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バルト三国⽂芸事情研修・視察ツアーの主観的レポート

――というタイトルそのままのことを以下に記すわけですが、わたしにはロハの原稿ほど⻑く書いてしまうという悪癖があり、そしてまた今回も書きはじめると蜿蜒と続けられるほどの情報量を抱えてしまいました。とりわけバルト三国についてはこのかん国際的な緊張関係が増幅しつつありますが、ここでは「版元⽇誌」にふさわしい話題に限定し、⼿短かに参ります。

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 上掲のツアーに参加しませんか、というお誘いのメールをリトアニア⼤使館のかたからいただいたのは、年明け早々の 1 ⽉ 10 ⽇のことだ。2 ⽉末に 8 ⽇間のツアーを実⾏するからぜひご参加ください、というようなことが記してあった。
 なんでおまえにそんなお誘いが……という不信の声もございましょうが、これは昨 2023年秋、駐⽇欧州連合(EU)代表部が⽴ち上げたサイト「ああいう、交遊、EU ⽂学」のローンチイベントで物販をしたことがきっかけなのだった。⼩社では戦後フランスを代表する作家、ロマン・ガリ(1914-80)の⼩説を2点(岩津航訳『夜明けの約束』、永⽥千奈訳『』)刊⾏しているが、かれは現在のリトアニア共和国の⾸都ヴィルニュスの出⾝で(当時はロシア帝国)、物販のさいに雑談かたがた献本したのを覚えていてくださったのである。その EU ⽂学をめぐるプロジェクトの⼀環で、⽇本の出版社数社を、今年のバルト三国で開催されるブックフェアの研修・視察ツアーに招待してくれるという。なんとありがたいことであろうか。

 ありがたいとはいえ、しかし、こちとら⽇本有数(!?)のアングラ零細マイナー偏屈ひとり出版者である。海外での版権の買い付けとかブックフェアとかのいわゆるシュッパンギョーカイ的な華々しい世界とはまったく無縁に過ごして早や 10 年。それに例年 2 ⽉末は⼀年でも最も忙しい時期で、⼀週間以上も職場を空⽩にできない。そうでなくても毎⽉の資⾦繰りに齷齪しているうえ、早く世に出さねばならない案件が両の⼿指でも数えられないくらいには⼭積している。ましてイギリス語だろうがアメリカ語だろうが外国語での会話や意思表⽰などからっきしできないし、そもそもツアーに堪える協調性や甲斐性も⼼許ない。だいたいあちこちに仕事の不義理をして⾸も呂律も回らないのに、周囲から遊びに出かけたと思われてしまうのは癪ではないか。この時期は都内でもじゅうぶん寒いのに、あちらは零下 10 度とか 20 度とかになるそうだ。パスポートもコロナ期に失効したままだが、申請しなおす時間なんてあるのだろうか……。

 ……と、いつのまにか参加できない理由ばかり探している⾃分がだんだん恥ずかしくなってきたが、致しかたない。縁もゆかりもないものと割り切って返事もせずに数⽇を過ごしていたら、このプロジェクトの実務を担っているゲーテ・インスティトゥートやリトアニア⼤使館のご担当者から、あらためて電話やメールを頂戴してしまった。むむう。ちょっとお時間いただけますかと伝えて、少しじっくり考えることにした。
 しかし、じっくり考えても考えなくても、⼩社のような零細出版者にはこういう機会なんて⼆度と来ないだろう。歴史や時代に翻弄された国々の⽂化に魅⼒と愛着を感じてしまうからこそ、ロマン・ガリだけでなく各国の翻訳⽂学も、売れようが売れなかろうが出版するように努めてきたし、なにより8⽇間でも腐った⽇本でのあれこれを忘れて外地に脱出してみたいではないか。屋号だって共和国だしな。この程度のことで仕事が回らなくなるのなら、それはもともとがダメなのだ……と気楽に考えたら、ヤケのヤンパチ⽇焼けのナスビ、まだ間に合えばいまからでも参加できるでしょうかと⾝勝⼿な返事をしたのは、参加申し込みの締め切りを⼀週間も過ぎてから、1⽉下旬のことであった。

