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ブロンテ家の人々(上) ジュリエット・バーカー(著) - 彩流社
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ブロンテ家の人々(上) (ブロンテケノヒトビト ジョウ)
原書: Juliet Barker, The Brontes, London: Weidenfeld and Nicolson,1994

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発行:彩流社
A5判
782ページ
上製
定価 7,500 円+税   8,250 円(税込)
ISBN
978-4-7791-1202-7   COPY
ISBN 13
9784779112027   COPY
ISBN 10h
4-7791-1202-8   COPY
ISBN 10
4779112028   COPY
出版者記号
7791   COPY
Cコード
C0023  
0:一般 0:単行本 23:伝記
出版社在庫情報
絶版
初版年月日
2006年10月
書店発売日
登録日
2010年2月18日
最終更新日
2016年1月25日
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紹介

ブロンテ姉妹に関するステレオタイプ化されたイメージを、歴史的背景と史料の多角的検証を通して打破した労作。ブロンテ家の全体像を俯瞰し、才能ある作家の誕生と偉業の底流にある緊密な家族の絆を浮き彫りにした画期的な伝記。(2006.10)

目次

目 次(上巻)

 日本語版へのまえがき
 謝辞 
 ハワースと周辺地図 
 まえがき 
 序文 

第1章 大望を抱いた男…………………………………………………………芦澤 久江 訳 
第2章 約束の地…………………………………………………………………橋本 清一 訳 
第3章 よき友人たちと親切な隣人たち………………………………………宇田 和子 訳 
第4章 見知らぬ土地の見知らぬ人……………………………………………増田 恵子 訳 
第5章 慈善学校の子どもたち…………………………………………………杉村  藍 訳 
第6章 もの書きマニア…………………………………………………………小野ゆき子 訳 
第7章 報いられた競争…………………………………………………………田中 淑子 訳 
第8章 アングリアの人々よ、起ちあがれ!…………………………………佐藤 郁子 訳 
第9章 地獄の世界………………………………………………………………白井 義昭 訳 
第10章 勝ち目なき戦い…………………………………………………………市川千恵子 訳 
第11章 奴隷労働…………………………………………………………………海老根 宏 訳 
第12章 パトリック・ボウアナージス…………………………………………緒方 孝文 訳 
第13章 翼への願望………………………………………………………………田村真奈美 訳 
第14章 大勢のなかで孤立して…………………………………………………八十木裕幸 訳 
省略符号――原稿コレクション・書籍……………………………………………………… 
注………………………………………………………………………………………………… 
索引………………………………………………………………………………………………

目 次(下巻)

第15章 ムッシュー・エジェ……………………………………………………田村 妙子 訳
第16章 ミセス・ロビンソン……………………………………………………廣野由美子 訳
第17章 詩集………………………………………………………………………松井 豊次 訳
第18章 三つの物語………………………………………………………………前田 淑江 訳
第19章 家にひそむ影……………………………………………………………奥村 真紀 訳
第20章 剥ぎ取られ、奪われて…………………………………………………橋本登代子 訳
第21章 もはや透明人間ではなく………………………………………………惣谷美智子 訳
第22章 聡明な人々との交際……………………………………………………片山 美穂 訳 
第23章 わが家から逃れて………………………………………………………藤田  繁 訳 
第24章 『ヴィレット』…………………………………………………………清水伊津代 訳
第25章 トムキンズ勝ち誇る……………………………………………………渡 千鶴子 訳
第26章 幸せな日々………………………………………………………………瀬戸奈美子 訳
第27章 聖性と反逆と陰謀………………………………………………………井上 澄子 訳
第28章 すべての終り……………………………………………………………山本紀美子 訳

監訳者あとがき………………………………………………………………………………… 

初期作品における人物名と地名……………………………………………………………… 
補助的資料……………………………………………………………………………………… 
省略符号――原稿コレクション・書籍……………………………………………………… 
注…………………………………………………………………………………………………
索引……………………………………………………………………………………………… 
 

