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てぃーだの花
比嘉正子、その愛
- 出版社在庫情報
- 不明
- 初版年月日
- 2026年11月12日
- 書店発売日
- 2026年11月6日
- 登録日
- 2026年9月3日
- 最終更新日
- 2026年10月19日
紹介
社会福祉法人都島友の会の創設者、比嘉正子は明治38年3月5日、沖縄・首里城を望む金城町の造り酒屋の末娘として生まれた。
成人した比嘉正子が大阪都島の公園で始めた「青空保育園」。
その精神は、そのご彼女が推し進める保育事業の礎となり、比嘉正子は日本の保育のパイオニアと呼ばれた。
戦前・戦中・戦後、そして高度経済成長期を通じ、常に生活者や弱者の視点に立った先進的な社会事業の取り組みは、政財界をも動かした。
保育と社会福祉は地域と共にある。という比嘉正子の精神と軌跡は、今も脈々と地域に継承されている。
そんな史実に基づく、気宇壮大な比嘉正子の実像が本書に!
●当時、各界の人が見た比嘉正子の実像●
※元東京都知事 故;石原慎太郎氏
「彼女の虚飾のない発言と行動は、今日の日本の自覚をもった主婦の新しい典型をつくった」
※元朝日放送社長 故:原 清氏
「彼女のもつ行動力の大きさと強さは、時に底知れぬほど痛快」
※元関西電力株式会社社長 故:芦原義重氏
「非をなじり、是を迫る比嘉さんはバイタリティにあふれておられ、信念と闘志の固まりであった」
※評論家 故:入江徳郎氏
「信念、闘志、しぶとさ、あっぱれの女丈夫である」
※故:渡辺美智雄氏
「比嘉さんの社会のためになることなら、どんな権力にも屈せずやり遂げるという男勝りの信念」
■目次■
序
第1章 未知への扉
第2章 青い情熱
第3章 突然の始まり
第4章 館(やかた)を建てる
第5章 軍靴の足音
第6章 子どもは国の宝
第7章 もう一つの道
第8章 逝きし者への愛を生者への愛に
第9章 一つの根から育つ二本の幹
第10章 地域の生活を支える
第11章 先駆けて走る
第12章 福祉の仕事は社会づくり
終 章 てぃーだの花
前書きなど
「 序 」
蒼天に向かって「生まれてきたよ」と告げているような産声が渡嘉敷家の屋敷中に響いた。風が吹いて庭に咲くひまわりや鉄砲百合、山丹花が揺れた。光溢れる青空のもと、艶やかな緑の中で黄色や白や真っ赤な花たちが新しい生命を祝って踊っているようだった。
1905(明治38)年3月5日、首里城を望む金城町の造り酒屋に末娘が生まれた。
つつがない成育を祈る風習で、幼名「かまど」と名づけられた。成長し「周子」となり、後に自ら「正子」と改名する。正子というのは彼女が筆名として用いていた名で、公の場での呼び名だった。日本の消費者運動の生みの親と呼ばれ、また日本の保育を切り開いたパイオニアとして名をあげられる「比嘉正子」その人だ。
正子の生家、渡嘉敷家は代々、琉球士族として王府に泡盛を納める造り酒屋を営んでいた。正子が生まれた1905(明治38)年は日露戦争による需要で、泡盛造りが厳しい冬の時代の到来を前に大輪の花を咲かせている頃だった。正子が生まれて半年ほどで日露戦争は終わり、渡嘉敷家は斜陽の時を迎えた。
正子が尋常小学校の高学年になろうとする頃、父渡嘉敷宗重は廃業を決めた。代々受け継いだ土地を少しまた少しと手放して何とか続けてきた家業だったが、家屋敷と酒蔵だけは失ってはならないと断腸の思いでの決断だった。
宗重はそれまで泡盛造りの傍らで続けていた畑仕事に専念し、母親は家計の柱になるほどの気構えで朝から晩まで機を織った。酒蔵の煙突から煙が消えて、代わりに機織りの音が響く家で幼い正子は、これがいつか大人たちが言っていた、貧乏のどん底というものだろうかと考えた。
