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NOヘイト! カウンターでいこう!
- 初版年月日
- 2015年11月
- 書店発売日
- 2015年10月28日
- 登録日
- 2015年9月7日
- 最終更新日
- 2016年5月25日
紹介
「のりこえねっと」は、2013年9月に設立されました。すさまじい勢いで増殖するヘイトスピーチやヘイトデモに対するカウンター行動にも取り組み、2年間にわたって「のりこえねっとTV」を毎週放送しています。また、国連でもヘイトスピーチは禁じられるべきだという見解が出されています。いまや「カウンターでいこう!」というアクションをひっぱっています。
「のりこえねっとTV」から、選りすぐりのアーカイブを1冊にまとめました。
目次
プロローグ 一緒に生きよう──辛淑玉(のりこえねっと共同代表)
1 サッカーと愛国とレイシズム
木村元彦(ノンフィクションライター)
清義明(ジャーナリスト)
安田浩一(ジャーナリスト)
2 ヘイトする人々の精神分析
香山リカ(精神科医)
辛淑玉
3 ルイシャムの戦いに学ぶ
野間易通(C.R.A.C.)
横山純(神戸大学大学院国際文化学研究科博士課程在籍)
4 もう、次の世代には闘わせたくない
李信恵(ジャーナリスト)
北原みのり(作家)
5 差別表現とヘイトスピーチ
小林健治(にんげん出版代表取締役)
辛淑玉
6 ヘイトスピーチと宗教
釈氏政昭(真宗大谷派前住職)
辛淑玉
「のりこえねっと」とは?
前書きなど
プロローグ 一緒に生きよう──辛淑玉(のりこえねっと共同代表)
まず、この本を手にした在日(なんらかの形で朝鮮半島に出自を持つ人たち)とその家族に、伝えたい。
死ぬな。
絶望するな。
出会い損なうな。
そして、私たちがともに暮らすこの社会が壊れていくことに胸を痛め、びびりながらもヘイト(憎悪・殺人扇動)の前に立ちはだかり、「NO」の声を上げ続けている人たちに伝えたい。
私たちは、いま、
確実に流れを変えていると。
そして、この社会を、ほんとうの意味での「共に生きる民」の社会にしていかなくてはならないと。
2013年9月にのりこえねっと設立の記者会見をし、翌14年1月、レイシストたちが集中的に攻撃を浴びせていた新宿区新大久保に事務所を構えた。
私がレイシストたちに囲まれたのは2007年が最初だった。十数人が私を囲んでものすごい勢いで罵倒を始め、そのまま数百メートルにわたってついてきた。異常だった。
その中に着物姿の女性もいるのを見て、エッと思った。
その後、彼らの勢いはさらに増した。
2013年には、「お散歩」と称してコリアンタウンの店を襲撃し、買物客まで脅し、果ては「良い韓国人も悪い韓国人も殺せ!」と、憎悪に満ちた殺人扇動を白昼堂々行うようになった。
ターゲットにされた在日は恐怖と絶望の中に落とされ、多くは沈黙を強いられた。
当時、のりこえねっとを立ち上げるにあたって、積極的に賛同してくれた同胞は皆無だった。多くは、「(危なすぎるから)相手にするな」「在日は経済活動だけやっていればいい。政治に口を出してはいけない」と、私の身を案じながらも、反対を口にした。
彼らが弱いのではない。
長年日本社会で生きてきた経験が、そのような言葉となって出てくるのだ。しかし、それがなぜなのかを知る人は少ない。
たとえば、「玄界灘にぶち込め!」も「あなたの祖国にお帰りください」も、実は同じ衝撃を与えているということ。そして、レイシストの頂点である安倍政権に対峙する中で出てくる「国民なめるな」「戦後70年平和だった日本」といった言葉が示す歴史認識の欠落が、「戦後レジームからの脱却」を叫ぶ安倍と瓜二つに見えるということ。
若い人たちが反安倍政権の闘いを始めたのは、人間として許せないという思いからだろう。それは賞賛に値する。また、近現代史を理解してから闘う余裕がなかったのも仕方がない。私たちと同じレベルの認識を持てというのは非現実的だろう。
しかし、運動が盛り上がるとともに露わになった「国民国家」意識に、マイノリティはさらに打ちのめされているのだ。
そうなるのは、日本社会が犯し続けてきた罪、加害者としての歴史を知らなすぎるからだ。歴史認識は安倍だけの問題ではない。反安倍側も、こと植民地や足元の在日に対しては、安倍とほとんど変わらないほど無知と言っていいくらいだ。
