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迷走する両立支援
いま、子どもをもって働くということ
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2006年7月
- 書店発売日
- 2006年7月25日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2014年12月25日
紹介
※オンデマンド復刊いたしました(本体価格2800円)
格差と少子化。共働き家庭の増加。「家庭と仕事の両立支援」の掛け声とは裏腹に、仕事と子育ての狭間で苦悩する30~40代の女性たち。「両立支援」とは、誰のための、何のためのものなのか。日本とアメリカの職場の実態、制度のありようを描きだす。
目次
はじめに
I 部 彼女たちのいるところ
第1章 育児休業、その後──退職へと誘われる母親
「この疲れは、なんなのでしょうか」/彼女たちがいるところ/「私はわがままなんでしょうか」/氷河期世代の疑問/「こんな生活、意味あるんですか」/ワーキングマザーとよばれて/「育児が退職理由ではないんです」/退職理由にこめられたもの/「戻ってきても仕事はない」/育児休業法はなにを守ってくれるのか/「私と彼女たちの違いは、なんなのでしょう」/彼女たちの行きつくところ
第2章 夫と妻と子育てと──ジレンマの在りか
「夫はなにをひきうけてくれるんでしょうか」/やさしさと愛情の代償/夫の転勤/「いやだとは言えなかった」/夫の単身赴任が妻につきつけるもの/「夫の背中を見送りながら、ずるいと思う」/夫の「育児」、妻の「育児」/夫婦がむきあうということ/子どものいる暮らしへの助走/「母親は家に」というお約束/家事・育児をしない夫が失うもの
第3章 働く親は「市民」になれるか──親のニーズと保育所再編
「住民って、だれのこと?」/進む保育再編計画──広島県府中市/なにも知らない親たち/加速する保育民営化の陰で/届かない「住民」の声/親の「ニーズ」の正体/年度途中の民間委託──東京都練馬区/「なんのための話しあいだったんだ」/子どもとの時間を返してほしい/だれのための住民参加?
II 部 アメリカの模索
第4章 「両立支援」とはなにか──経営戦略、多様な家族観、性差別禁止
「企業として当然のこと」──ファニー・メイ/経営というボトムライン/「企業間競争に勝ちぬく」──インテルの挑戦/三つのダイナミズム/家族の多様化と母親への着目/経営上のメリットという観点/ワーク・ライフ? それともワーク・ファミリー?/"バランス・モデル"を超える──家庭と仕事をとらえるあらたな枠組み/なおも残る疑問/「モデル雇用者」としての国/性差別禁止──国による強い規制と職場改革
第5章 ワーク・ライフ・バランス──アメリカの光と影
「彼女は別格」/『窒息するオフィス』の世界とワーク・ライフ/働く親へのプレッシャー/あらたなサービスと消費のサイクル/タイム・インダストリー──時間を買う/つぎはぎの保育システム/選べない保育/ふくれあがる待機児童/
矛盾の連鎖──キャリア女性と外国人ナニー/保育者の挑戦をはばむもの/保育者の労働条件がうみだす悪循環/効率と生産性への対抗──公共バス運転手の闘い/「ワーク・ライフを私たちの手に」──労組SEIU/「底辺に目をむけろ」──労働運動再編のなかで/企業と労組の連携──育児・介護基金の発足/子どもに保育を──警察官の訴え/逆風と連携と──全米初のFMLA有給化
III 部 両立のゆくえ
第6章 すれちがう両立支援──少子化と男女共同参画と
いらだつ母親たち/育児休業取得率と残業と/わが社は「ファミリー・フレンドリー」/「両立支援」と「女性活用」はどんな関係にあるか/二つの取り組み、二つの評価/育児休業を利用できる企業と、管理職になれる企業と/諸外国の両立支援のルール──前提としての性差別禁止/弱い、国の規制──住友男女差別訴訟から/間接差別──進まない均等待遇のルールづくり/
少子化対策としての両立支援/異なる対応──次世代育成行動計画とポジティブ・アクション/「産む」「働く」──まなざしの落差/ルールなき両立支援──ワーク・ライフの読みかえ
第7章 子どもをもち、働くということ──沈黙と格差を超えて
「迷惑をかけない」ワーキングマザーとして/職場はなぜ沈黙するのか/「いまごろなにしにきたの」──人事担当者の悩み/「仕事優先の職場風土」は、だれがつくりだしているのか/男性の育児休業取得への期待と女性の憂鬱/取得期間の男女間格差がうみだすひずみ/育休を取得しなければ、子どもがかわいそう?/両立支援へのアクセス格差/「おたがいさま」にはならない職場の構造/労働時間の規制緩和は、働く親への朗報か/狭い「家族的責任」のとらえかた──育児と介護/拡散する「家族的責任」──ライフスタイルの問題として/少子化対策の「家族的責任」の射程/ニーズだけでは解決できない/両立を問う、社会を問う
