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風刺画にみる日露戦争
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2010年6月
- 書店発売日
- 2010年6月28日
- 登録日
- 2010年4月5日
- 最終更新日
- 2014年12月19日
紹介
“痛快な笑いと共感”をもたらす時事風刺漫画から覗く帝国主義時代の国際関係の歴史。風刺画には、それぞれの国の文化と他に対するイメージ、言説が溶け込んでおり、国益の視点と弱肉強食の論理から描き出す“世界史としての日露戦争”の姿と本質。
目次
目 次
はじめに
風刺画のキャラクターについて
1. 「力の政治(Power Politics)」の時代
<絵1>おれの刀が1つだけに見えるのか!
<絵2><絵3>私が後にいるから心配するな
<絵4>火中の栗を僕が拾う?―列強に弄ばれている日本
<絵5><絵6>英米の日本支援
<絵7>猿と熊の休憩時間
<絵8><絵9>列強の関心は?
<絵10>英国と同盟するか?ロシアと提携するか?
<絵11>~<絵13>日英同盟の利害関係
<絵14><絵15>露仏同盟と日英同盟
<絵16>日英同盟に対抗する露仏同盟拡大の企み
<絵17>~<絵19>日露戦争は日英同盟と露仏同盟の対立?
<絵20>しっかり捕まえて、アンクル・サム!
2. 戦争の原因―韓国と満州問題
<絵1>韓国の最後の絶叫―局外中立宣言
<絵2>日本の韓国への野望とロシアの韓国「保護」 ?
<絵3><絵4>韓国に対する日露の野望
<絵5><絵6>ロシアは韓国と満州をどちらも譲れない?
<絵7>~<絵9>日露戦争と韓国
<絵10>りんごに手をつけず、木からそのまま降りてこい!
<絵11><絵12>満韓問題の起源―三国干渉とロシアの旅順、大連占領
<絵13>~<絵15>韓国と満州
<絵16><絵17>日露の威嚇に無力な清
<絵18>清の中立
<絵19><絵20>ロシアの満州に対する野望
<絵21>「清の領土と主権尊重を!」一歩遅れて東アジアに飛び込んだ米国の理想主義外交の一声
<絵22><絵23>米国の門戸開放政策と日露戦争での「中立」標榜の意味
<絵24><絵25>満州の門戸は開いている?
<絵26>ロシアの鴨緑江利権(Yalu Concession)
<絵27>どこにいつまでそんなに粘れるのか?
<絵28>開戦外交の決裂
<絵29>今日も私に来た手紙はないの?
<絵30>「韓国は私に譲ってくれなきゃ」
「とんでもない、そんなわけにはいきません」
<絵31>~<絵34>ロシアの回答を待ちながら
3. 黄禍と白禍
<絵1><絵2>白人と黄色人
<絵3>~<絵5>勝利に輝く小さな戦争(a splendid little war)
<絵6>ヨーロッパ文明を重ねてこそ……
<絵7>~<絵11>日本の勝利と日露の互いのイメージの変化
<絵12>太陽の前の露
<絵13><絵14>日本の少年兵、ロシア熊を猿のように調教……
<絵15>大日本の相撲取り
<絵16><絵17>黄禍と白禍の対立?
4. 開戦と戦況
<絵1>日露の外交関係の断絶―今や噴火は時間の問題
<絵2>~<絵4>わしはまだ準備ができていないのに
<絵5>~<絵8>日露戦争の戦端は韓国から
<絵9><絵10>ロシアの対応が気になる列強
<絵11>ロシアの戦略
<絵12>太陽(日本)がつゆ(露)を溶かすのは必然?
<絵13>日本の陸海戦の戦術
<絵14><絵15>日本軍の旅順攻略で苦しめられるロシア
<絵16>満州へ行く途中で
<絵17><絵18>1904年の戦争の経過
<絵19><絵20>ついに旅順を取り戻す!
<絵21><絵22>日本の203高地占領とクロパトキンの退却
<絵23>平和のためのロシアの第一歩?
