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日本のホテル産業100年史 木村 吾郎(著) - 明石書店
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日本のホテル産業100年史 (ニホンノホテルサンギョウヒャクネンシ)

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発行:明石書店
A5判
384ページ
上製
定価 6,800円+税
ISBN
978-4-7503-2251-3   COPY
ISBN 13
9784750322513   COPY
ISBN 10h
4-7503-2251-2   COPY
ISBN 10
4750322512   COPY
出版者記号
7503   COPY
Cコード
C0063  
0:一般 0:単行本 63:商業
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2006年2月
書店発売日
登録日
2010年2月18日
最終更新日
2015年8月22日
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紹介

幕末・明治維新期に始まる洋式ホテルの経営を志した先駆者と後継者達が,現代に続くホテル産業を築いていった100年(昭和40年代まで)の歴史的経緯を,国際観光政策の成立過程と昭和30年代に始まる経済成長および近・現代史の諸側面と併せて考察する。

目次

はしがき
第1章 ホテル産業前史―江戸時代の「阿蘭陀宿」―
 1.外国人接待用宿泊施設の歴史
 2.「阿蘭陀宿」の2つの機能
第2章 わが国最初の洋式ホテル設置構想
 1.江戸開市に伴う外国人用ホテルの設置問題
 2.わが国在来の宿泊施設の諸問題
第3章 「ホテル館」創設の経緯と結末
 1.施工請負と経営を委任された清水喜助
 2.資金の欠如とインフレによる建設費の高騰
 3.建築の概要
 4.欧米先進国のホテル近代化の動向
 5.苦難の経営と悲劇的終焉
第4章 開港と外国人居留地のホテル
 1.横浜
 2.長崎
 3.神戸
第5章 リゾート・ホテルの先駆者たち
 1.リゾート・ホテルの始まり
 2.リゾート・ホテルへの需要条件
 3.国内外国人旅行の現実
 4.箱根・富士屋ホテル
 5.日光・日光金谷ホテル
 6.日光・その他のホテル
 7.軽井沢のホテル
 8.雲仙のホテル
第6章 日本の迎賓館「帝国ホテル」創設
 1.ホテルの創設過程
 2.建築構造と規模
 3.営業収入構造の特異性
 4.営業の推移
 5.経営組織
 6.激動の大正・昭和戦前期の概況
第7章 大都市東京・大阪・名古屋のホテルの興隆
 1.東京のホテル
 2.大阪のホテル
 3.名古屋のホテル
第8章 古都京都・奈良のホテルの始まり
 1.京都のホテルの始まり
 2.京都ホテル(常盤ホテル)
 3.京都ステーション・ホテル
 4.都ホテル
 5.奈良ホテル
第9章 国際観光経済の認識と「ホテル設置促進論」
 1.喜賓会の創設と帝国ホテル
 2.鉄道院の国際観光事業とジャパン・ツーリスト・ビューローの創設
 3.政治家と有識者のホテル設置促進論
第10章 国際観光政策の成立過程
 1.外国人観光旅行客誘致に関する決議と答申
 2.帝国議会貴族院・衆議院の外国人観光旅行客誘致建議案
 3.政府の対応
第11章 国際観光局の活動
 1.全国ホテル調査
 2.ホテル助成策の決定
第12章 「国際観光ホテル」の設立過程および個別の実例
 1.「国際観光ホテル」の始まり
 2.「国際観光ホテル」15社の実例
 3.「国際観光ホテル」の営業成績
第13章 新たな潮流
 1.「ジャパン・ホテル(東京ターミナス・ホテル)」構想
 2.日本最初の「ビジネス・ホテル」=第一ホテル創設
第14章 太平洋戦争および占領軍接収下におけるホテル経営
 1.戦時経済統制の諸相
 2.休・廃業、戦災、接収ホテルの状況
 3.東京、名古屋、神戸、長崎の状況
第15章 高度経済成長政策とマス・ツーリズム―ホテル産業拡大発展へのみち―
 1.高度経済成長政策の効果
 2.マス・ツーリズムの実現
 3.「国際観光ホテル整備法」と政策融資
 4.業態分化、多様化の方向
引用・参照文献目録