結びにかえて
前書きなど
はじめに
家庭と仕事の両立支援。この言葉から、どんなことを連想するだろうか。
保育所の待機児童の解消や延長保育などの保育サービスの充実だろうか。それとも、育児休業制度や短時間勤務制度といった各種制度の充実や利用促進だろうか。あるいは、子どもや家族、たいせつな人との時間を犠牲にすることを求めるような、いまの働き方の見直しをあげる人もいるだろう。
保育所が見つからず途方に暮れる働く親や、勤務時間にあわせて二重、三重の保育で疲弊する親子の生活をきりだしてみれば、なるほど保育サービスの充実は必要だ。仕事と家事・育児にとびまわる働く母親の生活時間の実情からは、時間の融通がきく働き方や制度がいかに重要なものかもわかる。悪名高い日本の男性の家事・育児時間の短さや子育ての重責にあえぐ母親の姿からは、男性を家庭から遠ざけるいまの働き方の見直しは欠かせない。
けれども、考えてほしい。さまざまな問題の断片をとりあげ、それに対応する制度や見直しをおこなえば、両立支援になるのだろうか。そもそも「両立」とは支援にとどまる程度のものでしかないのだろうか。自分が培ってきた能力を発揮し、生活とよべるだけの経済的基盤をもち、子どもや家族との暮らしの喜びを実感する。そんなあたりまえのことに、なぜ支援が必要な社会になってしまったのだろうか。
二〇〇〇年以降、国の、家庭と仕事の両立支援は、かつてないほどの追い風に乗ってきた。「育児・介護休業法」は何度かの改正を経て、制度整備がなされてきた。少子化対策の観点から二〇〇三年に成立した「少子化社会対策基本法」「次世代育成支援対策推進法」をうけ、企業は、家庭と仕事の両立がしやすい職場づくりにむけた行動計画の策定を進めている。
「ファミリー・フレンドリー企業」「ワーク・ライフ・バランス」という言葉とともに、企業の両立支援の取り組みの必要性も強調されるようになった。育児や介護だけにとどまらない、社員の私生活を考慮した労務管理・制度を導入することによって、社員が働きやすくなるばかりでなく、企業の生産性向上にも結びつく。そんな「経営」の視点からのアプローチは、堰をきったように政府資料やマスメディアに登場し、企業の人事担当者の口からもあたりまえにでるようになった。
にもかかわらず、男女ともに、両立が以前にもまして厳しいものとなっているのは、なぜなのか。(中略)
*
いまいちど、立ちどまってみたい。両立支援の追い風のなかで、私たちはなにを見失ってきたのだろう。仕事と子育てとの両立の渦中にいるといわれる働く母親は、「両立」をどのようなものとして体験し、いまの「支援」はなにをもたらしているのか。それを探ってみたい。
一人の母親が働きつづけるということ。それは人間関係の網の目、社会のさまざまな関係の網の目のなかでくり広げられている。
仕事を始めるまでの経緯もあれば、仕事への思いもある。経済的な基盤を整え、実現したい生活への夢には、たいせつにしたい子どもとの関係もある。共働きなら、パートナーとの人間関係やその職場のありようにも影響される。おたがいの実家との関係もあれば、住んでいる地域には子どもが通う保育所・学校がある。その地域に暮らす親や子どもとのつきあいや、そのための時間も求められる。そうした時間と生活のありようは、経済の動向や国の政策、予算とも密接に関わっている。そんな複雑にはりめぐらされた網のなかに、働く母親はいる。
その網のなかで勃発するさまざまな事柄やジレンマをひきうけながら、彼女たちは家庭と仕事の関係を懸命に模索し、悩んでいる。両立支援の追い風と同時に、バブル崩壊後の不況、規制緩和、構造改革、男女共同参画社会づくり、少子化対策がぶつかりあう激しい動きのなかに、彼女たちはその身をおいてきた。
一九九九年、セクハラ防止やポジティブ・アクションをもりこむなど職場の男女差別禁止を強化した改正男女雇用機会均等法が施行され、男女共同参画社会基本法も成立した。九〇年代半ばの「橋本六大改革」を経て、小泉内閣は二〇〇一年の発足とともに、構造改革に関する基本方針「骨太方針」をうちだし、規制緩和をともなう構造改革が推し進められた。少子化対策も「少子化対策推進基本方針」(一九九九年)を経て、二〇〇二年には「『少子化の流れを変えるための』もう一段階の少子化対策」へのレベルアップを図った。この間、大手証券会社・山一證券の倒産に端を発した金融不安を背景に、企業は不況脱出のためにリストラをおこない、年功序列制や終身雇用を廃止して成果主義を導入するなど、つぎつぎと「日本的経営」の見直しを推し進めていった。
だが、その約五年間の社会変化がもたらしたものはいま、「格差社会」とよばれるようになった。二〇〇五年の国勢調査では、日本の総人口は初めて減少に転じ、自民党前綱領(一九九五年)に掲げられていた「男女共同参画型社会」という文言は、新綱領では「お互いの特性を認めつつ」「男女がともに支え合う社会」へと変わった。
