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白リボンの国際連盟
WCTUと日本キリスト教婦人矯風会が紡いだ日米女性交流史
- 出版社在庫情報
- 不明
- 初版年月日
- 2026年3月31日
- 書店発売日
- 2026年4月3日
- 登録日
- 2026年3月4日
- 最終更新日
- 2026年4月1日
紹介
米国発、女性キリスト教禁酒同盟(WCTU)の禁酒運動を「公娼廃止」を軸とする運動へと翻訳し、1886年に発足した矯風会。社会福祉の基礎を築き軍縮・平和を訴えるが、日米の帝国主義に呑み込まれていく。女性たちのグローバルな連帯の軌跡を辿る労作。
目次
序章
○ロンドンの「招かれざる客」
○国際的女性団体の草分けとしての日本キリスト教婦人矯風会
○国際的女性団体とその活動についての先行研究
○白リボンと帝国主義
○マクロな視点とミクロな視点から――本書の構成
第1章 アメリカにおけるWCTUの設立と日本キリスト教婦人矯風会の結成
はじめに
WCTUの創設と拡大
○拡大するアルコール消費と女性キリスト教禁酒同盟(WCTU)の誕生
○女子教育の拡大とヴィクトリア的女性観
○運動方針の拡大
○イギリスとの関係強化と母娘関係の比喩表現
○万国WCTUの誕生とアジアに対する関心
○明白な天命
○オリエンタリズム
矯風会の誕生
○日本を目指したメアリー・クレメント・レヴィット
○レヴィットと矯風会の誕生
○東京婦人矯風会発足と矢島楫
○矯風会か禁酒会か――会の命名と活動方針の「翻訳」
○「矯風会」の名称と活動方針をめぐる論争
○天皇とヴィクトリア的女性観
○近代的公娼制度の確立とその広がり
草創期における矯風会の活動
○矯風会の請願活動
○日本支部誕生に対するウィラードの反応
○万国WCTUによる日本支援と中国WCTUの反応
○次々と訪日する万国WCTUミッショナリー
○ウェストの死去と矯風会の全国組織化
○クララ・パリッシュの来日と組織改革
○万国WCTUによる矯風会に対する高い評価
○カーラ・スマートの来日
○ガントレット恒
○教師としてのスマート
○スマートの帰国と矯風会の自立
まとめ
コラムその1 矢島楫と杉堂集落
第2章 慈愛館と興望館の誕生と発展――日本における北米女性キリスト教宣教師の社会福祉活動
はじめに
慈愛館の設立
○外国人部会の誕生
○アメリカのレスキューホームと管理性売買
○日本における救済活動の開始
○慈愛館の誕生
○最も困難な仕事
○反キリスト教・反外国人感情の高まりと慈愛館
○慈愛館の拡充と外国人部会と矯風会の統合
○慈愛館のカリキュラムと活動の目標
慈愛館の発展と活動の転機
○救済活動の拡大と救世軍
○ピアソンら旭川支部の闘いと外国人部会の活動方針
○大阪婦人ホームの誕生
○救済活動の広がり
○廓清会の発足
○慈愛館の生徒の差別化
○三沢千代野事件とペンロッド
○慈愛館の運営をめぐる軋轢
○慈愛館の日本化
興望館の誕生
○東京下町のハル・ハウス
○ハル・ハウスとセツルメント
○セツルメントの日本への波及
○興望館の活動ことはじめ
○台風と地震
○興望館の復旧、復興と寺島町への移転
○震災後におけるセツルメント運動と資金の確保
吉見静江と興望館の発展
○吉見静江の覚悟
○近隣住民の暮らしと吉見静江の奮闘
○診療所の設立
○興望館の経済的自立
○戦争の影と宣教師の理事退任
○日米開戦と興望館
○空襲を生き延びる
まとめ
コラムその2 アイダ・ゲップ・ピアソンと北海道における活動
第3章 白リボンの国際連盟と帝国主義の拡張
はじめに
矯風会の海外進出
○アメリカにおける日系移民排斥問題と性売買
○矢島楫の訪米と日系移民社会の反応
○万国WCTU大会とワシントンにおける矢島楫
○矯風会と満洲
○矯風会と朝鮮、台湾
○矯風会と植民地支配
○慰問袋
○矯風会と朝鮮総督府
○万国WCTUと矯風会との関係強化
○中国のフランシス・ウィラード
○中国WCTUの中国人女性たち
○王立明と中国WCTUの拡大
「白リボンの国際連盟」と矯風会