かつて琉球王府の科挙を目指して学問に打ち込んでいた父親に似たのか、正子は学ぶことが好きだった。友だちと駆け回って遊んでいるときとは別の楽しさがあった。知るということは楽しかった。一つ知れば十の知らないことが現れた。次々と現れる知らないことは正子の好奇心を刺激した。まだ見ぬ世界への扉を開いてくれる学問というものは魅力的だった。
そんな正子に尋常小学校の教師は進学を勧めた。しかし正子は、それは無理な話だと思っていた。三人の姉たちは家計を助けるために尋常小学校を卒業後、奉公に出ていた。そんな状況にある家で自分だけが上の学校に進めるわけがない、自分も姉たち同様、尋常小学校を出たらすぐに奉公に出るのだと腹をくくっていた。
しかし父や教師が正子に進学の道を開いた。そして自分の将来を照らそうとしてくれる思いに応えて、正子も進路を切り開いた。
思春期になった正子は、社会をつくるような仕事をしたいと将来へのあわい夢を思い描いた。思いきり夢に向かって突き進むことのできる広い世界へ飛び出したいと願った。その願いへの道の遠さに胸を焦がす正子の前に、また扉が現れた。正子は迷わずその扉を開き、新しい世界へ飛び出した。その後も、正子の前にはいくつもの扉が現れた。時に重く、時に固い扉を、その度に正子は強い意思と行動力で開き、信じる道を突き進んでいった。正子を信じる周囲の力に支えられて。
「人の人生はどんな恩師に出会うかで決まる」
自分の半生を振り返ったある日、比嘉正子はそう言った。
斜陽を辿り困窮していく家にあって、正子は周囲の力を借りて自分の道を切り開いていった。そして人生の扉を見つけ、その扉を押し開ける力になってくれる師たちとの出会いがあった。
思春期の正子は、社会をつくるような仕事がしたいと将来を夢見た。そして正子は時に回り道をしながらその夢を叶えた。
「どうこうあろうと子どもたちは平等だ」
それが社会事業家比嘉正子の核にある思いだった。家庭の事情がどうこうあろうと、子どもたちには平等に、将来を開く扉があらねばならない。完璧に平等な世界をつくることは夢想に近いかもしれない。けれどどの子どもにも、将来を夢見て、その夢に向かって力をふるうチャンスは平等にあるべきだ。そしてそういう環境を整えることが、正子の考える社会づくりだった。
自分自身が周りの大人たち、恩師たちの支援によって将来への扉を開いてきたように、一人でも多くの子どもたちに、将来の扉を開くチャンスをもたらしたい。
正子は保育事業に進んだ。将来への扉を見つける力、その扉を開く力、そしてその先に道を切り開いていく力を、子どもたちの内に養い育てていく保育と教育に心血を注いだ。子どもたちを守り育てていく環境を整えるため、保育を軸に地域社会づくりに力を尽くした。
「未来はあなたたちのもの」と、子どもたちへの詩に比嘉正子は書いた。
今を生きる子どもたちの未来を明るいものにするために、将来の子どもたちが生きる社会に希望を遺すために。
「どうこうあろうと子どもたちは平等だ」という思いを、願う言葉にとどめず現実にするために生き抜いた人、比嘉正子。その愛と情熱の物語です。
版元から一言
比嘉正子は1992年11月に87歳で亡くなるまで、「ゆりかごから墓場まで、すべての人が健康で文化的な生活を送れるように」という情熱を燃やし続けました。
彼女が蒔いた種は、現在の「社会福祉法人 都島友の会」が展開する保育・高齢者福祉事業として今も地域に受け継がれています。
上記内容は本書刊行時のものです。