 *
 2 ⽉ 20 ⽇ 21 時 55 分⽻⽥発のフィンエアーでヘルシンキまで 12 時間、トランスファーで 5 時間つぶしたあと、リトアニアのヴィルニュス国際空港に着いたのは、2 ⽉ 21 ⽇午前10 時 40 分頃のことだった。参加版元は、以下の 8 社(50 ⾳順)。

 河出書房新社
 共和国
 green seed books
 作品社
 書肆侃侃房
 新潮社
 ⽩⽔社
 ポプラ社

 さすが、みなさんそれぞれの現場の第⼀線で活躍している出版⼈ばかりである。周囲への配慮も⾏き届いてるし、旅慣れている。アルコールが⼊らないと満⾜に会話もできない56 歳の冴えないおっさんは、せめてみなさんの⾜⼿まといにならないようにするぞ、と堅く誓ったのであった(フラグ)。ちなみにバルト三国では、アルコール類の販売時間(10時から 20 時とか)や飲酒場所(レストランや居酒屋など)が限られており、公共の場での、たとえば飲み歩きのような飲酒や泥酔は、逮捕なり罰⾦なり警察案件なのだそうだ(フラグ)。

 ともあれ、リトアニアのヴィルニュスに3泊、ラトヴィアのリガに2泊、エストニアのタリンに1泊のツアーで、あまり⽇程やスケジュールのことを確認することなく現地に着いてしまったが、旅程表を⾒るとけっこう過密であった。その体験のすべてをここに書ききることはできないし、こちらが得た情報や知識にしても、国によって、あるいは当⽅の語学⼒の限界などによってばらつきがあり、聞き逃したことも多い。また、当⽅個⼈の理解や考えというより、同⾏諸姉兄との対話による部分も少なくない。いずれにせよ⽂責はすべて筆者にあるので、まんいち誤解や謬⾒などがあれば、遠慮なく共和国あてにお知らせください。
→ naovalis@gmail.com

◎リトアニア共和国・ヴィルニュス(2 ⽉ 21 ⽇〜23 ⽇)
 3⽇間にわたってあちこち移動したけれども、メインはヴィルニュス国際ブックフェアであろう。ヴィルニュスの⽬抜き通りにある宿泊先ホテルから⾞で 15 分ほど移動した、森を切り拓いた⼭中に広がるコンベンションセンターで、22 ⽇から4⽇にわたって開催された。今年の参加者数は確認していないが、コロナ前には動員 5 万⼈とも 7 万⼈ともいわれるほど盛況だったそうだ。たしかに今年も結構な賑わいだった。ご存知のかたは、⽇本でも数年前まで東京ビッグサイトで開催されていた東京国際ブックフェアを思い出していただくと、あんな感じである。コミケや⽂フリもそんな感じなのだろうか(⾏ったことがない)。

 リトアニア⽂化インスティテュートがわれわれを全⾯的にバックアップしてくれて、初⽇ 22 ⽇はラッパーの演奏とリトアニア共和国⼤統領の挨拶から始まる開会式のあと、リトアニア史と出版⽂化のレクチュアから主要版元やエージェントのプレゼンテーションまで、およそ 5 時間にわたって⼩さな会議室でみっちり叩き込まれた。わたしも⾃社のオリエンをそのうち 5 分ほど(スマホのメモを読みながら)英語で試みたのが、今回唯⼀まともな仕事らしい仕事といえるであろうか……。ロマン・ガリの翻訳を出していることだけでなく、東京理科⼤学の菅野賢治さんによる杉原千畝検証本を出版していることもアピールしてみたのだが、こちらは反応が薄かった(今回はカウナスを訪れる機会がなかったけれども、杉原千畝のために観光に訪れる⽇本⼈が少なくないらしい)。