○アメリカにおける禁酒法・女性参政権実現と世界の指導者としての自覚の高まり
○越境的女性運動の高まりと白リボンの国際連盟
○白リボンの国際連盟と着物
○矯風会と女性参政権獲得運動
○矯風会と平和運動
○ワシントン会議に向かう矢島楫
○アメリカにおける矢島の民間外交
○国際会議と女性
○矯風会の世代交代と矢島の渡米の遺産
帝国の誇りと偏見のはざまで
○アジアにおける日本人性売女性と矯風会
○満洲、朝鮮、中国各地における矯風会支部設立と国際的兄心
○排日移民法の制定
○矯風会の抗議活動とアメリカから届いた電報
○「アメリカ生まれの四人娘」の来日
○汎太平洋婦人会議
○着物と移民問題
○ロンドン海軍軍縮会議
○アジアの隣人と矯風会
まとめ
第4章 戦争と白リボンの国際連盟の崩壊
はじめに
日本帝国の拡大と米中との関係悪化
○満洲事変とWCTU
○満洲事変をめぐる矯風会と中国WCTUの対立
○国際社会からの日本批判とそれに対する弁明
○劉王立明の来日
○汎太平洋婦人協会における日中の対立
○日中戦争とアメリカにおける親中感情の醸成
○劉王立明の夫の死とその影響
○日中戦争に対する矯風会の反応
○第二次世界大戦とWCTU
大東亜共栄圏と矯風会の活動
○朝鮮節制会の矯風会への「自発的」合流と「大東亜共栄圏」の建設
○天橋愛隣館の設立
○愛隣館の活動
○矯風会の教育・社会福祉事業に対する中国とアメリカの評価
二つの「白リボン」の帝国の衝突
○日米開戦
○大東亜共栄圏の建設の一翼を担う矯風会
○矯風会に対する当局の弾圧
○アメリカとの精神的紐帯と婦人新報の廃刊
○日本人に対する「禁酒人種主義」とアメリカで拡大する飲酒
○拡大する中国への支援と劉王立明
○日本に対する偏見に立ち向かう宣教師たち
○アメリカおよび万国WCTUの変化
まとめ
コラムその3 ガントレット恒と久布白落実が見た世界
終章
○白リボンの女性たちの間の不均衡な力関係
○それぞれの戦後
あとがき
註
主要参考・引用文献
事項索引
人名索引
前書きなど
序章
(…前略…)
マクロな視点とミクロな視点から――本書の構成
本書は、万国WCTUと矯風会を主な舞台として、一九世紀後半以降から第二次世界大戦終了直後に至るまでの女性たちによる越境的な活動について、日米を軸とする太平洋世界を中心に大西洋世界も交えて考察する。そのようなマクロな視点に加えて、東京の郊外や下町を舞台に展開された地域密着型の活動といったミクロな視点からも論じる。
〈第1章 アメリカにおけるWCTUの設立と日本キリスト教婦人矯風会の結成〉
本章は、主にアメリカ人女性と日本人女性の出会いと両者の関係について扱う。アメリカで禁酒運動の促進のために誕生したWCTUが、日本でその支部を組織するに至った過程、さらに日本で「矯風会」と名付けられた支部が、禁酒のみならず公娼制度廃止を運動の主軸に据えた理由について、一九世紀後半のアメリカ、および明治時代初期の日本の社会状況を踏まえて考察する。また万国WCTUの生みの親であるフランシス・ウィラード会頭や、万国WCTUから派遣されたアメリカ人ミッショナリーが矯風会の活動やその会員たちをどのように評価し、「教育」しようとしたのか、さらにWCTUの指導に従うよう求められた日本の矯風会の女性たちが、アメリカ人ミッショナリーといかに向き合いながら組織を拡大させたのかについて検証する。
〈第2章 慈愛館と興望館の誕生と発展――日本における北米女性キリスト教宣教師の社会福祉活動〉
本章は、日本に在住していたアメリカ人やカナダ人女性宣教師の組織である矯風会外国人部会の活動に着目する。そして同部会が設立した慈愛館と興望館という二つの社会福祉組織を取り上げ、東京での彼女たちの活動を通して外国人部会の女性宣教師が日本の弱者とどのように向き合い、日本社会をいかに変革しようとしたのかについて考察する。慈愛館は性売女性の「救済」のために、一八九四(明治二七)年に東京の郊外に設立された。そのモデルとなったのはアメリカ西海岸のチャイナタウンなどで活動していた性売女性救済のための「レスキューホーム」である。一方、貧しい人々の救済のために一九一九(大正八)年に東京の下町に設立されたセツルメントである興望館は、ジェーン・アダムズがシカゴに設立したハル・ハウスを模範とした。これら二つの施設の誕生と発展の様子を通して、本章は、外国人部会に所属した女性宣教師が日本人、特に労働者階級の日本人とどのような関係を築いたのかについて明らかにする。
