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魏志倭人伝を漢文から読み解く
倭人論・行程論の真実
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2022年11月1日
- 書店発売日
- 2022年11月9日
- 登録日
- 2022年10月12日
- 最終更新日
- 2022年11月18日
紹介
『魏志』倭人伝は誤読されてきた。古代史学と漢字学の融合により「倭」と「倭人」を同一視する従来の解釈、帯方郡から邪馬壹国に至る行程についての諸説を批判的に論証する。また、日本に残る金石文、風土記などを読み解き、九州王朝説について考察する。
目次
はじめに
古代史学と文字学の融合[臧克和]
臧克和先生の感想文に寄せて
第1章 『論衡』倭人は南中国に住む鬱人であることを証明する
(1)従来の『論衡』倭人(古田武彦説・森浩一説・鳥越憲三郎説)
(2)『論衡』恢国篇の倭人について
(3)『論衡』超奇篇の「白雉貢於越、暢草獻於宛」について
(4)『論衡』異虚篇「人來獻暢草」について
(5)『論衡』倭人=鬱人のさらなる論証
(6)『漢書』王莽伝の越裳と東夷王
(7)『論衡』倭人=鬱人説の他文献との整合性について
(8)「有」と「在」
①中国語に見る「有」と「在」の使い分け
②中国語の文法書で「有」と「在」の使い分けを検証する
③日本列島に関する中国歴史文献の「有」と「在」
④古代中国文献に見る「有」と「在」の用例
⑤『漢書』以前の中国王朝は日本列島にいる人々の国を知らなかった
(9)西双版納の哈尼族=「阿卡(ake)」と「倭」
(10)学問の姿勢について
(11)「倭人貢暢」の「倭人」を日本列島の「倭人」とされる方へ
第2章 『魏志』倭人伝の「倭人」とはなにか
(1)中国古文献に見る「倭」「倭人」の表記について
(2)『魏志』倭人伝における「倭」と「倭人」
(3)「倭」と「倭人」を区別する学問的方法
(4)「倭」と「倭人」は別の国である
(5)朝鮮半島の「倭」と日本列島の「倭国」の歴史的説明
(6)『魏志』の「倭人」は国名であることの論証
(7)『魏志』倭人伝の「倭人」が国名であることのさらなる論証
(8)『晋書』『太平御覧』における東晋義煕九年の「倭国」について
(9)『晋書』の「東倭」について
(10)『魏志』倭人伝の「倭」と『後漢書』東夷伝の「倭」
(11)日本列島の国名の表記が「倭人」から「倭」「倭国」に推移した経緯について
(12)再び『魏志』倭人伝の「倭」と「倭人」について
第3章 日本列島における倭人(国)の成立
(1)日本列島における稲作の起源
(2)日本列島の水稲の受容
(3)日本列島における青銅器の伝播
(4)日本列島における倭人国の成立
(5)卑弥呼の墓――筑紫王墓のゴールデンベルト
第4章 金印「漢委奴国王」について
はじめに
(1)金印「漢委奴國王」の「委奴」の従来説
(2)『漢書』『三国志』魏志における「倭人」の意味
(3)「委奴」の明確な意味
(4)「委奴」の奴と「匈奴」の奴
(5)「委奴」「匈奴」の「奴」は入れ墨をした「人」を表現したもの
(6)金印の「委奴」に類する『隋書』俀国伝の「俀奴國」
(7)内藤文二氏の「倭奴國」=「倭人國」論
(8)『隋書』の多利思北孤は金印の存在を知っていた?
