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国家をもたぬよう社会は努めてきた ピエール・クラストル(著) - 洛北出版
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国家をもたぬよう社会は努めてきた (コッカヲモタヌヨウシャカイハツトメテキタ) クラストルは語る (クラストルハカタル)
原書: Entretien avec L’Anti-mythes

哲学・宗教
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発行:洛北出版
四六判
縦188mm 横128mm 厚さ18mm
重さ 290g
272ページ
並製
定価 2,600円+税
ISBN
978-4-903127-32-3   COPY
ISBN 13
9784903127323   COPY
ISBN 10h
4-903127-32-X   COPY
ISBN 10
490312732X   COPY
出版者記号
903127   COPY
Cコード
C0010  
0:一般 0:単行本 10:哲学
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2021年10月
書店発売日
登録日
2021年8月31日
最終更新日
2021年10月2日
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書評掲載情報

2022-01-09 読売新聞  朝刊
評者: 小川さやか(立命館大学教授・文化人類学者)
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紹介

はじめてのクラストル――
 「国家なき社会」は、なぜ「国家なき社会」なのか。
 それは、その社会が「国家に抗する社会」だからである。その社会が、国家を忌〔い〕み嫌い、祓い〔はらい〕のけてきたからである。国家という災厄を、封じ込めてきたからである。
 つまり政治は、国家以前にも存在するのであって、国家は、政治のとりうる形態のひとつにすぎないのだ。ようするに国家は、クラストルによって、その玉座〔ぎょくざ〕から転げ落ちたのだ。
 * * *
 ピエール・クラストルの『グアヤキ年代記』に感銘をうけ、英語に翻訳して序文まで書いたのが、若き日の小説家ポール・オースターだった(Chronicle of the Guayaki Indians, 1998)。
 「〔『グアヤキ年代記』の〕何の気取りもない直截さ、人間らしさに私は打たれた。……自分がこれからずっと追いつづけるにちがいない書き手に出会ったことを確信した。……この本を好きにならないのはほとんど不可能だと思う。じっくり丹念に練られた文章、鋭利な観察眼、ユーモア、強靱な知性、対象に注がれた共感、それらすべてがたがいに補強しあって、重要な、記憶に残る書物を作り上げている……彼〔クラストル〕はめったにいない、一人称で語ることを恐れぬ学者である。」〔『トゥルー・ストーリーズ』、柴田元幸訳、新潮文庫、298-307頁〕
 * * *
 本書『国家をもたぬよう社会は努めてきた』の「序文」のなかで、フランスの政治哲学者ミゲル・アバンスールは、クラストル以前と以後を分かつポイントを、3つあげている。
 【1】「なき〔不在〕」から「抗する〔対抗〕」への移行。いわゆる未開社会は、国家なき社会なのであるが、そのゆえんは、欠如や欠損ではなく、国家の拒絶である。したがって、それは「国家なき社会」というよりは「国家に抗する社会」である。
 【2】威信は与えられているが権力をもたない首長の存在。人々は、首長の言動に目を光らせている。特権への意欲が権力への欲望に転化しないよう、注意を払っているのだ。
 【3】国家はあらゆる歴史の地平ではない。「国家に抗する社会」から出発して「国家のある社会」を見ていくことが重要になる。
 * * *
 そしてアバンスールは、次のように述べて「序文」を締めくくっている。
 「この声に耳をかたむけよう。自由であり、かつ他者の自由を求める、一人の人間の声。アチェの夜の歌に耳をかたむけ、ラ・ボエシやルソーに耳をかたむけ、災厄以前の「あたらしい人間」に耳をかたむける、一人の人間の声。こうした声のすべてが、ピエール・クラストルのユニークな声とからまりあいながら、共鳴している。」
 * * *
 本書は、クラストルへのインタビューを通じて、彼の著作が人文社会科学全般にもたらした強烈なインパクトを紹介している。クラストルの人類学を知りたい人に、うってつけの入門書である。

目次

・ミゲル・アバンスールによる序文「ピエール・クラストルの声」
・ピエール・クラストルへのインタビュー
・訳者による解題「断絶のパッション――ピエール・クラストルとその「事後効果〔アフター・エフェクツ〕」
・索引/訳者あとがき