〈第3章 白リボンの国際連盟と帝国主義の拡張〉
本章は、二〇世紀初頭から戦間期にかけて国際舞台へ進出した矯風会の活動と、それを迎え入れた万国WCTUを始めとする国際的女性団体、さらに中国などアジアのWCTU支部について扱う。日露戦争後、矯風会は幹事を次々に欧米の国際会議へ派遣し、世界の強国の一員としてその存在感をアピールしようとした。また台湾や朝鮮半島、満洲へと拡大する日本帝国各地にも人員を派遣して矯風会支部を設立した。一方、禁酒法(憲法修正第一八条、一九一九年制定)と女性参政権(憲法修正第一九条、一九二〇年制定)を実現させたWCTUのアメリカ人会員は、それまで国内問題に注いでいたエネルギーを海外での活動に向けるようになり、自らの組織を白リボンの国際連盟と呼びつつ軍縮や反戦条約締結の実現を目指す国際的平和運動を推進した。さらに日本や中国に対する経済的支援に加えて中国の若手指導者の育成にも注力し始めた。やがて中国人若手指導者が中国WCTUの活動を主導し、国際会議にも出席するようになると、次第に日本や欧米の帝国主義に対する批判を強めた。本章では国際社会における女性たちの交流の分析を通して、二〇世紀初頭から戦間期にかけての欧米人、日本人、そして中国などアジアの人々の関係について考察する。
〈第4章 戦争と白リボンの国際連盟の崩壊〉
本章は、一九三一(昭和六)年の満洲事変以降における日中関係の悪化と日中戦争の拡大、さらに日本軍の真珠湾攻撃による日米開戦とその後の戦時中の体験を扱う。戦間期に培われた女性たちの国際的協調関係、とりわけ矯風会と中国WCTUの関係は、一九三〇年代以降、悪化の一途をたどった。日本と中国のはざまに立たされた万国WCTUとアメリカWCTUに対して、矯風会と中国WCTUはそれぞれ自国政府の立場を代弁し、万国およびアメリカWCTUの理解と協力を得ようと努めた。
しかし日米開戦後、アメリカと中国のWCTUと敵同士となった矯風会は日本帝国の植民地政府と協同して組織を拡大する一方、同盟国同士となったアメリカと中国のWCTUは互いの協力関係を深めつつ日本を厳しく批判する事態となる。もっとも次第に連合国側の勝利が確実となるにつれ、万国およびアメリカWCTUでは国際的協調関係を復活させる動きが強まり、戦後、いかにして日本を再包摂させるかという議論が優勢になる。さらに日米開戦によって日本からアメリカに帰国した矯風会外国人部会のアメリカ人女性宣教師が、戦時中、強制収容されていた日系人の支援に乗り出すなど、戦時中におけるWCTUの動きは変化し始める。そこで本章では第二次世界大戦によって連合国側と枢軸国側に分裂した万国WCTUについて、特に矯風会と中国、アメリカ、そして万国WCTUによる戦時中の活動に注目しつつ、その変遷について詳述する。
〈終章〉
本章は終戦後における万国WCTUと矯風会との関係について述べる。戦争が終結すると、万国WCTUはただちに書簡を矯風会に送って関係者の無事を確認した。またハワイの日系人から寄せられた寄付金によって矯風会が空襲で失われた建物を再建するなど、戦前に構築された日米間の越境的ネットワークが矯風会の戦後復興に大きな役割を果たすことになる。そして日本の戦争遂行に加担した反省に立ち、矯風会は反核運動や日本在住のアジア人女性支援、従軍慰安婦問題への対応、ベトナム戦争反対や在日米軍による暴力反対などの活動を行うようになる。一方、アメリカでは戦後、WCTUが保守色を強めるようになり、やがて矯風会はアメリカWCTUとは別々の道を歩むようになる。さらに本章では中国や韓国WCTUが戦後にたどった厳しい運命についても簡単に言及しつつ、全体の議論をまとめる。
上記内容は本書刊行時のものです。