「在日」が60万人いるといっても、日本の1億3000万の中では、圧倒的な少数だ。見ようとしなければ見えない存在と言ってもいい。しかし私たちは、この社会で、「日本人」と共に生きて来たし、今も生きている。これからも、ここで生きていくのだ。
そのために、私が、この間、感じたことを書こうと思う。
「表現の自由」を叫ぶ知識人は罪深い。
憎悪扇動の法規制を求める私に対して、表現の自由を損なうとして反対する学者が跡を絶たない。言論で対抗しろと言う人たちは、社会的に対等な立場でない者にとって、それがどれほど苦痛を伴い、ダメージが大きいかを理解する想像力に欠けている。
だから私は、現場にも来ない、貧乏の経験も修羅場の経験もないエリートは嫌いなのだ。
「殺せ」と叫ぶのが表現の自由で、それを止めさせるのは「表現の自由の侵害」なのか。そうではない。殺人扇動のほうが生存権への侵害なのだ。
そう言うと、あなたは十分に発言しているし、言いたいことを言っているではないかと揶揄する輩がいる。生意気な女が嫌いなのだろう。まず、みんなが「辛淑玉」ではない。そして、私が傷ついていないと思いたがるのは、マジョリティの傲慢さの表れだ。
法規制を許すとかえって弾圧が強まり、あなたちももっとひどい目にあいますよと脅す輩もいる。本当にたちが悪い。マジョリティにまで被害が及ばないよう、お前たちはこのまま我慢して殺されろと言っているに等しい。
ヘイトの被害は、すぐには見えないのだ。だから、ターゲットにされた者の心と身体がどれほど蝕まれるか、多くの人は想像できていない。
憎悪攻撃を受けた者が、そのとき恐怖を覚えるだけでなく、思い出すたびに動悸がしたり、悪夢にうなされたりし、ついには精神疾患になったり自死するほどの精神的苦痛に苛まれることは、多くの文献でも紹介されている。しかし、哀しいことに在日は、差別や排除を、生まれる前の親や祖父母の代から日常的に浴びせられてきたのだ。マジョリティから見れば「ささいな」差別の積み重なった上に「在日」の今がある。そのために、すぐに反応しないという耐性もまたできていると言える。
先日も、ある殺人事件の報道で、「こんなひどい殺し方をするのは日本人とは思えません」と司会者が語っていた。じゃ、なに人ならやると言うのか。
「犯人は外国人風」から始まって、災害が起きれば「韓国人や中国人が集団で強盗している」「遺体の指を切って指輪を盗んでいる」といった噂・デマが流れる。ホテルに泊まろうとするとパスポートを出せと言われ、持っていないと言うと外国人登録証を出せと要求される。宅配のバイトに応募すれば「うちは外国人は採用しない」と門前払いを受ける。外国人住民票ができる前は、一部集住地域をのぞき成人式の案内も敬老の日の案内も届かなかった。近所じゅうで、自分の家にだけ届かないのだ。
公団住宅や都営住宅に申し込めるようになったのはだいぶ後の話で、私が小さい頃は健康保険にも入れず、そのせいで治療が遅れ、さまざまな障害を負った者が多くいた。就職には今でも明白な差別がある。在日にとって社会上昇の手段だったのは医者だけで、後に弁護士も加わったが、未だに検察官や裁判官にはなれない。
そして今では、変な奴という意味で「チョーセン」という言葉が平気で使われ、小学生が嘘つきのことを「イアンフ」と呼ぶ。
国際児の息子が父親の前でつい「ったくチョーセンが」と口走り、在日の父親も凍りついたが、その姿を見て息子もまた凍りついたという話がある。それは、時がその時点で止まるということだ。その後、親子でどのような会話ができるだろうか。果たして、それでも会話が成り立つ親子がどれほどいるだろうか。
私が「士農工商犬猫ゴキブリチョーセンジン」と合唱されたのが小学生の時だったが、今も「ゴキブリチョーセンジンは殺せ」と言われる。「さっさと半島に帰れ生ゴミ」などと書かれたメールを受け取ることから一日が始まるのだ。
そして、こうしたすべてをこの国の政府をはじめ、多くの大衆が黙認し放置し続けている。そのことへの絶望感を、どれだけの言葉を費やして語れば理解してもらえるのだろうか。
私にも、数えきれないほどの被差別体験がある。嫌でもその中で生きなければならない以上、「あぁ、またか」「いつものことだ」と鈍感にならなければ家族を養うなどできなかったし、とうの昔に自死していたはずだ。