前書きなど

はしがき
 日本のホテル産業の起源は、幕末・明治維新期に、欧米5カ国との「修好通商条約」に基づいて設置された開港地横浜・長崎・神戸の外国人居留地で、欧米の外国人による外国資本によるもの、他方、江戸・大坂で幕府および明治新政府が設置した日本の資本によるもの、この異なる2つの資本系統によって始まったのである。
 欧米系の外国人による外国資本のホテルは、日本人がかかわれない治外法権下の居留地で、在留外国人および渡来してくる旅行者や入港してくる船員の需要を目的に、起業家の自由意志で開設されたYOKOHAMA HOTEL(万延元年=1860)が最初とされる。
 他方、幕府・明治新政府のホテル開設の目的は、外交交渉の取り決めによって、開港とともに来日する外国人旅行者を受け入れる具体的行政措置としてであり、江戸・築地「ホテル館」(慶応4年=1868)と大坂・川口「外国人止宿所・自由亭ホテル」(明治2年=1869)がそれであった。
 明治維新に始まる日本の近代諸産業のなかで、この異例といえる両者の関係は、関東大震災と第2次世界大戦による戦災の結果、外国人経営のすべてのホテルが焼失・消滅し、日本人経営のホテルへ収斂するまで継続した。
 ところで、日本の民間人によるホテル経営は、明治の初年に東京・名古屋・大阪・京都の都市と、箱根・日光・軽井沢・雲仙のリゾートにおいて、先駆者の私的資本によって開設が相次ぐようになるのであるが、需要客の大方を日本人客が占めるようになる昭和戦前期までは、いずれも外国人観光旅行者や在留外国人の保養者などを需要対象としてきており、これが日本人によるホテル経営の原点であった。
 他方、日本の製造工業の近代化は、横須賀製鉄所(慶応元年=1865)、薩摩藩洋式紡績所(慶応3年=1867)、富岡製糸場(明治5年=1872)などから始まったのであるが、このほぼ同じ重なる時期に興隆をみたホテルは、日本の近代サービス産業分野の最初の産業になるのである。同時に、ホテルに雇用された従業員は、外国人経営のホテルを含めて、日本の近代賃労働史上最初のサービス労働者となったのである。
 明治期に民間人によって興隆をみたホテルのなかで、唯一政府の欧化・近代化推進政策とのかかわりで創設されたのが「帝国ホテル」である。築地の「ホテル館」が焼失(明治5年=1872)した以降の東京には、これに替わる規模と設備の整ったホテルがなかったことも1つの理由であった。
 「帝国ホテル」は、財界有力者と宮内省の出資による異色の民営形態ながら、外来賓客を接遇する政府の迎賓館的性格を具備した本格的・大規模の洋式ホテルであった。爾来、130余年の今日まで、ハードとソフトの両面で、日本を代表するホテルの地位を保持し続けている。
 明治政府の殖産興業政策は、近代産業の振興育成におかれたが、それには原材料や機械設備の輸入が必要であったし、一方、それに見合うだけの輸出産品に恵まれていなかったことから、日本の対外貿易は、発展途上国的入超構造に陥っていた。明治20年代後半以降、貿易収支改善の必要性が高まるなかで、外貨獲得手段として国際観光が寄与する経済的側面の重要性が有識者たちによって認識されるようになり、外国人観光旅行客の積極的誘致に向けての機運が高まった。
 貿易収支=国際貸借改善は、殖産興業政策のみならず、富国強兵政策(軍備費、日露戦争の外債など)の加重分も加わり、大正・昭和に至ってもなお積年の切実な政治課題であったなかで、国際観光の要であり、外国人客を需要対象としていたホテルは、貿易外収入分野の有力な“外貨獲得者”として評価・注目されるようになるのであった。
 国際観光促進の具体化は、来訪外国人を接遇する組織的斡旋機関として、財界有力者たちによって組織された「喜賓会」の篤志事業的活動が始まりで、のちに鉄道院の全面的支援のもとで、ホテル側からも協賛して「ジャパン・ツーリスト・ビューロー」(現在のJTB日本交通公社)の創設へと発展していった。
 こうした民間側の活動と相俟って、政府が国際観光政策を樹立し、その一環にホテルを位置づけするに至った経緯は、およそ次のようであった。
 まず帝国議会では、大正から昭和初年にかけての金融恐慌と、国際収支の慢性的不均衡による経済的困窮状態の打開を図る重要対策として、外客誘致問題が取り上げられ、昭和4(1929)年、第56帝国議会で貴・衆両院の双方から外客誘致の建議案が提出され、多数で可決した。
 政府はこれを受け、翌5(1930)年、国際観光局および国際観光委員会を設置、政策としての国際観光事業の方向が決定された。
 国際観光局は、対外観光宣伝を開始する一方において、外国人観光旅行客受け入れ体制の整備促進に努め、国内主要観光地に「国際観光ホテル」の設置助成を決定、地方公共団体が設置するホテルについては、建設費用を国庫から長期低利融資の斡旋を開始し、優れた建築デザインと最新設備を備えた14の県・市・町立「国際観光ホテル」が実現した。