前書きなど

日本語版へのまえがき

 本書にまえがきを書くことはわたしにとって無上の光栄です。この機会に今年創立二〇周年記念を迎える日本ブロンテ協会に祝意を表します。この二〇年間、日本ブロンテ協会の会員は、国際的ブロンテ研究の最前線にあって、ブロンテ姉妹の作品を日本語に翻訳するだけでなく、伝記、文学批評、エミリ・ブロンテの詩歌や『嵐が丘』のコンコーダンスを含めて、日本語、英語両方の広範囲な書物と論文も出版してこられました。これらの仕事はブロンテ姉妹の生涯と作品をよりよく理解するのに甚大な貢献をしてきました。かの非凡な才能に恵まれた家族にかかわるすべての学徒はこのことに感謝を捧げていることでしょう。
 日本ブロンテ協会はまた、われわれ両国間に友情の精神を育もうとして重要な役割を果たしてこられました。日本ブロンテ協会が結成されたとき、わたしはブロンテ・パーソネージ・ミュージアムの館長の職にあり、司書も兼務しておりました。そして非常に大勢の日本人観光客が地球の反対側から長い旅をしてブロンテのふるさとを訪ねてくださるのは、ハワースで暮らしているわたしたちにとって大きな満足の源であった、といえるでしょう。わたしたちはそのような巡礼の旅を企画し実行してくださった献身と関心に対して心からの称讃を捧げています。そしてハワースでは日本人観光客がいつもいちばん歓迎されています。
 日本ブロンテ協会がその創立二〇周年記念を特別なものとするために、わたしが書いた伝記『ブロンテ家の人々』を翻訳し出版しようと決定されたことを名誉に思うと同時にうれしく思います。このような大冊の翻訳は、中岡洋教授と内田能嗣教授のご指導のもと、この仕事を引き受けられた方々には多くの歳月とたいへんなご苦労がかかりました。わたしはこれらの方々お一人おひとりの入念なご努力に対して衷心より感謝申しあげたいと思います。そしてそうしたご努力がそれに価する成功をもって報いられますよう祈ります。しかしながら、わたしの最大の願いは、この新しい翻訳がわれわれ両国の架け橋となり、ブロンテの本を読んで得られるはずの大きな喜びを、より多くの人々が自分たち自身のために発見する、またとない機会となることであります。

    二〇〇六年一〇月一六日
                               王立文芸協会会員
                       文学博士 ジュリエット・バーカー


