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在日外国人と市民権
移民編入の政治学
原書: Immigration and Citizenship in Japan
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2012年9月
- 書店発売日
- 2012年9月1日
- 登録日
- 2012年8月24日
- 最終更新日
- 2012年8月28日
紹介
多くの先進国が戦後移民の編入をテーマとしているのに対し、日本は戦前からの移民への対応がいまだ課題であり続けている。東京、川崎、大阪でのインタビューも踏まえつつ、国家による移民規制と、在日コリアンによる草の根運動との相互作用について考える。
目次
謝辞
序章 日本政治における移民政策と市民権の矛盾
移民編入の問題
日本の反移民、親移民的な編入体制を説明する
国際的規範
国内制度
新しい移民国家日本
草の根からの圧力――複数世代にわたるコリアンの活動と戦略的市民権
第1章 日本はパターンから外れているのか?――移民編入と非市民の政治的関与の国際的パターン
日本の移民編入体制
市民権政策と移民編入プログラム
法的地位と非市民の権利
非市民の政治的関与のパターン
○帰化パターン
○非市民による選挙外の政治参加
「日本人で通る」という人種政治
第2章 戦後日本における市民および非市民の構築
多民族帝国における市民権と臣民
戦後日本での市民と非市民の形成
戦後日本の移民統合の失敗
第3章 日本でコリアンとしてのアイデンティティを作る
「名前」にまつわる問題
冷戦期における国籍と民族文化的アイデンティティとの合成
〈帰国主義〉から〈在日〉へ
非市民による市民権運動へ
○日立就職差別訴訟
地域レベルの運動
全国運動
○指紋押捺拒否運動
○地方参政権運動
戦後日本における「コリアン問題」
第4章 政治戦略としての市民権
政治的編入のコストとベネフィット
日本の民主主義を多様化する3つのアプローチ
○ローカルな市民権――市民としての住民
○差異と集団的権利
○コスモポリタン・シティズンシップ
市民権の境界を広げる
第5章 行き先は日本――グローバルな変化と地域の変容
出入国管理1――排除から同化へ
出入国管理2――排除と同化
地方自治体と地方レベルの移民編入プログラムの創設
移民と日本の市民社会
シティズンシップについて語ること
○外国人のシティズンシップ、多文化主義そして民主主義
注
参考文献
訳者あとがき
図表一覧
表
1 国籍別外国人登録統計
1-1 アメリカ合衆国および日本における帰化要件
1-2 OECD諸国における外国人人口と外国人の権利(2006)
1-3 日本における年間の帰化
1-4 OECD諸国における帰化(2006)
4-1 コリアン住民の婚姻パターンの傾向
図
1-1 OECD諸国におけるシティズンシップ付与の在り方
4-1 シティズンシップへの相互作用的アプローチ
4-2 シティズンシップへの相互作用的アプローチ(応用)
前書きなど
訳者あとがき
本書はErin Chung, Immigration And Citizenship In Japan (Cambridge University Press, 2010)の全訳である。ただし、インタビュー部分に関しては、その一部は抄訳としてインタビューの引用を割愛した。翻訳書として原著者を紹介するのにまずその名前を記すべきであるのは当然だが、その表記の仕方は本書の第三章でも詳述されているように一筋縄ではいかない。Erin Aeran Chung(エリン・エラン・チャン、鄭愛蘭)は、2012年現在、米国ジョンズ・ホプキンス大学政治科学部で東アジア政治の教鞭をとり、また人種主義・移民・市民権プログラム(RICプログラム)の共同主任でもある。本書の主題である市民権に基づき彼女はアメリカ人であるという事実を重視すれば、名、姓の順番で、そしてカタカナで表記するのが順当であろう。しかし「韓国系」というマイノリティ・グループに属し、そしてまたそのことも彼女のアイデンティティの重要な一部であることを考慮すると、姓、名の順に記すことができようし、そして漢字で表記するのが妥当かもしれない。他方で、彼女の第一言語は英語であり、日本語でどう表記するのかをそれほど主観的にはこだわらないながらも、本書で触れているように、日本でのフィールドワークでは他者、特にコリアンの人々が、彼女が何者であるのかを同定するのに名前の表記方法に強い関心を示したことは、名前に表象されるアイデンティティが日本の移民および市民権に関わる政治の重要な要素となっていることを反映している。
本書は政治科学分野の研究に貢献するものとして、日本に在住するコリアンというマイノリティ・グループが及ぼす市民権概念の再検討および民主主義の再構築の試みを分析している。日本語ではなく英語で書かれている時点では、特にアメリカ発の理論的道具の使用に顕著なように非常に明快な政治学的議論が展開されている。しかし、日本語に翻訳したとき、本書が扱う対象は、アイデンティティ政治に絡めとられて身動きがとれなくなる怖れが多分に出てくる性質のものでもある。そしてそれゆえにこそ、原著者が「韓国系アメリカ人」であることが、議論の視角を、腰の据わった、国際比較の可能なものにしてくれる。アイデンティティ政治そのものは、本書の議論の本筋を左右するものではない。しかし、日本生まれのコリアン住民の間で「国内のマイノリティ・グループ」という立ち位置が認知されたことで、それ以前のいわゆる第一世代とは異なった、(日本の)国内政治への関与の仕方が登場したのである。
他方で、日本国内の「在日韓国・朝鮮人」(この呼称自体もまた、必ずしも当事者および研究者の間で一致を見ているわけでは決してないが)に関する議論の蓄積は膨大なものがあり、本書の参考文献ではそのごく一部が触れられているに過ぎない。それは、本書があくまでも政治科学分析を第一の目的としているからであり、そしてまた原著の意義が日本語ではなく英語の読者を対象とした「今の日本」の移民および市民権政治を明らかにしていくことにあるためでもある。それでも大沼保昭『在日韓国・朝鮮人の国籍と人権』(東信堂、2004年)の議論(1979~80年の同著者の論文に基づく)や朴鐘碩、上野千鶴子、崔勝久、加藤千香子『日本における多文化共生とは何か――在日の経験から』(新曜社、2008年)の言説は本書の射程に入るものである。
(…後略…)
上記内容は本書刊行時のものです。