 かくて、「国際観光ホテル」をモデルに、構造設備の近代化と質的水準の向上を一挙に実現させた国際観光政策は、同時に、近代ホテル産業としての発展の方向性を確立するうえで、重要な意味をもつものとなったのである。
 ところで、一般のホテルにとって最大の宿泊需要者は、汽船で渡来してくる外国人旅行者とりわけ観光旅行者であった。しかし、入港してくる汽船は、定期・不定期ともにそれほど頻繁ではなく、したがって、ホテルの宿泊需要は、汽船の入港間隔と合わせて繁閑差が大きかったとみられる。
 更に、観光旅行者の場合は、出発国の政治・経済情勢や国際間の政治的・軍事的緊張の有無によっても、大きく影響されていたと思われる。こうした海外諸国の環境要因に基づく宿泊需要の不安定性は、明治草創期以来、すべてのホテルに共通する宿命的な経営上の問題点であった。創業の志空しく、挫折、撤退した事例の殆んどは、この需要の不安定性・不確実性が原因であったとみられる。
 リゾート・ホテルの先駆者のなかには、ホテル経営の近代化・合理化を進めるなかで、自家用の水力発電を開発、余剰電力を周辺地域へ供給したほか、宿泊客送迎用の自動車から乗合バス事業へと発展させ、広域に及ぶ住民の交通に貢献したなど、苦難の需要環境のもとにおいても、目先にとらわれず、積極的に対処する経営者もいたのである。
 都市のホテルでは、大正デモクラシーの社会的風潮とあいまって、市民生活の近代化・洋風化の高まりを取り込み、社交的・文化的利用に期待を掛け、各種の集会・宴会の誘引や婚礼と披露宴をパックにした商品の開発、12月25日の「忘年会とクリスマス祭を兼ねた催し」の試みは、現代でいうクリスマス・ディナーショーの始まりであった。更には、演芸場、舞踏場、ショッピング・アーケードのアミューズメント機能をホテルと一体複合化した新館建設、或いは、社会の新中間層を形成しつつあったサラリーマンの宿泊利用が可能になる低料金システムの「ビジネス・ホテル」の創造等々、いずれも従来の外国人旅行者の宿泊需要に依存した経営を改め、地域社会の住民をはじめ、広く日本人客が主客となり、多目的利用に期待を込めたホテル側の能動的経営努力の具現化であり、現代のホテル経営にみられる諸事業の原点となるものであった。
 かくて、昭和11(1936)年の国際観光収入(外国人国内消費額)は、輸出貿易額の4%を占め、綿織物等の重要輸出品並みの水準に高まっており、国際観光政策の効果を思わせるようになっていた。しかるに、第2次世界大戦の勃発と日中戦争の突入により、国際平和を前提とした国際観光は、あえなく挫折するに至った。更に、太平洋戦争へと拡大した結果は、日本の敗戦と占領軍によるホテル施設が接収されるという暗黒時代が待っていたのである。
 昭和27(1952)年、接収されていた大方のホテルは解除されたが、なかには更に4年後の昭和31(1956)年まで延長されたホテルの例では、戦中・戦後合わせて18年余も経営自主権を奪われた苦難の時代を過ごさねばならなかったのである。
 以上を要約すれば、幕末・明治維新期に始まる国際化のなかで、異なる欧米文化である洋式ホテルの経営を志した先駆者と後継者たちが、内外の波瀾と幾多の苦難を克服しながら、創意と努力を重ねて、現代に続くホテル産業発展への方向を築いていったおよそ100年(昭和40年代まで)の歴史的経緯を、国際観光政策の成立過程と昭和30年代に始まる高度経済成長政策および近・現代史の諸側面と併わせて考察を試みたものである。
 本書は、前著『日本のホテル産業史』(1994、近代文藝社)刊行以降において発見された私家版社史、営業報告書等の諸資料および関連研究書等の新刊に接した機会に、前著では対象から除外していた外国人居留地のホテルを含めて、前著の見直しを決意するに至り、新たな構想のもとで、全面的に書き下ろし一新したものである。ホテル産業の研究のみならず、日本の近・現代史研究のうえにおいても一助となれば幸いである。読者各位のご批判、ご叱正をお願いしたい。
 今回の執筆に当たっては、株式会社シナ忠(名古屋)、みかど株式会社(大阪)、株式会社万平ホテル(軽井沢)、株式会社ロイヤルホテル(大阪)の各位から、経歴書、社史のご寄贈を頂き、従来の未知空白部分を補完することができたことに感謝したい。住友史料館山本一雄氏からは、所蔵史・資料の利用に便宜を与えて頂いたのみならず、多大のご支援、ご教示を頂いたことに感謝し、御礼申し上げる次第である。東邦学園大学中部産業史研究会の各位からは、名古屋地区の研究について有益な助言を頂いたことに感謝したい。

