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正義のアイデア
原書: The Idea of Justice
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2011年11月
- 書店発売日
- 2011年11月25日
- 登録日
- 2011年11月24日
- 最終更新日
- 2012年11月28日
書評掲載情報
2012-12-23 |
読売新聞
評者: 中島隆信(経済学者、慶応大学教授) |
2012-12-02 |
朝日新聞
評者: 空井護(北海道大学教授・現代政治分析・日本政治史) |
2012-02-12 |
日本経済新聞
評者: 大瀧雅之(東京大学教授) |
2012-01-15 |
読売新聞
評者: 中島隆信(慶応義塾大学教授、経済学者) |
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紹介
経済の分配・公正と貧困・飢餓の研究でノーベル経済学賞を受賞した著者が、不公正・不平等が蔓延する時代に、どうすれば正義を促進し、不正義をおさえられるかという問いを徹底的に追究する。ロールズの正義論を踏まえて、センの正義に関する議論を網羅した集大成。
目次
序文
謝辞
序章 正義へのアプローチ
推論と正義
啓蒙運動と基本的な相違
出発点
唯一の先験的合意の実現可能性
三人の子供と一本の笛――例証
比較に基づく枠組みか、それとも先験的枠組みか
達成、生活、ケイパビリティ
インド法における古典的区別
過程と責任の重要性
先験的制度尊重主義とグローバルな無視
第1部 正義の要求
第1章 理性と客観性
啓蒙主義的伝統に対する批判
アクバルと理性の必要性
倫理的客観性と理性的精査
アダム・スミスと公平な観察者
理性の及ぶ範囲
理性、感情、啓蒙運動
第2章 ロールズとその後
公正としての正義――ロールズのアプローチ
公正から正義へ
ロールズの正義の原理の応用
ロールズのアプローチから得られる積極的な教訓
効果的に解決できる問題
新たな検討を要する問題
ユスティティアとユスティティアム
第3章 制度と個人
制度選択の依存的な性質
契約論的理由による行動の規制
権力とそれに対抗する必要
基礎としての制度
第4章 声と社会的選択
一つのアプローチとしての社会的選択理論
社会的選択理論の射程
先験主義と比較主義との距離
先験的アプローチは十分か
先験的アプローチは必要か
比較は先験性を特定できるか
推論の枠組みとしての社会的選択
制度改革と行動変化の相互依存
第5章 不偏性と客観性
不偏性、理解、客観性
混乱、言語、コミュニケーション
公共的理性と客観性
異なる領域における不偏性
第6章 閉鎖的不偏性と開放的不偏性
原初状態と契約論の限界
国内の市民と国外の他者
スミスとロールズ
ロールズのスミス解釈
「原初状態」の限界
排他的無視とグローバルな正義
包摂的矛盾と対象グループの可塑性
閉鎖的不偏性と偏狭主義
第2部 推論の形
第7章 立場、妥当性、幻想
観察と知識の立場性
立場性の明快さと幻想
客観的な幻想と立場による客観性
健康、病気、場所による変化
性別による差別と立場に基づく幻想
立場性と正義論
立場に基づく限界の克服
誰が我々の隣人か
第8章 合理性と他者
合理的選択と実際の選択
合理的選択 vs. いわゆる「合理的選択理論」
主流派経済学の偏狭さ
利己心、共感、コミットメント
コミットメントと目標
第9章 不偏的理由の複数性
他者が理性的に拒否できないもの
非拒否性の複数性
協力の相互利益
契約論的推論とその範囲
力と義務
第10章 実現、帰結、行為主体性
アルジュナの議論
最終的結果と包括的結果
帰結と実現
実現と行為主体性
第3部 正義の材料
第11章 暮らし、自由、ケイパビリティ
自由の評価
自由――機会と過程
ケイパビリティ・アプローチ
なぜ達成を越えて機会に進むべきなのか
通約不可能性の懸念
評価と公共的推論
ケイパビリティ、個人、コミュニティ
持続可能な発展と環境
第12章 ケイパビリティと資源
貧困とケイパビリティの欠如
障害、資源、ケイパビリティ
ロールズの基本財
ロールズ理論からの離脱
ドウォーキンの資源の平等論
第13章 幸福、福祉、ケイパビリティ
幸福、ケイパビリティ、責任
経済学と幸福
幸福の範囲と限界
幸福の証拠的関心
功利主義と厚生経済学
情報的限界と不可能性
幸福、福祉、優位性
健康――認識と計測
福祉と自由
第14章 平等と自由
平等、不遍性、本質
ケイパビリティ、平等、その他の関心
ケイパビリティと個人の自由
自由の多面性
ケイパビリティ、依存、干渉
パレート的リベラルの不可能性
社会的選択 vs. ゲーム形式
第4部 公共的推論と民主主義
第15章 公共的理性としての民主主義
民主主義の内容
限られた民主主義の伝統?