 リトアニアでは、⼤⼿と呼べる規模の版元が数社程度、それ以外の 200〜300 ほどの版元のほとんどが独りないし数⼈の零細企業だそうだ。内容はフィクションから絵本までバラエティに富んでいるけれども、初版部数 1000〜2000 部と、⼩社と⼤差がない。バルト三国では英語が通じるとはいえ、基本的にはリトアニア語なりラトヴィア語なりエストニア語なので翻訳⽂化が発達しており、ヴィルニュス国際ブックフェアの会場でも、ぱっと⾒たところ漱⽯、太宰から村⽥沙耶⾹、村上春樹、さまざまなコミックなど、⽇本の出版物の翻訳も⽬⽴っていたし(他の国でも同様のタイトルが並んでいるので、これらの作家にはなにかしらの普遍性があるのだろう)、世界各国の主要な⽂学作品やデヴィット・グレーバー、マーク・フィッシャーなどもリトアニア語版が販売されていた。ちなみにロマン・ガリ『夜明けの約束』のリトアニア語版をフェア会場で 10 ユーロで購⼊したが、リトアニアには再販制度がないので、別の書店では 15 ユーロだった。
 現地の版元から推薦された本のなかには魅かれるものも少なくなく、⼩社から出してみたいと思ったタイトルをいくつか購⼊したし、リトアニアには訳者を対象とする助成⾦もあるそうだ。ただ、これはラトヴィアやエストニアについても同様だが、そもそも翻訳者が圧倒的に少ないのが最⼤のネックだろう。⻑い⽬でみれば新しい訳者を世に出すことも出版者や編集者の仕事のひとつだとはいえ、それには短くない時間と労⼒がかかる。近年の韓国⽂学の隆盛と⽐定しても、翻訳者の問題、国家レベルでの出版⽂化への助成のありかたなど、乗り越えなければならない課題が少なくないことが⾒えてきた。
 どなたかこれらの⾔語での翻訳出版に関⼼のあるかたは、ぜひ名乗りを上げてみてください。上掲の版元でご希望があれば責任をもって担当者につなぎます。
 翌 23 ⽇は、在リトアニア⽇本⼤使館に表敬訪問(『夜明けの約束』を⼤使に献本してみるなど)。そのあと、ヴィルニュス⼤学の貴重な古典籍などの⾒学ツアーを経て(たまたま出逢った京都のR⼤学から留学に来ているという学⽣に、⼿許にあった菅野賢治『「命のヴィザ」の考古学』を献本してみるなど)、⽇本/アジア研究者とミーティング。参加者のおひとりが、⽩⽔社のリトアニア語テキストの⾳声を担当されたとか。奇遇というべきか。

21 ⽇:夜はクラシックのコンサートに出かけた各位を尻⽬に、急ぎの仕事があったわたしは、近所のスーパーで買ってきた⽸ビールのウィスキー割り(500×2 本)。ウィスキーは⽇本ではあまり⾒たことがないアイリッシュ「SHAMROSE」であった(⼩瓶を2本買って1本は後⽣⼤事に⽇本まで持ち帰ったが、すぐに飲み終えた)。
22 ⽇:リトアニア⽂化インスティテュートのみなさんと会⾷。⽩ワイン4杯くらい? ⼆次会でビールをジョッキ1+α。
23 ⽇:ランチでビール1。夜はMさんが調べをつけてくれたリトアニア料理店でFさんと三⼈で痛飲。飲み⽐べビールセットのほかジンを少し。そのあとヴィルニュス国際ブックフェアのレセプション会場に移動し、⽩ワインを2本分くらいは飲んだ気がする。

