“野原の松の林の影の”本屋さん
のどかな福岡の田園風景を平成筑豊鉄道がコトコト走る。美夜古泉、今川河童、東犀川三四郎、源じいの森、油須原……駅名がまた、いいんだな。
とある秋の一日、電車を乗り継いでいるのは小さな企てから。いつもお世話になっている「本の先生」が、少女期に通いつめたという本屋さんの様子を、先生のかわりに見てきてあげようとひらめいたわけです。
「本の先生」は、ありとあらゆる書物に精通され「一人国会図書館」と秘かにお呼びしているお方。先生はお小さい頃、世の中との折り合いが難しく、難儀な学校時代を送られていたそう。その本屋さんは、そんな先生が「社会の見方を教えてくれた」と涙ぐまれ、「つぶれないように、必死におこづかいで買い支えた」という特別なところ。
無人の豊津駅に降り立ち、ワンマン電車を見送って、田圃を見ながら橋を渡り、竹やぶの林を歩く。坂道をのぼると赤煉瓦の門の家にいきつき、そこから鋭角にまがると、看板が寝っころがっていた。ぶらぶらと歩いて10分。
「こんにちは」と蔵造りの建物の玄関をのぞきこむと、庭先から「ああ、上がってご覧になっていてください。そのうち母が帰ってきます。裏の畑におりますので」と、娘さんが宮沢賢治のような言葉をかけてくださった。(賢治は「下ノ畑」だったけれど)
ここは、福岡県京都(みやこ)郡にある「ひまわり こどもの本の専門店」。
店主の前田賎(しず)さんが47年前にシングルマザーで始められた、当時珍しかった子どもの本の専門店である。最初は町なかにあったそうだけど、「子どもが飛び出したら危ないから」と、今の“野原の松の林のかげの”地に移られたそう。
書架に囲まれた木造の部屋にあがると、シーンとして鳥の声と葉ずれが聞こえるばかり。木の床に座り込んで、背表紙を見、本をめくっていると、物語と自分が際立って親密な近さに感じてくる。ゼロ歳から高校生までの本を中心に、大人の本も8000冊揃っているという。「子どもも、むかし子どもだった大人も、みんなほっとひと息つける場所」だ。
本を見ていると、ほどなくして「赤飯を炊いたので近所に配ってきた」と賤さんが笑顔で帰ってこられた。小柄で髪を明るいオレンジ色に染められ、ピンクのエプロンにピンクのズックがなんとも軽やかな、御年81歳。
「私の先生が40年前に『救われた』と仰って…」とそれとなく来訪の向きを伝えると、「ああ、そんな方が何人かいらっしゃいます」とにこやかに神妙にうなずかれた。
賤さんは私を気持ちよくほうっておいてくださった。心ゆくまで本棚の探索を楽しみ、懐かしい本と天体の本を手に入れた後、隣接するカフェで手作りの滋養溢れるごはんをいただいた。「40分練ったのよ」という胡麻豆腐は、とりわけ美味しかった。
電車の時間が迫ってきたので、帰りは賤さんが駅まで車で送ってくださった。そして「線路脇の小径を歩くのが好きなのよ」と言って、軽やかに手を振られた。
見るとたしかに下草が揺れて、さも心地のよい小径がつづいていた。桜の木も植わっており、「来年の春、また来たいな」と思った。
もちろん、先生は喜んでくださって、一部始終を報告すると「彼女らしい」と、また涙ぐまれたので、私もつられそうになる。
思うんですよ。私などは本を作るだけだけど、生き方とか人柄とか、そんな全てのこのことをもって、本に“何か”を足して手渡される方がいらっしゃって、そんな方がいらっしゃることが、どれだけ豊かなことなのかと。
“野原の松の林の影の”本屋さんがなくなってしまったら…、たぶんこの世は味気なく、もうちょっと生きるのが辛くなる。
ひまわり こどもの本の専門店
福岡県京都郡みやこ町豊津326-1