2005年12月
木村 吾郎

著者プロフィール

木村 吾郎  (キムラ ゴロウ)  (

1928年   滋賀県生まれ
1952年   関西大学短期大学部商工経営科卒業
1953年   大阪府立商工経済研究所勤務
 ~       中小企業・商業・サービス業の調査研究、業界診断等に従事
1983年    流通経済室長、総括研究員
1983年4月 八代学院大学、大阪産業大学、阪南大学非常勤講師
1987年4月 大阪商業大学商経学部専任講師
 ~      助教授、教授、大学院地域政策学研究科兼任
1998年3月 退職
著書
『現代日本のサービス業』(商工組合中央金庫第7回中小企業研究奨励賞受賞)1981、新評論
『現代皮革工業の研究』1986、明石書店
『日本のホテル産業史』1994、近代文藝社
共著
大阪府立商工経済研究所編『大阪の経済構造とその変貌』1980、法律文化社
藤田敬三・竹内正巳編『中小企業論』(第4版)1998、有斐閣
長谷政弘編著『観光学辞典』1997、同文館出版 ほか
論文
「戦後のホテル業の発展とビジネスホテルの展開」(財団法人日本交通公社昭和51年度観光文化振興基金奨励賞受賞)1977、大阪府立商工経済研究所『商工経済研究』第3号 ほか

上記内容は本書刊行時のものです。