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那岐山への旅
名付けの世界
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2004年10月
- 書店発売日
- 2004年10月25日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2010年9月22日
紹介
岡山県にあり、かつて美作と因幡の国境の山、「那岐山」。ふもとの神社は諾神社と那岐神社、町と村の名は奈義町と旧那岐村、川は名義川、池は那岐池などがあり、奈癸、奈岐、奈木、奈義、那岐、那義 那木、名木、諾、薙、泣など、いく通りもの表記がある「なぎ」。この「那岐山」の謎に迫るべく、旅は始まった……。
目次
旅のはじめに
第一章 泣き山
1 背比べする山
2 薙ぎ山
3 さんぼたろう
4 なぎ神社
5 表記された「なぎ」─郷土史から
6 神々の坐す山
7 菅原三穂太郎満佐
8 『古事記』の中の伊耶那岐
9 神々の集う那岐山
第二章 梛と蛇
1 分祀される神々
2 なぎ神社といざなぎ神社
3 さまざまの「な」木
4 梛の木
5 梛を名に有つ神社
6 縁結びの梛の葉
7 さんぼたろうの母
8 殺される大蛇
9 大蛇の正体
10 なぎ─蛇の古語
11 蛇山─那岐山
12 さんぼたろうとさんぶたろう
第三章 隠れる「なぎ」─伊耶那岐と蛇─
1 大山に迫る影
2 大国主の命の系譜
3 『古事記』の須佐之男と『風土記』の須佐之男
4 消される伊耶那岐
5 国譲り
6 高天の原の三使者
7 事代主の命
8 建御名方の神
9 愛される大国主
10 嫌われる蛇たち
第四章 顕われる「なぎ」─那岐と奈義─
1 またしても「なぎ」とは
2 いざ・なぎ、いざな・き、いざ・な・き
3 神蛇としての伊耶那岐の神
4 海人族の進出
5 伊耶那岐・伊耶那美を祀る神社
6 山間地に住み着く人々
7 さんぼたろうの誕生
8 忘れられるさんぼたろう
9 那岐山と諾山
10 奈義山
旅のおわりに
あとがき
前書きなど
旅のはじめに
一九九三年四月二八日(水)勤務の後、淡路島に渡り、伊弉諾神宮に参拝する。翌二九日が祝日、一日ゆとりができ、かねてからの思いを果たそうと思ったのである。
淡路島は伊耶那岐命と伊耶那美命がご夫婦になって最初に生んだ島である。この島には今も伊耶那岐命が隠れているとし、神宮でお祀りしている。なお、伊耶那岐はイザナキと清音にではなくイザナギと濁音に訓むとする説もある。私にはどちらが正しいかを決める力がない。ただ、この旅では、ナキ・ナギをめぐる問題が、主題の一つになる。性急に一方に決めることはしないでおこう。文脈に応じて、ナキともナギとも訓むことにする。あるいは単に曖昧さのなかで翻弄され、いたずらな道草に終わるかも知れない。
『古事記』と『日本書紀』とでは、伝えるところが少し異なる。二神が最初に生んだ島の呼び方は、『記』が淡道之穂之狭別の嶋、『紀』が淡路洲、と異なるが、どちらも淡路島に比定されている点では同じである。しかし、伊耶那岐命が隠れたところということについては、『記』では淡海の多賀とし近江の国に比定され、『紀』では淡路の洲とし淡路島に比定されている。ただし、『記』にいう淡海とは淡路の誤りとする説もある。いずれにせよ、淡路島が古代神話で最重要地の一つであることには異論がないであろう。
『記』『紀』から引いておこう。まず、『古事記』における伊耶那岐命と淡路島との関わりをうかがわせるところを引こう。
「伊耶那岐の命先ず、『あなにやし、えをとめを』と言ひ、後に妹伊耶那美の命『あなにやし、えをとこを』と言ひき。かく言ひ竟へて、御合ひまして生みたまへる子は、淡道之穂之狭別の嶋。」(西宮一民校注 『新潮日本古典集成 古事記』 新潮社 三〇頁。『古事記』からの引用は断わりのない限り本書による。)
「伊耶那岐の大神は淡海の多賀に坐す。」(『古事記』 四四頁)
つぎに『日本書紀』から引いておこう。
「陰陽〔伊奘冉尊と伊奘諾尊〕始めて遘合して夫婦と爲る。産む時に至るに及び、先ず淡路洲を以て胞とす。」(坂本太郎・家永三郎・井上光貞・大野晋校注 『日本古典文学大系 日本書紀上』 岩波書店 八一頁)
「伊奘諾尊、神功既に畢へたまひて、霊運當遷れたまふ。是を以て、幽宮を淡路の洲に構りて、寂然に長く隠れましき。」(『日本書紀上』 一〇二頁)
神名表記が、『記』と『紀』で異なるが同一神を指すものとしよう。
『記』『紀』から引いたものの、私が惹かれたのは国生みの島、幽宮の島である淡路島そのものではない。私は神話そのものにあこがれ、現実を忘れる程のロマンティストではない。また神話そのものを疑い、現実しか見ないレアリストでもない。忘れるにはあまりにも俗物であり、疑うにはあまりにも無智である。しかも生まれてこの方、いまだかつて故郷の山、那岐山(古くはなぎのせん)を一年と見ないで過ごしたことはない。生まれた家は出たものの、いまなお故郷の山々を望むことのできるところに住んでいる。いつも私をとらえて放さないのは那岐山である。淡路島に出かけたのは、那岐山と伊耶那岐命と淡路島の三者の間に何かつながりがあるのではないかと思ったからである。旅の目的は淡路島ではなく那岐山である。旅の向きは外へではなく、内へである。旅の報告を故郷の山から始めることにしよう。
版元から一言
岡山県にあり、かつて美作と因幡の国境の山「那岐山」の「なぎ」という名をめぐる旅の物語。前作『揖保川-矢田川を歩く』の続編。
上記内容は本書刊行時のものです。