深く考えないようにするのは、脳をコントロールして傷つかないようにするためだ。差別の言葉を聞き流し、相手にしないようにして生きる術を、多くの在日が身につけた。だから、ターゲットとなった「在日」の心の傷が見えにくい。
しかし、身体は正直だ。
累積された恐怖が、生活のさまざまな場面で唐突に顔を出す。
生まれたときから排除されてきた存在は、トラウマもミルフィーユのように重なり複雑化する。あきらめが早かったり、なんでも否定的になるのはその結果だと私は思っている。抵抗しても、抗議しても、訴えても何も変わらないという空気は、残念ながら民族団体にも蔓延している。
その象徴が「ヘイトは日本の問題だから」という屁理屈だ。石原元東京都知事の「三国人発言」の時も、彼らが前面に出てきて闘うことはなかった。
一方で、在日の闘いを支援します、というトンチンカンな者も出てくる。
現場にも来ないで指示だけする人、あれをやれ、これをやれ、あいつがいるから嫌だのなんだのと、そんなマジョリティのわがままを、当然の如く、何も考えずに私にぶつけてくる。あげく、地方で頑張っている在日の友人たちに、「あなたはどうして辛淑玉さんみたいになれないの?」と言い出す始末だ。
マイノリティが闘わなければならないように仕立てあげ、責任転嫁が済んだらそのまま逃げる。こちらは、社会の中でも、運動の中でも、組織の中でも、特に女は家族の中でも、休むことなどできないほど追い詰められているのにだ。
家の中でヘイトを話題にすれば、家族もまた傷つく。二次被害が蔓延する。だから私ですら、家ではヘイトの話も差別の話も一切しないまま今日まで来たのだ。
分かち合うにはあまりにも負担が重すぎるし、先が見えない。その結果、どの家でも沈黙が支配する。解決のしようがないからだ。
そしてその不安は、必ず子や孫に伝わる。
日本名で生きてきた親の世代の苦しみは理解できなくても、そうしなければ生きていけない何かがあるのだという不安は継承される。
不安は、他者とのコミュニーケションや社会性を奪い取る装置だ。
そんな歴史の上に、憎悪の扇動が降りかかる。「殺せ、殺せ、チョーセンジン!」と。
社会からの圧力、そして親から継承された不安と沈黙。反対に、頑張らなければ生きていけないと教え込まれる重圧。そんな中、周りの日本人と何も違いはないと思い続けてきた梯子を外され、言葉もわからない、住んだこともない国に「お帰りください」と言われたら。ネット世代は、嫌でもそうした情報に触れずには生きられない。
私の母は遊園地が好きだが、花火が始まるとさっと席を外す。焼夷弾の記憶と重なるからだ(朝鮮人の子どもは差別ゆえ疎開がなされなかった)。人間というものは、そうやってトラウマを抱え込んで生きている。そして、その感情を察することが、子どもである私には求められ、うまく察することができないと母から叱られた。気がついたら、いつも母親の顔色をうかがう子どもになっていた。
在日として生まれた以上、家族のそれぞれが、なんらかの傷を負っている。ハリネズミのように、近づけばそのトゲで傷つけ合うのだ。私にとって、外も地獄なら家も地獄だ。
在日三世は、まだ一世の姿を見ているだけましだ。四世ともなると、もう日本以外に居場所などない。そんな存在が、ヘイトのターゲットにされることで受ける精神的ダメージは計り知れない。
知人によると、在日三世の自殺率は、いわゆる日本人の1・5倍~2倍だという。四世は、私の周りでもすでに四人が自死した。親が両方とも在日で知識人の家庭、父親が在日で母親が日本人の国際児など、その環境はさまざまだ。しかし、彼らは共通して死を選択した。
もちろん、死ぬには複合的な要因があるのだろう。しかし、自殺者比率の高さは、生きていくことの困難さの証拠だ。
安全な場所を探せず、逃げ場もないとしたら。
だからこそ、声を高くして言う。
死ぬな。
絶望するな。
あなたは、まだ、出会っていないだけだと。
のりこえねっとは、反ヘイトの活動では後発だ。しかし、多くの良心ある人たちと出会うことができた。
反ヘイトの本であっても、在日がこの手の本を読むこと、買うことは、それ自体、勇気がいることだろう。
でも、もし、手にとったら、読んでみて。
反ヘイトの闘いをしている人は、友達にも渡してみて。
私たちは、これまでも、日本の良心と共に生きてきた。そして、これからも共に生きていく。
だから、一人にならないで。
風は、確実に変わってきているから。
上記内容は本書刊行時のものです。