前書きなど

 わたしは民族学者です。ということはつまり、わたしの研究対象は未開社会であり、もっと絞り込めば、南アメリカです。わたしはフィールド調査を、すべてそこでおこなっています。
 さて、ここでは民族学ないし人類学内部の区別からはじめましょうか。未開社会とはなんでしょうか? それは国家のない社会です。国家のない社会を対象とすることは、必然的にそれとは異なる社会、つまり国家のある社会を対象とすることです。問題はどこにあるのでしょうか? それのどこが、わたしの関心を惹〔ひ〕くのでしょう? なぜわたしは、それを考察の対象とするのでしょう?
 わたしには国家のない社会がなぜ国家のない社会であるのかが不思議なことなんです。そして、未開社会に国家がないとしたら、その社会が国家を拒絶する社会であり、国家に抗する社会だからであるようにおもわれるのです。未開社会における国家の不在は、欠如の反映なのではありません。
 なぜ国家が不在なのか。
 その社会がいまだ未熟な段階だから、不完全だから、というわけではないのです。あるいは、規模が小さすぎるからというわけでも十分に発達していないからというわけでもありません。
 なぜ国家が不在なのか。
 それはまさしく、その社会が広い意味での国家、すなわち権力関係というミニマルなかたちで規定されるような国家の拒絶の結果なのです。
 したがって、国家のない社会ないし国家に抗する社会について語ることは、国家のある社会について語ることでもあるわけですが、予見しうる筋道を必然的にたどるがごとき移行は存在しないということになります。この移行に由来する問いがあります。つまり、国家はどこからやってきたのか、国家の起源とはどのようなものか、といった問いです。しかし、そこには二つのまったく異なる問いがひそんでいるのです。つまり――
 ――未開社会はどのようにして国家をもたぬように努めていたのか?
 ――国家はどこからやってきたのか?
 という二つの問いです。〔本書27-28頁より〕

版元から一言

 未開社会とはなんでしょうか? それは国家のない社会です。では、国家のない社会はなぜ、国家のない社会なんでしょうか? それは、その社会が国家を拒絶する社会であり、国家に抗する社会だからなのです。つまり、その社会が、未熟な段階だから、不完全だから、というわけではないのです。あるいは、規模が小さすぎるからというわけでも、十分に発達していないからというわけでもないのです。
 となると、この未開社会はどのようにして国家をもたぬように努めていたのか?という疑問が浮かびます。また、国家はどこからやってきたのか?という疑問もあらたに生じます。
 フランスの人類学者ピエール・クラストルは、これらの問いについて、現地で実際に調査して考えつづけました。国家のない社会とか国家に抗する社会について考えることは、国家のある社会について考えることでもあるわけです。国家に抗する社会から出発して、国家のある社会を見ていくことが重要になってきます。
 この本は、「国家ってなに? 必要なの?」と疑問におもっている人に、うってつけの入門書です。なにしろ、「国家はあらゆる歴史の地平ではない」のですから。

著者プロフィール

ピエール・クラストル  (クラストル ピエール)  (

ピエール・クラストル〔著者〕1934年パリに生まれる。フランスの人類学者。ソルボンヌ大学でヘーゲルとスピノザを研究し哲学を修め、1956年以降、クロード・レヴィ=ストロースの学生として人類学の研究をはじめる。さらにアルフレッド・メトロの指導のもとに南アメリカをフィールドにした政治人類学研究を開始。その後、高等研究院教授となる。1977年7月、その影響力のきわみにあるなか、自動車事故によって他界した。日本語に翻訳された著作として、『グアヤキ年代記――遊動狩人アチェの世界』(毬藻充訳、現代企画室、2007年)、『国家に抗する社会――政治人類学研究』(渡辺公三訳、水声社、1987年)、『大いなる語り――グアラニ族インディオの神話と聖歌(毬藻充訳、松籟社、1997年)、『暴力の考古学――未開社会における戦争』(毬藻充訳、現代企画室、2003年)がある。

酒井 隆史  (サカイ タカシ)  (訳・解題

酒井隆史〔訳・解題〕1965年生。大阪府立大学教員。専門は社会思想、都市史。著書として、『通天閣――新・日本資本主義発達史』(2011年、青土社)、『暴力の哲学』(2004/2016年 河出文庫)、『完全版 自由論――現在性の系譜学』(2001/2019 河出文庫)など。訳書として、デヴィッド・グレーバー『負債論――貨幣と暴力の5000年』(共訳、2016年、以文社)、『官僚制のユートピア』(2017年、以文社)、『ブルシット・ジョブ――クソどうでもいい仕事の理論』(共訳、2020年、岩波書店)。アントニオ・ネグリ&マイケル・ハート『〈帝国〉――グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性』(共訳、2003年、以文社)。マイク・デイヴィス『スラムの惑星――都市貧困のグローバル化』(共訳、2010年、明石書店)など。

上記内容は本書刊行時のものです。