<絵24>バルチック艦隊、航路進まず
<絵25>バルチック艦隊の惨敗
<絵26>ロシアの敗北
<絵27>平和を脅かした日本
<絵28>戦争はすなわち「平民の血」
<絵29>日本の戦勝を歴史はどのように記憶するのか
5. 戦況と国際情勢の変化
<絵1>~<絵3>ヨーロッパの日露戦争観
<絵4>悲惨な乞食のもの乞いとは!
<絵5>同盟の紛糾に連座しないように……
<絵6><絵7>モロッコ危機
<絵8><絵9>英仏間を妨害するドイツ
<絵10>英仏の微妙な対立―満州での競馬
<絵11>日露戦争の隙を突いて―英国のチベットに対する条約締結強要
<絵12>トーゴバンク事件
<絵13>フランスの曖昧な中立
<絵 14>~<絵 17>アンクル・サムの独白―彼らが戦争に巻き込まれるように放っておかねば
6. ロシアの内憂外患
<絵1>左手がすることを右手が知らないようにせよ?
<絵2><絵3>内憂外患で煩悶するロシア
<絵4>前後から攻撃してくるので気がめいるよ
<絵5>幸運の女神さえ日本に……ロシア艦の自沈事故
<絵6><絵7>貧困のロシア
<絵8>戦艦ポチョムキンの反乱
<絵9>もう失うものはない!
<絵10><絵11>敗戦の責任はだれに?
<絵12><絵13>崖っぷちの専制
<絵14>敗者の弁解
7. ポーツマス講和会議
<絵1>ロシアに残された選択は今や講和のみ
<絵2>平和を回復しようという努力
<絵3>~<絵5>ルーズベルトの講和提案
<絵6><絵7>日本の講和条件
<絵8>ロシアの自尊心
<絵9>日本のサハリン占領
<絵10>賠償金はなく、サハリンは半分に分割しなければ
<絵11>慎重なウィッテ
<絵12>双方の法廷弁護人
<絵13>中国の勝利?
<絵14>平和に入る門
<絵15><絵16>両国の講和使節の食い違った運命
8. 戦争の結果と戦後の国際関係
<絵1>日本の韓国「保護」国化
<絵2>日英同盟の更新
<絵3>日仏協約
<絵4>ジョン・ブルと関係改善のダンスはいかが?
<絵5>英露協商
<絵6>独清米協約の試み?
<絵7>ドイツの孤立
<絵8><絵9>追い出される韓国のハーグ特使たち
<絵10>「ハーグ密使事件」と日本
<絵11>統監政治の悪名
<絵12>今や日本の力は牽制されなければならない
訳者あとがき
注
前書きなど
去る2004~5年、日露戦争勃発100年を振り返るシンポジウムが世界の各地で開かれた。戦争の原因や軍事史的研究、戦争と日露の国内政治に関する研究、戦争が20世紀の歴史と東アジアに及ぼした影響、戦争とメディアなど、多くの関連研究が国際シンポジウムと研究会などを通じて行われた。また、その報告が公にされた。これらのシンポジウムの新しい傾向は、戦争の原因と経過、そしてその結果を国際関係という大きな枠組みのなかで分析しようとするものだった。そうした点で、日露戦争を国際関係のなかで解釈し、それが日本の日韓併合に及ぼした影響を分析した崔文衡教授の研究(『日露戦争の世界史』藤原書店, 2004年)は、日露戦争の研究が進むべき方向を的確に示した記念碑的業績と評価された。
日露戦争は本質的に韓国と満州の支配をめぐる軍事的帝国主義の覇権争いであり、ロシアの南下政策と日本の大陸進出政策が衝突した結果だった。ロシアは満州を占領したまま、朝鮮半島の北部まで中立化しようとしたし、日本はこれを無視できなかった。「ロシアに朝鮮半島から手を引かせることは、日本にとっての死活の問題だった」わけだ。そして、戦争で日本側についた英国と米国は、この事実をよく知っていた。