さまざまなベクトルが交錯する状況のなか、働く母親たちはなにを体験してきたのだろうか。そこから、どんな社会の実像がうかびあがるのだろうか。
*
I部では、働く母親の職場・家庭・地域での体験を追った。社会やメディアが求める「両立の知恵や支援を駆使して、軽やかにいきいきと働く」ワーキングマザーのサクセス・ストーリーの陰で、後景に追いやられ、こぼれ落ちてきた思い。彼女たちの体験や言葉がなげかける、家庭と仕事の両立にかかわる幅広く複雑な問題と、その根深さをみていただけたらと思う。
では、働く親が抱えるそうした閉塞状況に対して、この間、欧米での事例を参考に日本で一挙に広まった「ファミリー・フレンドリー企業」「ワーク・ライフ・バランス」というあらたな言葉は、どんな突破口を与えてくれるのだろう。
II 部は、そんな疑問の答えを求めて二〇〇〇年から二〇〇一年にかけ、カリフォルニア大学バークレー校・労使関係研究所に籍をおき、「ファミリー・フレンドリー企業」「ワーク・ライフ・バランス」の発祥地、アメリカを訪ねたときの取材を軸にまとめた。
アメリカ社会で、どんな背景やなにを基盤にして取り組みが始まり、そこではなにが起きているのか。それはどんな社会であり、どこへむかおうとしているのか。日本へのヒントを求めて、企業やそこで働く親、保育所、労働組合、地域団体、ジャーナリストや研究者などさまざまな場と人びとを日々、訪ねあるいた。「ファミリー・フレンドリー企業」「ワーク・ライフ・バランス」の多彩な取り組みに目をみはり、思いがけない発想におどろきながら取材を重ねた。
しかし、一方で、取材を重ねるほどに、「これを進めるには、日本ではなにかが欠けている」という思いがいつもつきまとった。疑問もめばえた。「ファミリー・フレンドリー企業」「ワーク・ライフ・バランス」の成功の陰で、アメリカの働く親や社会が抱えてしまった「家庭と仕事の両立」の負の部分。それを見ないまま、「先進的」な制度や支援メニューをうちだすアメリカ企業の実践のうわずみをすくいとり、日本の職場に移植することで、はたして日本の働く親は救われるのだろうか。
二〇〇〇年前後、「ワークシェアリング」という言葉が日本でブームになったとき、朝日新聞記者の竹信三恵子さんはいちはやく、雇用の平等と分配をめざした欧米の挑戦と、その同じ言葉がなぜか日本では雇用の分断となる「なぞらえの実態」をルポした。その『ワークシェアリングの実像──雇用の分配か、分断か』(岩波書店・二〇〇二年)の冒頭には、「今私たちの周りで始まっている『ワークシェアリング』は、どこかボタンを掛け違えている」と記されている。
まだ始まったばかりの段階で判断するには早すぎるかもしれないが、正直なところ、私はそれと似た感覚を、日本の「ファミリー・フレンドリー企業」「ワーク・ライフ・バランス」に感じている。期待をよせながらもなお、日本の両立支援に大きな可能性を開くはずのこの言葉が、実践では「ボタンの掛け違い」になるのではないかとの危惧がぬぐえない。
III 部では、その点を再度、働く母親への取材と日本の職場でおきていることから探った。さきまわりして言えば、たどりついたのは、職場や政策の「格差」への鈍感さだ。男女共同参画と少子化対策の双方から、それぞれに両立支援の促進が求められている。だが、雇用上の男女平等という基本的な枠組みがあまりにも脆弱なために、両立支援はその意図とは裏腹に「格差」を拡大し、固定化してしまいかねない危うさがあるのではないか。
それをあきらかにするためには、女性の半数が集中するパート、派遣社員、契約社員など非正規雇用の労働者の問題をとりあげる方法もあるが、本書では正社員として働く、あるいはその経験をもつ母親の体験を中心にとりあげている。「恵まれている」といわれながら、なお専業主婦や非正規雇用労働者へと追いこまれ、吸収される可能性を抱えた彼女たち。総合職と一般職、正社員と非正規社員、働く母親と専業主婦という外から引かれた境界線は、彼女たちの側からみれば、連続してつながっている。その姿から、非正規で働く女性や専業主婦の女性と根底で共通する問題があることを確認したい。男性の方には、その女性の姿に自分がどのようにかかわっているのかを考えていただけたらと思う。
また、この本では、日本の企業でおこなわれている「先進的」とされる両立支援事例を個々に紹介し、今後の方向性や提案として例示することはしていない。見えやすい制度の「先進性」を追いかけても、「支援される」側が抱える問題はさらにそのさきを行き、また、制度からこぼれおち、やがてすれ違うからだ。
もし、本気で両立支援にのりだそうと思うなら、そのいちばんのヒントは他の企業の取り組みや制度じたいにあるのではない。その職場や地域にいる母親や父親、働く人たちそれぞれがいま最前線で抱える体験のなかにこそ、ある。「両立」に葛藤する働く親の声に耳を澄まし、その言葉の奥底からうかびあがる社会の問題に言葉を与え、見えなかった問題を見えるようにすること。そこにこそ、ほんとうの両立支援の一歩があると信じている。
上記内容は本書刊行時のものです。