 ◎ラトヴィア共和国・リガ(2 ⽉ 24 ⽇〜25 ⽇)
 朝 6 時にホテルのロビーに集合し、列⾞でラトヴィアに移動。ツアー中の約⼀週間を通して、これも地球温暖化の影響なのか、零下 10 度というような極寒の⽇はなかったものの、⼩⾬がしのつく曇天や肌寒い⽇が多かった。
 リガの1⽇⽬は、ラトヴィア国⽴図書館でガイドツアー。2014 年にオープンしたばかりの最新機能を備えた 13 階建てランドマーク的な存在である。

 リトアニア初⽇にもリトアニア国⽴図書館のガイドツアーがあり、いろんなブースを案内してもらったが、いずれも明るく開放されており、市⺠に開かれている印象で、⽇本の国⽴国会図書館のような威圧感はまったく感じなかった(図書館としての⽬的がそもそも違うのだろうが)。なんなら観光やレジャーに訪れる場所としても利⽤できるようで、リトアニアでは⼦どもたちの主体的な学びをうながすスペースやレコーディングルームもあったし、ラトヴィアの最上階は展望台的な使われ⽅をしていたし、ウェディングドレスを着た撮影もなされていた。⽂化にかんする総合センターというべきか。
 13 時半から 15 時すぎまでのガイドツアーのあと、なぜか当初予定の 30 分休憩をはさまずにラトヴィアの出版事情に関するレクチュアに突⼊。講師はラトヴィアでよく知られた版元の代表であり、出版協会の会⻑も歴任し、⾃らが訳者でもあり、書店も経営し、というスーパーウーマン P さんであった。図書館の閉館時間のアナウンスが流れていても無視して話しまくる強固に意志的な⼈である。
 バルト三国はいずれもソヴィエト連邦からの独⽴を果たして以後、ぐっと出版点数が減っているようだが、ラトヴィアもこの 15 年ほどでかなり減少傾向にあり、近年1年の出版タイトルは 2000 ほど、総部数で 250 万部くらい(=平均 1250 部)だから、⽇本と⽐べても市場は⼩さい。そのうち3分の1くらいが英語、ロシア語、ドイツ語、フランス語などからの翻訳だそうだ。そしてまたこれも頷かざるをえないが、⽤紙などの資材費は⾼騰するし、海外からの運賃や配送料も上昇している、ロシア―ウクライナ戦争による電⼒費および暖房費も潜在的に圧迫して……というようなことがPさんから語られた。⽇本からは遠く感じるラトヴィアも、ロシアを挟んで隣国(隣々国)なのだ。
 2 ⽇⽬は、前⽇の図書館から北へ徒歩で 30 分ほど北上した国際展⽰場で、ラトヴィアの出版状況やおすすめの出版物などをエージェントのかたがプレゼンテーション。これも 2時間近く⼩さな会議室でひたすら話を聞くだけだったので、なかなかつらいものがあった(もっともわたしと K さんは諸般の事情ですこし遅れて会場に到着したのだが)。この展⽰場、旅程表には「ラトヴィア・ブックフェア」と記載されていたが、実際に訪れてみると書籍のブースは数社だけで、あとは「軍隊に⼊りませんか」とか「救急時にはこう処置しろ」とか「わが社の新⾞です」とか諸産業の⾒本展⽰会のようだったが、ラトヴィア語の表記が多く、ついによく分からなかった……。それでいいのかという批判はなしでお願いします。

 午後はエクスカーション。リガから列⾞で 35 分、ロシアでいう「ダーチャ」のような別荘が⽴ち並ぶデュブルチという駅で降り、作家でジャーナリストのアルノ・ユンジェさんに連れていかれたのが、ユールマラ・ビーチだった。

