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フィンランド 武器なき国家防衛の歴史
なぜソ連の〈衛星国家〉とならなかったのか
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2022年8月31日
- 書店発売日
- 2022年8月26日
- 登録日
- 2022年7月27日
- 最終更新日
- 2022年9月22日
紹介
国境を接する大国ロシアからの「ロシア化」の圧力を、フィンランドの人びとはどうはね返してきたか。800年にわたる宗教・領土をめぐる戦いの後、その恨み・怒りを克服し、「友好協力相互援助条約」を成立させた「サウナ外交」を生んだ武器なき国防戦略とは。
目次
はじめに
第1章 ロシア帝国の「保護国フィンランド」――武器なき「国家」防衛の二つの戦略
1 フィン人の定住
2 ロシア帝国の保護国・フィンランド大公国の成立〔一八〇九~一九一七〕
3 第一次ロシア化期〔一八九九~一九〇五〕――「下からの」武器なき抵抗運動の勝利
4 「束の間の休息期」〔一九〇五~〇八〕――世界で初めて女性国会議員の登場
5 第二次ロシア化期〔一九〇九~一九一七〕――「上からの」三権による抵抗
6 小結――被保護国における非暴力抵抗の二戦略
第2章 世界で初めて「半大統領制」共和国の出現
1 ロマノフ朝の崩壊〔一九一七/三/一六〕
2 自由・民主的なリヴォフ臨時政府の成立
3 臨時政府下の八カ月――フィンランド「基本法〔憲法起草〕委員会」できる
4 レーニン・ボルシェヴィキ政権の成立とフィンランドの独立
5 内戦そして芬蘭王国〔一九一八/五/一八~一九/七/二五〕の出現
6 世界で初めて芬蘭に「半大統領制」共和国の出現
第3章 フィンランドにおける捕虜問題――ニコライ二世の「贈物」
1 ニコライ二世主催の二つのハーグ平和会議〔一八九九・一九〇七〕
2 「捕虜POW」「傷/病者」の扱いに関する国際条約
3 フィンランド内戦〔一九一八/一~五〕と捕虜問題
4 冬戦争〔Talvisota 一九三九/一一~四〇/三〕と捕虜問題
5 継続戦争〔Jatkosota 一九四一/六~四四/九〕と捕虜問題
6 ラプランド戦争〔Lapinsota 一九四四/九~四五/四〕とドイツ人捕虜
7 フィンランドの戦争における「捕虜引渡」の諸要因
第4章 フィンランドにおける「ユダヤ人問題」――絶滅か、救済か、それとも
1 フィンランド大公国Grand Duchy of Finland、ユダヤ人問題の始まり
2 ヒトラー・スターリンの「密約」とヒトラー・モロトフ会談
3 翻弄される激流の小舟――独ソ戦〔一九四一/六/二二~四五/五/八〕とは別の戦い
4 芬蘭に「ユダヤ人問題なし」――ユダヤ人迫害の「虚/実」と捕虜問題
5 ヴァンゼー会議〔四二/一/二〇〕――ユダヤ人絶滅手順の確認
6 大戦後、国家警察長官アントホニ裁判
第5章 フィンランドはなぜソ連の「衛星国家」とならなかったのか――その第三の戦略
1 〈ロシア〉(ノヴゴロド共和国・モスクワ大公国・ロシア王国)への怒りの歴史と親独感情
2 ニコライ二世のロシア化政策――総督暗殺行と、武器なき闘いの二戦略
3 内戦・冬戦争・継続戦争――苛酷な講和条約への「反ソ感情」の増蓄
4 第二次大戦後――「宿敵」ソ連との関係をどうする
5 衛星国家への道――ルーマニア、ハンガリーの場合
6 「衛星国家」拒否への道――ソ連、フィンランド条約〔一九四八/四/六〕
7 パーシキヴィ・ケッコネン路線――サウナ外交=武器なき国家防衛の「第三の戦略」
注
おわりに
前書きなど
はじめに
私がフィンランドに興味・関心を持ったのは、残念ながらムーミン、サンタ、オーロラではなく、また我が家の食卓はイケアであってアルテックではなく、また世界一の教育国家フィンランド論、情報技術における世界の最先端国家フィンランド論、世界幸福度ランキング連続一位などなどではなくて、ジーン・シャープ『武器なき民衆の抵抗』(小松茂夫訳、れんが書房新社、一九七二)に感銘を受け、やがて大著Gene Sharp, “ The Politics of Nonviolent Action”(初版一九七三、ボストン)に出会って、ロマノフ王朝末期の皇帝・ニコライ二世の二度にわたる「ロシア化政策〔ロシア帝国への吸収併合〕」を断固拒否し、見事な非暴力行動で勝利するフィンランド人の「武器なき闘い」に関心を持ったことに始まる。特に「双頭の鷲」と闘う「フィンランドの乙女」の姿は印象的であった。
ニコライ二世の「ロシア化政策」に対するフィンランド人の抵抗について調べているうちに、フィンランドの地は、西の隣国スウェーデンと東の隣国〈ロシア諸王国〉との、遥か中世期にまで遡る両国争奪の主戦場となり、しかもフランス革命後の一八〇九年以降は、ついに「フィンランド大公国」としてロシア帝国の「保護国」となるという長い歴史のあることが分かった。しかもニコライ二世の「ロシア化政策」は、この「保護国」状態を一歩進めて、フィンランドを完全に併呑してロシア帝国の一属州にしてしまうという策略であった。
このような歴史の流れから見ると、冷戦期〔一九四七/三~一九八九/一二〕において、大国ソ連と国境を一三〇〇キロも接するフィンランドがなぜ東欧諸国のようにソ連の「衛星国家」にならなかったのか、きわめて不思議に思われた。この疑問を念頭に置きつつ、ニコライ二世の「ロシア化」問題からさらに、フィンランドの中世期の歴史にまで遡って調べていくうちに、興味深い様々な問題に出会って、引き返せなくなってしまった。その結果ここに、フィンランドに関するいくつかの、私なりの調査研究の報告文が出来上がった。問題の核心は、何故フィンランドはソ連の「衛星国家」にならなかったのかという謎である。
(…後略…)
上記内容は本書刊行時のものです。