おわりに
第5章 中国・朝鮮半島に見られる古代の「倭」の民
(1)倭人塼「有倭人以時盟不」について
(2)『漢書』地理志に見る「邪頭昧県」について
第6章 朝鮮古文献・金石文に見る「倭」「倭人」
(1)『三国史記』「新羅本紀」に見る「倭人」と「倭兵」の使い分け
(2)「新羅本紀」における「倭人」と「倭兵」の違いについて検証する
(3)『三国史記』「新羅本紀」の「倭兵」の記録は四四四年まで、それ以後は「倭人」のみ
(4)『三国史記』『三国遺事』における「倭人」と「倭兵」の使い分けを検証する
(5)『三国史記』における「倭人」の記述の終焉
(6)朝鮮資料『三国史記』『三国遺事』は中国文献の『魏志』をベースとしている
(7)『三国史記』における「倭国」の記録
①「新羅本紀」における「倭国」の記述
②「百済本紀」における「倭国」の記述
③「新羅本紀」『三国遺事』の「倭兵」と「倭国」
(8)『三国史記』の「倭」の意味
(9)「倭」の滅亡の後の「倭兵」「倭」の記録
(10)『三国史記』列伝 朴堤上説話を解読する
(11)「百済本紀」腆支王説話を解読する
①腆支王説話とは
②腆支王説話の「倭国」は朝鮮半島の「倭」
(12)「多婆那国」はどこにあったか?
(13)好太王碑の「倭」と「倭人」について
①好太王碑には「倭」が六回、「倭人」が一回
②藤田友治氏の解釈
(14)従来の好太王碑についての解釈は間違っている
(15)朝鮮半島の「倭」は独立国である
(16)任那とはなにか
(17)朝鮮の「倭」と日本列島の「倭人(国)」を同一の国家とする論の誤りについて
(18)「倭」と「倭人」の使い分けに関するまとめ
①『魏志』における「倭」と「倭国」の違い
②私の歴史を読む二つの道しるべ
(19)朝鮮半島の「倭」とはどのような国か
(20)朝鮮文献の「倭」「倭人」は中国文献の「倭」「倭人」と同じ
(21)松本清張氏の「倭」と「倭人」の解釈は正しかった
(22)朝鮮の「倭」と日本列島の「倭人(国)」の差別化のまとめ
第7章 『魏志』倭人伝の行程から歴史を解読する
(1)帯方郡から狗邪韓国の行程は水行か陸行か?
(2)「歴」「歴観」の意味
(3)其北岸の解釈
(4)「梁職貢図」倭国使の行程
(5)「水行十日陸行一月」の意味
(6)投馬国について
①投馬国とは…
②日本神話に見る出雲の歴史的意味
(7)狗奴国について
(8)「周旋可五千餘里」について
(9)『魏志』における「邪馬壹国」「女王国」の意味
(10)『翰苑』に書かれた邪馬臺国
(11)邪馬壹国の位置について
(12)謎の国「狗邪韓国」
(13)古田武彦氏の「方〇〇里」の解釈に対する批判
①対海国「方可四百余里」の古田氏の解釈
②私の解釈
(14)方○○里の計測法
(15)『魏志』の東西南北の方位について
(16)「万二千余里」について
(17)『魏志』倭人伝の行程(榎一雄氏の放射線型読法について)
①榎一雄氏の放射線型読法とは
②榎説の「方向・距離・地名」と「方向・地名・距離」について
(18)『魏志』倭人伝の行程における「行」と「至」について
(19)「至」と「到」について
(20)『梁書』と『太平御覧』の倭人国への行程記事について
(21)帯方郡から邪馬壹国に至る行程についての古田武彦氏と私の解釈の相違
第8章 日本列島の金石文・風土記から垣間見える九州王朝の存在
(1)七支刀について
(2)埼玉稲荷山古墳出土鉄剣銘、江田船山古墳出土大刀銘について
(3)『常陸国風土記』の「倭武天皇」説話について
(4)隅田八幡神社伝来の鏡について
(5)法隆寺の釈迦三尊光背銘について
①多利思北孤は聖徳太子か
②法隆寺釈迦三尊像後背銘
③法隆寺薬師如来の後背銘
④日本書紀は多利思北孤を聖徳太子にすりかえた
あとがき
前書きなど
はじめに
(…前略…)
前著『倭人とはなにか』へのご批判の中で、『魏志』において朝鮮の「倭」と日本列島の「倭人」が『魏志』倭人伝で明確に差別化されているにもかかわらず、「倭」と「倭人」が同じものとし、当時の日本列島の主勢力は日本列島と朝鮮半島にまたがって国を構成しているという論を正しいとする人が多いことがわかりました。古田武彦氏もそのような考えでありました。しかし、私は、それはおかしいと思います。「倭」も「倭人」も国名(このことは後に詳しく述べます)であるからには当然、これらは違う国とするのが国語的な考え方です。それが同じと言うなら、当然その論証が必要です。このことを話してもほとんど無視されてしまうのが現状です。