民主主義のグローバルな起源
中東は例外か?
報道とマスメディアの役割
第16章 民主主義の実践
飢饉防止と公共的推論
民主主義と発展
人間の安全保障と政治権力
民主主義と政策の選択
少数者の権利と包摂的優先順位
第17章 人権とグローバルな義務
人権とは何か
倫理学と法
立法のルートを超えて
自由としての権利
自由の機会の側面と過程の側面
完全義務と不完全義務
自由と利害
経済的社会的権利の妥当性
精査、実行可能性、利用
第18章 正義と世界
激怒と理性
正義が行なわれるのを見ること
理由の複数性
不偏的理由と部分順位
部分的決定の及ぶ範囲
比較の枠組み
正義と開放的不偏性
正義の要件としての非偏狭性
正義、民主主義、グローバルな理性
社会契約と社会的選択
差異と共通点
訳者解説
訳者あとがき
原注
事項索引
人名索引
前書きなど
訳者解説
本書の原題は The Idea of Justice である。直訳すれば「正義のアイデア」である。「正義のアイデア」であって、「正義論(The Theory of Justice)」ではないことに注意すべきだろう。正義論が流行になっている今、本書の邦題を『アマルティア・センの正義論』とする方が魅力的であり、そうしたい誘惑にも駆られるが、あえてそうしないのは、セン自身、「理論」ではないことを強調しているからである。理論でないとは次のような意味においてである。
本書でセンは主流派の正義論を批判する。その理由は、主流派の「理論」が求めているように、何が(理論的に完全な)正義なのか、どうすればそのような正義に適った制度を構築することができるのかを考えることは、現実の問題を考える上であまり意味がないとセンは考えているからである。このような主流派のアプローチを「先験的制度尊重主義」と呼ぶ。
それよりももっと役に立つ現実的な「アプローチ」は、実際の世界に存在する明らかな不正義を取り除くにはどうすればよいかを考えることである。そのためには、現実の状態と、現実の不正義を取り除いた状態との二つの状態を「比較」することが必要となり、従って、センが提唱するのは「比較アプローチ」と呼ばれる。比較によって不正義を取り除くことに合意できれば、我々は「理論」を持たなくても前進することができる。センの考え方は、この意味で「部分的」であり、「不完全」であるが、現実の世の中が「完全」ではないときに「完全」を求める理論は間違っており、その不完全性は取り入れられるべきだとセンは主張する。容易に理解できるように、現実の選択肢を比較する上で、「完全な正義とは何か」という議論は必要でもないし、十分でもない。この点をセンは、次のような例によって示す。ある人がモナリザを世界で最高の絵画だと見なしているという事実は、その人がピカソとファン・ゴッホのどちらを選ぶかという現実の選択については何の役にも立たない。一方、ピカソの絵よりもファン・ゴッホの絵の方が優れていると論じようとするとき、ファン・ゴッホとピカソとその他のすべての絵画を打ち負かす、この世で最も完全な絵画はどれかを特定することに一所懸命になる必要はない。
主流派の議論が、「何が(完全な)正義か」ということを、前提に基づいて論理的に組み立て、どのような制度を追求すべきかを示そうとする点で「理論」であるのに対して、比較アプローチはそのようなあるべき姿を示そうとするのではなく、比較の方法を提示し、それによって不正義を取り除くことができるという道筋を示しているという点で「アイデア」であり「アプローチ」に過ぎない。センの議論には「何が完全な正義なのか」という問いはなく、それに対する答えもない。しかし、現実の問題に答えるには、それで十分なのである。同様に、センのケイパビリティの考え方も「ケイパビリティ・アプローチ」に過ぎず、「ケイパビリティ理論」ではない。第11章で論じられるように、ケイパビリティは、個人が置かれている状況の「優位性」(「豊か」なのか「貧しい」のか)を判断するためにどのような情報を用いればいいのかを示しているだけであって、それ自身では、その情報をどのように使うべきか、社会をどのようにデザインすべきかについて特定の方法を提案しているわけではなく、その意味で「理論」ではない。
