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歌声の共同体
ドイツ青年音楽運動の思想圏
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2022年2月15日
- 書店発売日
- 2022年2月22日
- 登録日
- 2022年1月27日
- 最終更新日
- 2022年2月16日
書評掲載情報
2023-02-28 |
総人・人環フォーラム
41 評者: 高岡智子 |
2022-07-09 |
図書新聞
2022年7月16日号(3551号) 評者: 穴山朝子 |
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紹介
集い共に歌を歌うことで人間的なつながりを取り戻そうとする〈音楽による共同体〉は何を夢見ていたのか。歴史、文化、政治思想からドイツ青年音楽運動の多層性を検討する。
目次
はじめに
序論 ドイツ青年運動と音楽―ドイツ青年運動概略史
1 ヴァンダーフォーゲルの勃興から1913年の自由ドイツ青年大会まで
2 ヴァイマル共和国期における「同盟青年」
3 ドイツ青年運動の一傍流としての青年音楽運動
第1部 歴史的検討
第1章 1930年代初頭の評価
はじめに
1 青年音楽運動における1933年の協議および政治的決定
2 青年音楽運動における「マルクス主義」批判とその応答
3 1933年および1934年における政治的決定と態度表明
おわりに
第2章 第二次世界大戦後の評価
はじめに
1 否定的評価―ナチズムに帰結する青年音楽運動
2 肯定的評価―音楽教育における今日的意義
3 問題点と課題―歴史的位相の捨象
4 ヴァイマル共和国期における青年音楽運動の歴史的位相の解明のために
おわりに
第2部 文化論的検討
第1章 指導者論―フリッツ・イェーデと「導かない指導者」
はじめに
1 20世紀前半のドイツにおける指導者概念
2 イェーデにおける指導者概念―導かない指導者
3 イェーデにおける共同体モデル―親密圏を構築する場としてのドイツ青年運動
4 イェーデとヴィネケンの共通点と相違点―青年観、指導者概念、共同体モデル
おわりに
第2章 共同体論―共同体の様々な「かたち」
はじめに
1 イェーデにおける〈可能世界〉
2 ゲッチュにおける〈可能世界〉
3 フライヤーにおける〈可能世界〉
おわりに
第3章 聴覚論―「聴くこと」の可能性と限界をめぐって
はじめに
1 青年音楽運動とその歴史的評価
2 ヴァルター・ヘンゼルの聴覚論―原運動を聴き取る耳
3 ハンス・フライヤーの聴覚論―共振/共同する耳
おわりに
第4章 技術論―文明批判における音響メディアの利用
はじめに
1 レコードについての評価とその変遷
2 ラジオについての評価とその変遷
3 1950年代の技術論
おわりに
第3部 政治思想的検討
第1章 「共に在ること」から「同一性」へ
はじめに
1 イェーデの時代認識―アトム化する社会と関係性の分断
2 共同の音楽実践における「共在」の位相
3 「共在」の位相において開かれる関係性―コミュニティアートとの関連を中心に
4 共同の音楽実践における「統一性」の位相
5 「統一性」の位相において閉じられる関係性
おわりに
第2章 境界線を再編制する「青年音楽」
はじめに
1 『ドイツの青年音楽』出版前後の歴史的背景
2 「歌の祝福」と「歌の呪い」
3 回顧録に託される「第三帝国」の未来像
おわりに
第3章 青年音楽運動における「民主主義」と「保守主義」
はじめに
1 シュミットにおける「民主主義」
2 イェーデにおける「民主主義」と「保守主義」
3 「民主主義」という概念をめぐって
おわりに
補論 『ギター弾きのハンス』と民謡の「再発見」
はじめに
1 ヴァンダーフォーゲルにおける民謡の受容と『ギター弾きのハンス』
2 考察における基本的視座
3 『ギター弾きのハンス』における序文改訂
4 自由ドイツ青年大会における未来像
5 〈ドイツ的なもの〉と〈普遍的なもの〉のアマルガムとしての民謡
おわりに
結論 ドイツ青年音楽運動の多層性と歴史的帰結をめぐって
あとがき
初出一覧
参考文献一覧
人名索引
事項索引
前書きなど
●本書「はじめに」より(抜粋)
もちろん、青年音楽運動に関して、その歴史的文脈を不問に付し、美学的観点から彼らの音楽活動を切って捨てることも、現在の高みからナチズムとの親和性を言い立てることも可能だろう。あるいはそのような歴史的背景を抜きにして、音楽教育における現代的アクチュアリティを抽出することも可能かもしれない。
しかしこのような理論的考察は、そこに生きた生身の人間をどこか置き去りにしているのではないだろうか。
この写真を見る限りにおいて、彼らは二〇世紀前半のドイツという、われわれから地域的にも時代的にも遠く離れた「他者」でありながら、同時に仕事や学業に励みつつも時に音楽に興じる、われわれと「同じ」生身の人間であったように思われる。それならば今一度、その帰結を知るわれわれによってレッテルづけされた「教養市民層」として、あるいは「ナチ前史を生きた人々」としてではなく、白紙であったはずの未来をよりよいものにしようと奮闘した「普通の人々」として、すなわちラインハルト・コゼレックのいうように、積み重ねられた過去の集約として未来を拓く礎となる「経験の領域〔Erfahrungsraum〕」と、未だ経験されていない未来への様々な可能性を開く「期待の地平〔Erwartungshorizont〕」の交差する「現在」において、そこにある生と歴史を紡いだ人間として、彼らを見つめ直すことが必要なのではないか。
そのうえで、彼らが「共に音楽をする」ことに何を見出したのか、そして、それがドイツの歩みとどのように連関し、何をもたらすことになったのかを今一度再検討すべきではないか。この問いかけが本書の出発点であり、また本書を貫く研究方針である。
本書は六つのパートによって構成されている。序論では、青年音楽運動の母胎となるドイツ青年運動の流れを概略するとともに、この運動における青年音楽運動の位置を確認する。第一部では、青年音楽運動に関するこれまでの評価を振り返るとともに、上記の問題関心から考察を進めるにあたって必要な基礎的観点を提示する。そのうえで、第二部では、指導者論、共同体論、聴覚論、技術論という四つの観点から青年音楽運動を考察し、その運動の多層性を立体的に浮き彫りにする。第三部では、第二部における研究の成果を踏まえながら、その政治的評価について改めて検討する。補論では、本論で扱うことのできなかったドイツ青年運動の黎明期である一九一〇年代のヴァンダーフォーゲルと音楽の関連について、歌謡集『ギター弾きのハンス』(一九〇八年)を中心とした民謡の理念について考察する。そして結論では、本書の成果を振り返るとともに、その総括を試みる。以上の手続きによって、青年音楽運動の思想圏とその射程を浮かび上がらせることができるだろう。
上記内容は本書刊行時のものです。