このことを立証するため『魏志』倭人伝、『晋書』及び、朝鮮歴史資料の『三国史記』をつぶさに調べました。『魏志』では日本列島の「倭人(国)」を「倭国」と書いているが、『三国史記』では「倭国」は朝鮮の「倭」を示しており、日本列島の人については「倭人」という言葉を使って差別化していることがわかりました。『三国史記』では四〇〇年代に朝鮮半島の「倭」「倭国」「倭兵」の記述がなくなり、それ以後は「倭人」の記述のみで、朝鮮半島の「倭」「倭国」「倭兵」に代わって加羅や金官といったと都市名が出てきます。これは朝鮮半島の「倭」連合が消滅し、「倭」を構成していた都市である加羅や金官がそれぞれ自治をするようになった、ということを示しています。「倭人」の記録は白村江の戦いを最後に記述がなくなります。同一史書内では一つの言葉は同じ意味として原則的に貫通されますから(ただしこの原則には例外もあります。それはその都度その理由を確認すれば済むことです)、『三国史記』における「倭人」は日本列島の「倭人」を示していることが証明されます。
さらに、『倭人とはなにか』を読んだ人によく質問を受けたのは、『後漢書』『南斉書』『宋書』『梁書』では日本列島の主勢力を「倭」としているのは、「倭人」=「倭」だからではないのか、ということでした。『後漢書』は朝鮮半島の「倭」の消滅していく過程で日本列島の「倭人(国)」が「倭」と書かれたものです。『南斉書』『宋書』『梁書』の書かれた時代について私は次のように考えます。すでに朝鮮半島の「倭」連合は消滅していて『南斉書』『宋書』では朝鮮半島の「倭」にかわって加羅・金官の名が出ています。それらの文献の「倭」と「倭人」の記述をつぶさに調査させていただきました。おそらく、朝鮮半島の「倭」が消滅して、中国の古文献では日本列島の「倭人(国)」を「倭」に替えたのであろうと思われますが、やや紛れのあるこのような変換をなぜ行ったかはよくわかりません。『魏志』の倭人と『後漢書』の「倭」は同じだから、倭人= 倭を主張される方もおられました。このようなところが一般の方々には通常理解できないことであり、十分説明する必要があると感じました。しかし、文献ごとに倭や倭人の意味を整理すれば、なぜそれらの語の使い方が違うかは明快に理解することができます。
私は日本列島の「倭人(国)」と朝鮮の「倭」が別の国だということを証明するために、特に『魏志』倭人伝・韓伝や『三国史記』を通じてそれらの経緯を明らかにすることを目標としました。『三国史記』と『晋書』『南斉書』『宋書』の経緯を見ると、あきらかに朝鮮半島の「倭」が消滅していく経緯がわかります。そのような事実を踏まえて、本書で『倭人とはなにか』を十分補足できたと考えております。『魏志』倭人伝の「倭人」を理解するためには、『論衡』の倭人、『山海経』の倭、『漢書』の倭人、金印の「委奴」、『三国史記』の倭、倭国、倭人など、それらすべての文献の中で整合性のある理解を得られた時、すべてが結びつきます。本書は、そのことを目指したものです。
この本は前著『倭人とはなにか』の内容をさらに詳しく精査したものですが、前著で導き出した論がもし正しければ、別の歴史のいろんな側面から前著の正当性を補完できるのではないか、もしそうでなければ、前著と矛盾することが現れるのではないか、という視点で精査を続けました。また、倭人・女王国・邪馬壹国・朝鮮半島の倭など個々の論述がすべての論述の中で整合性を保っているかどうか、相矛盾しないかどうかの論理の再確認となります。その結果、前著を補完できる資料が多く見つかり、前著の正当性をさらに追加説明することができたと自負しております。拙著を読んで、なぜそんな細かいところまで立ち入るのか、読むのが面倒くさいと思われる方もおられると思いますが、そのような資料精査を経なければ、歴史の真実を証明することができないのです。ですから、この本を読む以上、どうぞ拙著の長々とした論述にお付き合いくださいますようお願い申し上げます。
(…後略…)
上記内容は本書刊行時のものです。