監訳者あとがき




 ジュリエット・バーカー著『ブロンテ家の人々』(Juliet Barker, The Bront壮, London : Weidenfeld and Nicolson, 1994)を日本ブロンテ協会創立二〇周年記念事業の一環として翻訳出版できたことは、原著者バーカー博士はもとより、日本ブロンテ協会会員、わが国におけるブロンテ愛好家にとり、またわれわれ翻訳に携わった者にとっても、まことに喜ばしいかぎりである。出版に至る過程でさまざまな困難を克服し、今日その最終目的を達成した感慨は何ものにもまして深く、感激するところ実に甚大である。
 本書が成るまでの経緯は私事にわたりながら中岡個人にとってはいささか忘れがたいものがある。本書の原本は一九九四年に出版されたが、その直後、ハワースのブロンテ・パーソネージ・ミュージアムの館長と司書を兼任しておられたバーカー博士から日本語への翻訳の要請が届いた。ジュリエット・バーカー博士とは幾度か訪れたハワースで知り合っていた。当時、これまた日本ブロンテ協会一〇周年記念事業として企画され実施されていたみすず書房刊『ブロンテ全集』の編集委員として多忙であった中岡はとうてい引き受ける時間的余裕がなく、代わって研究仲間である芦澤久江教授が引き受ける約束をし、博士も快くこれを了承されていた。芦澤教授もすでに博士と知り合いであったからである。
 本書は出版当初から評価が高く、ブロンテ研究者の間では注目され、研究資料として重要視されていた。一九九六年か九七年ころ、当時日本ブロンテ協会評議員長であった内田は協会発展のため幾多の企画を立て、中岡と相談する多くの機会をもっていた。あるとき、内田は本書の評価の高いことに着目して、これを日本ブロンテ協会の記念行事として翻訳してはどうだろうかと考えた。すでに翻訳作業に着手していた芦澤教授はこの考えを快く受け入れ、自分一個人の作業としてよりも協会全体の作業として会員の協力体制を作り上げることのほうが大切だと考え、この案に賛成した。そして評議員長の内田能嗣より評議員会に、本書を日本ブロンテ協会の記念事業として翻訳出版しようと提案し、海老根宏会長のご協力のもとに実行することに決まった。第一章が芦澤教授の担当となったのはそのような経緯があったからである。
 ブロンテ姉妹の伝記については、ここでは詳細を語る紙幅がないが、特記すべきはエリザベス・ギャスケルの『シャーロット・ブロンテの生涯』(The Life of Charlotte Bront, 1857)である。これは三大伝記の一つと数えられており、天下の名著であるが、これに対する不満は出版当初からあった。まず依頼主のパトリック・ブロンテから、また資料蒐集に献身的協力をしたシャーロットの親友エレン・ナッシーから、大きな不満が洩らされた。しかしシャーロットの弟ブランウェル・ブロンテに対する誘惑者ミセス・リディア・ロビンソンや、『ジェイン・エア』に描かれたローウッド・インスティテュートのモデル、カウアン・ブリッジ・スクールの理事長ウィリアム・キャリス=ウィルソン師からの訴訟事件などのため、ミセス・ギャスケルは本来の意図を変更せざるをえなかった。初版と第三版が問題となるのはそのためである。その後新聞紙上の論戦が展開された事情は本書に詳しく書いてある。一九世紀後半はエレン・ナッシー所蔵のシャーロット・ブロンテの手紙をめぐって新しい伝記を執筆しようという流れが生じ、また一方ではアイルランドの先祖たちの物語にブロンテ文学の淵源を求め、踏査する流れも生じた。前世紀の前半はおおむね戦争に終始したが、伝記的関心の底流は絶えることなく続き、ギャスケルの後にこの天才一家の伝記に筆を染めた人たちの数は枚挙に暇がない。
 前世紀の後半、第二次世界大戦後の時代には、幾多の伝記が書かれた。フィリス・ベントリー博士の『ブロンテ姉妹』(一九四七)を皮切りに、ローラ・ヒンクリーの『ブロンテ、シャーロットとエミリ』(一九四七)、ロレンス・アンド・E・M・ハンソンの『四人のブロンテ』(一九四九)、ジョン・ロック・アンド・W・T・ディクソンの『悲しみの人』(一九六五)、ウィニフレッド・ジェランの『シャーロット・ブロンテ』(一九六七)、マーゴット・ピーターズの『不安な魂、シャーロット・ブロンテの伝記』(一九七五)、F・B・ピニオンの『ア・ブロンテ・コンパニオン』(一九七五)、バーバラ・アンド・ギャレス・ロイド・エヴァンズの『エヴリマンズ・コンパニオン・ツー・ザ・ブロンテズ』(一九八二)、エドワード・チタムの『エミリ・ブロンテの生涯』(一九八七)、『アン・ブロンテの生涯』(一九九一)、バーバラ・ホワイトヘッドの『シャーロット・ブロンテと大好きなネル』(一九九三)、リンダル・ゴードンの『シャーロット・ブロンテ』(一九九四)、クリスティーン・アレグザンダー・アンド・マーガレット・スミスの『ジ・オックスフォード・コンパニオン・ツー・ザ・ブロンテズ』(二〇〇三)などが陸続として出版されている。