日露戦争は日露両国の覇権争いにとどまらなかった。この戦争には、帝国主義時代に東アジアで繰り広げられた列強の覇権争いであるばかりでなく、戦争の直接の結果であり犠牲となった朝鮮半島と満州、英米の直接間接の東アジア政策、19世紀末から20世紀にかけて続く英露間の全世界的な対立、ヨーロッパでの独仏の民族主義対立、バルカン半島をめぐるロシアとオーストリアなどの対立など、第1次世界大戦へと続く国際秩序の変化の過程などがすべて圧縮されていた。日露戦争の理解が難しい理由もここにある。
ところで、このように複雑でベールに包まれた帝国主義時代の国際的状況を100年以上前の時事漫画家たちは、新聞やジャーナル(雑誌、雑報の類)、そして絵はがきなどに、諧謔を込めて政治風刺画に描いた。1ページの風刺画は、文字とは異なる多くの情報を伝えてくれる。それは、同時代の多くの人びとに痛快な笑いと共感をもたらす時事漫画固有の性格のためでもあるが、とくに日露戦争の風刺画はもとより笑って済まされる単純なレベルのものではない。政治風刺画の言葉と象徴から醸し出される客観的で分析的な迫力は時に、文献資料だけにとらわれがちな頑固な歴史学者たちをも圧倒する。
風刺画には他の社会と文化を見るイメージ、ある社会や文化の間の価値体系と慣習、伝統、そして帝国主義時代に特有の言説とその象徴体系までそっくり溶け込んでいる。したがって、各国の風刺画には、自らその国の文化と言説が反映されている。英国の『パンチ(Punch)』やオーストリアの『デル・フロー(Der Floh)』に載っている挿画は、自国の利害関係を超え、客観性と痛烈な批判が抜きん出ている。とくに『デル・フロー』の鋭さは、同国の豊かで成熟した伝統ある風刺文化の産物であることがうかがえる。それは、18世紀以来ハプスブルグ帝国で培われてきたものだ。また米国の『ハーパーズ・ウィークリー(Harper’s Weekly)』などは、主に自国中心主義から世界情勢を見る傾向が著しかった。
とはいえ、同時に風刺画には、異なる文化圏についての歪曲されたイデオロギーと偏見も込められていた。帝国主義時代の政治風刺画には、列強中心の力の論理がそのまま投影されている。すなわち、パワーゲームの競争相手、そして進出や侵略の標的となる国への偏見と歪曲されたイメージが、そのまま反映されているのである。風刺画を解釈する時、最も難しい点はまさしくここにある。今日、韓国で帝国主義時代についての講座を受講する学生が、時折次のような問題を掲げることがある。19世紀末から20世紀初めの多くの秘密同盟と外交協定により、列強が弱小国の運命を思いのままに取り引きに使ったが、この「帝国主義時代の国際秩序」というものがどうしても理解できないと言うのである。100年前、弱肉強食の帝国主義時代に横行した「力の政治(パワー・ポリティクス)」に違和感を感じると言うのなら、それは少なくとも現在の国際秩序が国家間の相互尊重と真の友好に基礎を置いていると思えばこそであろう。しかし、現在もなお、周辺の大国の狭間で、依然として命がけで「生き残り」を図っている弱小国にとっては、冷酷な弱肉強食の国際秩序と力の論理は「かつての歴史的経験」では済まされない。そう考えれば、これもやはり私たちが直面している国際秩序の現実なのだ。
本書の第1の目的は、当時の風刺画をわかりやすく紹介し、興味をもって歴史を理解できるようにすることにある。時事漫画家たちの辛辣な風刺と歴史意識は、複雑に絡み合った帝国主義時代の冷酷な国際秩序の密かな動きばかりでなく、さらにその後の変化までも見透かしているからだ。したがって、言うまでもなく本書は、風刺画の研究書ではない。風刺画に込められた言葉を歴史の事実と結びつけ、歴史教育の資料として活用していただければと思う。
