える仕組み)を通じて、現地の女子中学生や職業訓練生への援助も行っています。
と言うと、えらい立派な人間のように聞こえるかもしれませんが、ぜんぜん違います。好き勝手に生きてるだけなんです。
バングラの支援も好きでやってること。思い返せば小さい頃からそうでして、中学も中退したようなもんで、それから整備工として働いたり、的屋みたいなことをしたり、運送屋をやってみたり。お酒も飲むし、とにかく遊んでました。好きなように生きてきました。
ぼくの人生が大きく変わったのは1980年代の初頭、30を過ぎてからです。母親に誘われてネパールを訪れたことがきっかけでした。
「わずか1日足らず離れた所に、こんな生活しとる人がおるんやな」
その衝撃が、ぼくの人生を変えました。
それから家の向かいのアパートに暮らすバングラデシュ人たちとの出会いがあり、彼らの国に学校を建てようと奔走するようになりました。自宅を売ってお金に換え、社宅のある会社に転職。そのお金でバングラデシュのボロレカ村に「関西ハカルキ女子中学校」を開校しました。1996年のことで、ぼくらがバングラデシュで建てた最初の学校です。今では公立中学校になり、建物も立派になっています。
おかげさまで講演会とか新聞、テレビなどで、ぼくらの活動を知ってくれている人も増えました。夫婦で取り上げてもらうことが多いので、ずっと二人三脚でやってきたと思われるんですが、ちょっと違うんです。ぼくと啓子が結婚したのは2005年、お互い56歳のときです。
啓子は見合いを100回しても、うまくいかなかったそうで、ぼくはというと30年連れ添った妻がいて、ほかに彼女もいてまして。それなのに突然「あんたと結婚する」って言うて結婚してしまいました。その時ぼくは無職でね。啓子は迷ってたみたいですけど、どんどん話を進めていったんです。交際ゼロ日婚やなぁ。
それから活動が一気に広がりました。啓子はひとりでもぐんぐん進んでいきよりますから。2013年にNPO法人として認可を受け、2015年頃からはエルセラーン化粧品株式会社とのパートナーシップで学校建設が加速しました。
ここ数年は女子教育に力を入れています。バングラデシュでは、まだまだ女の子が早くに結婚させられたり、教育の機会を奪われたりすることが多いからです。一方で村の親たちの意識も、30年以上かけて少しずつ変わってきています。今こそ、というタイミングです。ぼくが生きてる間に、女性の社会進出が当たり前になる社会になったらええなと思っています。
この本は、そんなぼくと啓子の気ままな半生のお話です。いろんな失敗もしました。騙されたこともあります。けど、支援は続けてきました。動いたら何かが起こる。それをずっと信じてやってきました。まあ、読んでみてください。
啓子はこの20年間、川柳をやっとります。ところどころに入れさせてもらってます。雅号はさゆ子です。まあ、読んでやってください。
ぬくぬくと生きてきました君がいた
青いままつまれて私ゆがかれて
幕が開く私は私を演じます
つかれたわ素朴なフリはもうやめた
旅の前いつも不安よでも行くの
さゆ子
版元から一言
この本の原稿は、2025年の10月にできあがりました。それからあらためて推敲し、2026年の年明けから仕上げにかかる予定でした。
ところがその元日の夕方、八司さんは心不全で亡くなりました。お風呂に入っていたそうです。年末は夫婦でフィリピン・セブ島旅行を満喫。発刊を目前にした、あまりに突然のことでした。そうしたいきさつの末、啓子さんの孤軍奮闘もあって一冊の本になりました。
一見、後先のことをまるで考えていないボンクラ(?)な夫婦が、どんな歩みをしてきたのか。その言葉と日々に思いを馳せてください。
上記内容は本書刊行時のものです。