 このほか、フィリス・ベントリー博士やファニー・エリザベス・ラッチフォードらの重鎮たちをはじめ、作家詩人らがブロンテ姉妹には必ず目を注ぎ、それこそ注目すべき発言を行っている。ベントリー博士はブロンテ姉妹の伝記や文学について注目すべき見解を示し、ケルト的才能がヨークシャーの土壌に花を開いたと言い、ラッチフォードはブロンテ姉妹の初期作品についての研究で牽引車的役割を果たした。いずれも忘れられない功績を残した。またメーテルリンク、メイ・シンクレア、サマセット・モーム、ミュリエル・スパーク、マーガレット・ドラブルら作家詩人の発言がいかにブロンテ研究熱を盛り上げたか、いくら賞讃してもしたりない。わが国においても河野多惠子氏の慧眼はブロンテ愛好者の心を熱くするものがあった。河野多惠子氏はわが日本ブロンテ協会初代会長として創設期の幾多の困難を克服し、その基盤を安泰たらしめ、日本ブロンテ協会主催の「嵐が丘展」をイギリス本国から招聘、貴重な品々を取り寄せ開催し、わが国初の『ブロンテ全集』を刊行させた功績は高く評価されている。本書の翻訳出版が協会の記念事業として行われることに鑑み、とくに言及するところである。
 本書が高く評価されるのは、もちろん内容の濃密さによるものであるが、時代の変化が大きく働いているからである。文学研究も大きく様変わりして、時代は 学 際 的 になった。世界的変化は世界の要求を変えさせた。これまで文学研究は文学者の専門の仕事であったかもしれない。この変化は二〇世紀の初頭にはじまっていたのであろうが、いろいろな学問が相互に影響しあって、世界に対する理解も重層的立体的になってきていた。そこに歴史学者のジュリエット・バーカー博士がブロンテ・パーソネージ・ミュージアムの館長に就任したことの意味と成果は大きかった。文学者の手法とは異なったやり方で資料を蒐集し、証拠を求め、調査を行い、発想を変え、見えなかった相を見えるようにしているのが本書の特徴である。バーカー博士は歴史学者であり、博士が得意とする社会の各所に散在している有効な証拠の蒐集に努め、ブロンテ姉妹の実像を打ち立てたのである。エリザベス・ギャスケルが文学作品まがいの、つまり 虚 構 による、シャーロット・ブロンテの虚像を打ち立てたのに反して、ジュリエット・バーカーの功績はブロンテ姉妹のほんとうの姿に肉薄したことであろう。端的に言って、虚像対実像である。これによって世界のブロンテ研究が様変わりをしたと言っても過言ではない。
 翻訳ということについていえば、わが国の言語がヨーロッパの諸国とは異なった言語体系を形づくっているので、英語から日本語へ移し変える作業はことのほかむずかしい。最近では翻訳機械が考案されていくらか楽になったのであろうか。われわれは使ったこともないので、その難易はわからないが、古いと言われようと、これはやはり心をもって美しい日本語に移そうとする精神がなければ成り立たない作業である。しかも大勢の人々が集まって行う精神的作業は微妙な差異を生じさせて、なかなか困難な作業であった。監訳者の仕事は訳者の分担を割り当てる仕事からはじまって、原稿の取りまとめ、事前の通読、訂正箇所の指摘、出版社への郵送と初稿の校正の取りまとめ、さらに通読と校正、再校の通読と校正というふうに切れ目なく続き、われわれはできるかぎり丁寧に各段階の作業を行った。原著者への敬意はいうまでもなく、ブロンテ姉妹を愛するがゆえに彼女たちの実像のみならず、彼女たちの思いも伝わるよう一所懸命心がけた。全体の文体的統一感が出るように、また何よりも読みやすい日本語にするように、ない知恵をしぼって、頑張った。各翻訳担当者にはりっぱな訳文を提出してもらったことに深く感謝しているばかりか、相当の無理を聞いてもらって、なんとお詫びとお礼を言ってよいか言葉に窮するほどである。しかしいま目の前にあるジュリエット・バーカーの『ブロンテ家の人々』というこの大著をわれわれは日本語に翻訳することができたのだ。バーカー博士に喜んでいただきたいのはいうまでもなく、日本のブロンテを愛する大勢の人々にも喜んでいただきたいのである。われわれは本書が日の目を見たことに大きな喜びを味わっている。これによってこれまでのブロンテ観が変わるであろう。エリザベス・ギャスケルの『シャーロット・ブロンテの生涯』という名著は姉妹の没後一世紀半にして、ようやくその名に値するライバルが出現したことになる。いよいよわが国におけるブロンテ研究は本格化するであろう。われわれは大いなる満足と期待をもって本書を世の読者各位に贈る次第である。
 われわれの懸命の努力にもかかわらず、いまだ不満足な点が多々残っているし、思わぬ誤訳、あるいは誤字、脱字などがあるであろう。お気づきの点はどうか何卒ご教示いただきたくお願い申し上げたい。
 この大著の翻訳刊行は計画を立ててから長い月日がいたずらに流れた。また出版業界の各種革命の波をかぶりながら、経済的不安の時代にあっても日本ブロンテ協会会員の熱い思いに応えていただき、本書を刊行して下さった彩流社々長竹内淳夫氏のご尽力は並々ならぬものであった。われわれ監訳者のみならず、翻訳担当者、日本ブロンテ協会全会員から深甚なる感謝を竹内淳夫社長に捧げる次第である。