本書で紹介する風刺画は2つの基準で選ばれている。その風刺画が当時の帝国主義時代の国際関係をどれくらい正確に反映しているか、そしてそれを通じて日露戦争をどれくらいわかりやすく理解できるかの2点だ。以上の点から、事実をそのまま伝える性格の強い絵画類や画報類(illustration)は本書では扱っていない。絵画類や画報類よりは、主に歴史的場面の再現に力点を置いている。それは、「本能的で利己的な」国際関係の現実を滑稽でありながらも正確に予測・批判した風刺画や時事漫画(cartoon, caricature)が、より興味をもって理解できると思うからだ。この点で私は、歴史的状況を再構成するために、発行年度が明らかな風刺画だけを選んだ。しかも、理解しやすいものを中心にして本書をまとめた。
本書で紹介している政治風刺画の大部分は、私が10年以上かけ、新聞、雑誌、古書、復刻本などから収集したマイクロ資料である。それらは主に、米国議会図書館、ジョージタウン大学、ハワイ大学ハミルトン図書館、ペンシルバニア大学、日本の国立国会図書館、川崎市民ミュージアム、法政大学、フランス国立図書館、ハンブルグ大学、ロンドン大学SOASなどで収集した。合わせて、英国の『デイリー・ミラー(Daily Mirror)』、オーストリアの『デル・フロー』、米国の地方紙誌の風刺画などは古書と、インターネットの文書庫サイトを使った。
私は19世紀のヨーロッパ史、帝国主義時代と第1次大戦史を講じながら、受講生たちが歴史を興味をもって理解するには、風刺画資料がよりよい資料となることに気づいた。それからは、その収集に熱が入るようになった。
マイクロ資料や稀覯本を注意深くコピーしながら、人知れず宝物を見つけるようなときめく興奮を味わったものだ。同時に、私は風刺画家たちの洞察力に驚かされた。長時間かけてマイクロ資料を検索するのは骨の折れる作業だったが、それは同時に100年前の人たちの証言に耳を傾けることでもあった。そして、そこに込められた諧謔を理解しようと努めた。当時のおびただしい数の従軍記者、時事漫評家の慧眼に敬意を表したい。
ささやかな拙著ではあるが、出版にこぎつけるまでには多くの方がたの恩恵にあずかっている。個人所蔵の絵はがきやインターネット資料の使用を許可してくださったS・リンハルト教授、Y・ミハイロバ教授、そしてG・ウィラー教授に感謝したい。日本関係では、国立国会図書館の岩城成幸先生に一方ならないご協力を得た。友人の今里陽子さんは、新しい資料をきちんと揃えて送ってくださった。2005年、私が渡米してペンドルヒルに滞在中、欧米人のユーモアについて蒙を啓かせてくれたL・ファーガスン氏、H・ウッド氏をはじめ、多くの方々からご協力と励ましを受けた。また一人ひとりのお名前を挙げられないが、多くの司書の方々にこの場をお借りして感謝したい。彼らのお蔭で期待以上の資料を手に入れることができた。
2005年12月、私は法政大学の大原社会問題研究所が主催するシンポジウムで「風刺画に表れた日露戦争と『力の政治』」を発表する機会を得た。その後、同研究所から資料収集で多くのご支援を得た。さらに相田利雄、和田春樹、加納格、劉孝鍾、金成浩の各教授に感謝したい。また、シンポジウムの場で、まだ韓国版の本ができないうちに、日本版の出版を引き受けてくださった彩流社の竹内淳夫社長にも衷心から感謝したい。
最後に、韓国関係ではオーストリアの風刺画の解釈に協力してくださった金春植博士、初校を読んでくださった後に一般書として出すよう激励してくださった版画家の李哲秀画伯、装幀などについて惜しみない助言をくださった金宗燮さんに感謝する次第だ。
末尾になったが、出版不況の折柄、構想当時から絶えず励ましと支援をくださった知識産業社の金敬熙社長と編集部の皆さんに深甚なる感謝を捧げたいと思う。
2006年12月15日
石 和 静
版元から一言
(社)日本図書館協会 選定図書
上記内容は本書刊行時のものです。