 この⽇だけはめずらしく快晴だったこともあり、リガ湾に⾯した⽔平線と砂浜がひたすら溶けあう天国のような⼀帯を、このままずーーーーーーーーっと歩いていたかったのだが、それもひとときの夢である。往路の脇にあったラトヴィア⽂学の祖、アスパジヤ(Aspazija, 1865-1943)の別荘に引き戻された。この⼥性⽂学者は、⽣没年でいえば樋⼝⼀葉と⻑⾕川時⾬を⾜したような存在だろうか。1887 年に詩や戯曲の創作を開始、19 世紀末にはラトヴィアの社会主義運動に与し、⼥性にたいする偏⾒と闘い、権利を求める⼈たちを描いたのだという。1920 年のラトヴィア共和国創設にも参加したそうだ(このあたりは Wiki を参照)。恥ずかしながらこれまでかの⼥のことをまったく知らなかったが、なんとかっこいい。ラトヴィア語もからっきしであるが、出せるものならかの⼥の作品集かモノグラフを出してみたいと、いまも考え中である。

 なお、この付近の別荘地の空き地に、たまたまポケットに⼊っていた⽇本の 50 円⽟を1枚埋めてきた。ここに共和国の別荘を建てるには億単位の資⾦が必要らしいので夢のまた夢であるが、いつか拾い出しに⾏くくらいのことを当⾯の夢にしておきたい。

24 ⽇:図書館の講師だった P さんとイタリア料理店でお⾷事会。⽩と⾚のワインをそれなりに。その後、M さん、F さん、K さんの4⼈でもう⼀杯ということで、近隣ホテルのスカイラウンジのようなところでカクテルを1杯ずつ。客層がガチムチ系というかイケイケ系というか昔のディスコみたいというか、絵に描いたようなでかいお姉さんお兄さんばかりであった。
25 ⽇:別荘地からリガに戻り、わたしと某さん(特に名を秘す)でお店の偵察をかねて飲みにいったら、そこのクラフトビールがあまりに美味しすぎて、全員の席の予約をわすれてしまう。やむなく別の店に移動した各位と合流し、そこでもビールの飲み⽐べセットみたいなものを2セットだか飲んだところまでは覚えているのだが……気がついたら朝ですやん……このツアー中、団⻑と呼んで頼りにしてきた T さんによれば、わたしはすっかりへべれけとなり、T さん、F さん、K さんの三⼈で担ぐようにして店からホテルの部屋まで運んでくれたとのことであった。という話を、早朝から⾚い顔を⻘くしつつ、⼩学⽣のように叱られながら聞いていると、「しかも下平尾さんだけでなく某さんもですよ! 三⼈で⼆⼈を部屋まで運んできたんですから……」とのことで、まったく⾯⽬ありません……。そのうえわたしはスマホを店に忘れたらしく、店員さんが⾛って届けてくれたのだという。重ねがさね、⽣まれてすみません。そしてもはやその店員さんに御礼を申し上げる機会を半永久的に逸してしまったので、以下に謹記してそれに代えさせていただきます。「Riga のTwo More Beersのみなさん、そのせつは本当にありがとうございました! もしリガを訪れるかたがいらっしゃれば、ぜひこの店にお⽴ち寄りください。ビールも料理も最⾼です!」

◎エストニア共和国・タリン(2 ⽉ 26 ⽇)
 朝からココロを凹ませながら 6 時にホテルのロビーで集合し、⻑距離バスでタリンに移動。ランチのあと、1 時間ほどホテルの会議室で当地の出版状況について、エストニア出版協会のかたによるレクチュア。最新のベストセラーチャート第2位がニーチェなのだとか。「うちの国ってすごいでしょう」と笑っていたのがおかしかった。
 エストニアの出版業界はさらにこぢんまりとしているらしく、出版社は 120 ほど、そのうち年間 100 点以上出版しているのは 6 社か 7 社程度だそうだ。初版は 700 部から 800 部で、これも年々減少気味のぶん⾼価格化が進⾏し、電⼦書籍もあまり売り上げが伸びておらず、シェアは⼀般書籍の2〜3%とのことだった。しかし、なんでどこへ⾏っても出版業はこんなに右肩下がりなのか??? タリンの旧市街を案内していただいたあと、⼣⽅から2時間ばかり、エストニア⽂学センターで作家やエージェンシーのみなさんとの懇親会。