  平成一八年九月一五日 
         ブロンテ姉妹の母親マリア・ブロンテが世を去って一八五年めの日
                                        監訳者  中岡  洋
                                             内田 能嗣

版元から一言

(社)日本図書館協会 選定図書

著者プロフィール

ジュリエット・バーカー  (バーカー,ジュリエット)  (

Juliet Barker、イギリス王立文芸協会会員。文学博士。

中岡 洋  (ナカオカ ヒロシ)  (監訳

早稲田大学文学部文学科(英文学専修)卒業。早稲田大学大学院文学研究科博士課程(英文学専攻)修了。現在、日本ブロンテ協会顧問。著書・共著等に『ユリイカ―詩と批評 (第34巻第11号) ― 特集 ブロンテ姉妹荒野の文学 』(青土社、執筆、2002/8/)、『図説 「ジェイン・エア」と「嵐が丘」―ブロンテ姉妹の世界』(河出書房新社、共著、1996)、『感動愛の物語11章―あらすじで読むイギリスの名作』(ひょうたん書房、共編、2005) 、『ブロンテ姉妹を学ぶ人のために』(世界思想社、共編著、2005)、 『シャーロット・ブロンテと「大好きなネル」―ある友情の物語 バーバラ・ホワイトヘッド』(開文社出版、翻訳、2000)、 『シャーロット・ブロンテの生涯 エリザベス ギャスケル、Elizabeth Gaskell』(みすず書房、翻訳、1995)、『楽しめるイギリス文学―その栄光と現実』 (金星堂、編著、2003)、『エミリ・ブロンテ論 改訂版―荒野へ荒野へ』(国文社、2000) 、『嵐が丘 E. ブロンテ、E. Bront¨e』(語学春秋社、共訳2002)、『嵐が丘 エミリ ブロンテ、Emily Jane Bront¨e』 (みすず書房、共訳、1996)、『ブロンテ姉妹の時空―三大作品の再評価』(北星堂書店、共著、1998) 『ジェイン・エア』を読む』(開文社出版、1995)、『ブロンテ姉妹の留学時代』 (開文社出版、編著、 1990) 、『アン・ブロンテ論』 (開文社出版、共著、 1999)、『ブロンテ研究―シャーロット、エミリ、アン-作品と背景』(開文社出版、共著、1983) 、『エミリ・ジェイン・ブロンテ全詩集』(国文社、1991)、『シャーロット・ブロンテ論』(開文社出版、2001)、『エミリ・ブロンテ 神への叛逆』 (彩流社、ジル・ディックス グナッシア(Jill Dix Ghnassia)著、芦沢 久江との共訳、2003)、『ブロンテ文学のふるさと―写真による文学鑑賞』 (大阪教育図書、共著、1999)、『『嵐が丘』を読む』(開文社出版、2003)『サルトルーロマン的合理主義者 アイリス・マードック』(国文社)等がある。

内田 能嗣  (ウチダ ヨシツグ)  (監訳

大阪大学文学部文学科(フランス文学専攻)卒業。大阪市立大学大学院文学研究科博士課程(英文学専攻)修了。現在、帝塚山学院大学名誉教授。日本ブロンテ協会理事・評議員長。著書・共著等に『イギリス文学史』(大阪教育図書、1999) 『感動愛の物語11章―あらすじで読むイギリスの名作』 (ひょうたん書房、共編、2005)『ブロンテ姉妹を学ぶ人のために』(世界思想社、共編著 2005)、『ブロンテ姉妹小事典』(研究社出版、編、1998)、『ヴィクトリア朝の小説―女性と結婚』 (英宝社、1999) 、『トマス・ハーディ短編全集〈第1巻〉ウェセックス物語 トマス ハーディ』(大阪教育図書、共訳、2001)、『トマス・ハーディ短編全集〈第3巻〉人生の小さな皮肉 トマス ハーディ』 (大阪教育図書、共訳、2002) 、『トマス・ハーディ短編全集〈第5巻〉チャンドル婆さんとほかの物語および詩劇 トマス ハーディ』(大阪教育図書、共訳、2001)『トマス・ハーディ短編全集〈第4巻〉変わりはてた男とほかの物語 トマス ハーディ、Thomas Hardy』(大阪教育図書、共訳、2000)、『ブロンテ文学のふるさと―写真による文学鑑賞』(大阪教育図書、共編、1999)『イギリス文学評論〈2〉』 (創元社、共編、1987) 『イギリス文学評論〈3〉』(創元社、共編、1988)『イギリス文学を読む―流れと諸相』(創元社、共編、1994)、『イギリス文学評論〈4〉』(創元社、共編、1992)『イギリス小説入門』(創元社、編、1997) 『愛と死―エロスのゆくえ』(創元社、1987) 『イギリス文学評論〈1〉』 (創元社、共編、1986)『ジョージ・エリオットの前期の小説―モラリティを求めて』(創元社、1989)、『教養のためのイギリスの文学』(東海大学出版会、共著、1985)、『アン・ブロンテ論』(開文社出版、共著、 1999)、『ブロンテ姉妹の時空―三大作品の再評価』(北星堂書店、共著、1998)、 『イギリス文学―研究と鑑賞 (2)』(創元社、共著、1982)、 『日陰者ジュード T.ハーディ』(北星堂書店、翻訳、1994)、 『ほんとうの物語 マーガレット・アトウッド』 (大阪教育図書、共訳、2005) 等がある。

上記内容は本書刊行時のものです。