本書の第3部の四つの章はケイパビリティに関する議論に当てられており、センの正義のアプローチでケイパビリティという概念がいかに重要な位置を占めているかが分かる。ケイパビリティそのものは簡単な概念であるにもかかわらず、混乱した使い方もしばしば見られる。混乱の一つの理由は、ケイパビリティが「潜在能力」と訳されることにある。センが『福祉の経済学』で行なったような厳密な定義とは無関係に、日本語としての「潜在能力」の意味で用いられ、何らかの「能力」(例えば、財を機能に転換する能力)として理解されがちである。多い誤解は、「人々の潜在能力を最大限に活用することが経済開発につながる」という解釈である。もっとひどい間違いは、センを引用しつつ(たぶん、きちんと読みもせず)、「センは、社員の潜在能力を最大限に活用することが会社(社会ではない)の発展につながると述べている」と論じる人もいる。しかし、潜在能力アプローチは経済発展や企業戦略の理論ではなく、人々の暮らしの良さや悪さをどう捉えるかに焦点があり、個人の福祉【Well-being、暮らしの良さ】を捉えるためにどのような情報に着目すべきかを示しているに過ぎない。したがって、このような誤解を避けるために、本書では、「潜在能力」という訳語を使わず、「ケイパビリティ」を用いた(「潜在能力」という訳語は日本人にとって魅力的な言葉であり、センのアイデアを日本で広める上で大きく貢献した点については大いに評価すべきであるが)。
(…中略…)
本書は4部から成り、第1部「正義の要求」では正義の基礎として、理性的な推論、不偏性、人々の声の役割など、正義が満たすべき要件が提示され、第2部「推論の形」では方法論として、地域的な偏狭性や自己の利益を乗り越えるためにアダム・スミスの「公平な観察者」や他者に対する「共感」や「コミットメント」や責任について論じられ、第3部「正義の材料」では、正義を考える場合の情報的基礎としてケイパビリティの重要性が論じられ、第4部「公共的推論と民主主義」では応用編として、民主主義の重要性が強調され、人権やグローバルな正義といった課題にどう答えていくかが論じられる。
(…中略…)
本書の概要は次のとおりである。第1部「正義の要求」では正義の基礎として、理性的な推論、不偏性、人々の声の役割など、正義が満たすべき要件が提示される。
(……)
第2部「推論の形」は四つの章から成り、偏狭性を乗り越えるためにアダム・スミスの「公平な観察者」を、「自己の利益」を乗り越えるために他者に対する共感やコミットメントや責任を、狭い帰結主義を乗り越えるために過程まで考慮し、責任や行為主体性など豊かな内容を取り込むことが論じられる。
(……)
第3部「正義の材料」では、センの正義の考え方で中心的役割を果たすケイパビリティという概念について論じられる。第11章「暮らし、自由、ケイパビリティ」では、ケイパビリティという概念の擁護が行なわれ、第12章「ケイパビリティと資源」では、「資源」によって人々の暮らしを捉えることの問題を指摘し、この点に関してケイパビリティの視点が優れていることが論じられる。第13章「幸福、福祉、ケイパビリティ」では、ケイパビリティと幸福との関係が論じられ、第14章「平等と自由」では、ケイパビリティの平等を求めるべきかが論じられる。
(……)
第4部「公共的推論と民主主義」では、現実の正義の問題が論じられる。第15章「公共的理性としての民主主義」では、民主主義がアジアにおいても広く見られること、第16章「民主主義の実践」では、民主主義が経済発展を阻害するという主張を退け、民主主義は「発展」の一つの重要な要素であり、「人間の安全保障」を追求する上で手段的価値も持っていることが示され、第17章「人権とグローバルな義務」では、人権を法制化に拠らない不完全義務と捉え、それが世界の貧困問題などを解決する上で有効な力となること、第18章「正義と世界」では、グローバルな視点から正義を追究することが論じられる。
(……)
本書は「理論」の書ではないので、論理に従って展開していくというよりも、正義やケイパビリティを巡って交わされてきた議論を網羅的にまとめたという印象を受ける。インドの古典からの引用もあり、さらにはロールズやスラッファらとの思い出話まであり、センがどのような道を歩んできたかを知ることもできる。そのために本書はかなりの厚さになっているが、それはセンのアイデアを理解する上で必要なものである。繰り返し読めば読むほど、よく理解できるだろう。
上記内容は本書刊行時のものです。