 その後は近所のアジア料理店で会⾷。今回のツアーでも、⾃分の好きな作家の話になるとだれしも⽬が爛爛と輝きだして話が弾む。この席上でもわたしはドストエフスキーが好きだと話を投げてみたら、「どの作品がいいですか」と聞かれたので、「作品としていちばん美しいのは『⽩痴』ですが、個⼈的に最⾼なのは『悪霊』です」と答えたらドン引きされた。なぜだ。悔しいので「スタヴローギンを描くことができたドストエフスキーは最⾼だ」くらいのことは⾔ったはず。スタヴローギンよ!

26 ⽇:懇談会中にワイン1、会⾷のさいにワインX。そのあと、来⽇経験もある作家でアジア研究者のレイン・ラウドさんが、「エストニアのアナーキストたちがたまり場にしていたバー」に案内してくれたのだが、わたしはすでにバテバテで、⽩⽬をかろうじて三⾓に開きながら⽸⼊りのジントニックを1。続いてもう⼀件、店のキーナンバーを知っている客――ラウドさんの⾔葉でいえば「⽂化⼈」――しか⼊れないといういわゆる⽂壇バーのようなところで1。かれはユニークかつチャーミングなおじさまで、Kさんは感激のあまり旧市街で買った花を⼀輪プレゼントし、ツアー最後の夜を華々しく締めくくったのであった。

 ちなみにラウドさんは研究者として当然ながら⽇本語も達者で、会⾷中に「京都の⼋⽂字屋って知ってますか。京都へいったら甲斐さんの店で飲むんですよ」と意外なところで旧知のカメラマンの名前が出てきてびっくりした。もうずいぶんご無沙汰しているが、30年くらい前に最初に⼋⽂字屋の⽩いテーブルに落書きしたのはわたしなんですよとおもわず旧悪を⽩状してしまったものの、あんまりこちらの話は聞いていないようで助かった。

27 ⽇:帰途、タリンの空港でビール1、ヘルシンキ・ヴァンター空港で待ち時間にビール2、機内でワイン⼩瓶1、成⽥でビール1、成⽥エクスプレスの⾞内で⽸ビール1。

[謝辞]
・以上のような貴重な機会を与えていただいた駐⽇欧州連合代表部ゲーテ・インスティトゥートをはじめ、お世話になった関係各位に⼼からの御礼を申しあげます。
・リトアニアの3⽇間は、ガビヤ・チェプリョニーテさん(駐⽇リトアニア共和国⼤使館⽂化担当官)に、ラトヴィアとエストニアでの3⽇間は、ガビヤ・エンチューテさん(夏⽬漱⽯や村上春樹などの翻訳者)に、それぞれアテンドしていただいた。この⼆⼈のガビヤさんに、厚く、篤く、熱く、感謝の気持ちを捧げたい。「Gabija」とは⽕の⼥神のことだそうである。責任感と忍耐⼒と知性とユーモアの持ち主であり、その名の通り、⾝近な⼈の⼼に⽕を灯すお⼆⼈がいなければ、このツアーは成⽴しなかった。これはわたしの恣意ではなく、参加8名の総意として代弁させていただきます。ありがとうございました。
・そして同⾏7社のみなさんに。ほとんどのかたが初対⾯であったのに、こんな扱いにくいおっさんに優しく接していただき、⼤感謝です。ご迷惑もおかけしましたが、また懲りずにご⼀緒できるのを楽しみにしています!

[宣伝]
・帰国から4⽇を経て、新刊1点を印刷所に⼊稿しました。松井理恵『⼤邱の敵産家屋――地域コミュニティと市⺠運動』は、3 ⽉末頃の発売予定です。今回もいい本になったのでご注⽬ください。

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