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新訂 牧野富太郎自叙伝
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2023年4月28日
- 書店発売日
- 2023年4月28日
- 登録日
- 2023年3月7日
- 最終更新日
- 2023年10月22日
重版情報
3刷 | 出来予定日: 2023-10-31 |
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紹介
本書は「日本の植物学の父」と称される不世出の植物学者・牧野富太郎の自伝です。1956年に長嶋書房から刊行され、2004年に講談社学術文庫から再刊された『牧野富太郎自叙伝』の新訂版です。幕末の文久2年(1862)に高知県高岡郡佐川町の富裕な商家の家に生まれ、昭和32年(1957)で94歳の生涯を閉じるまで、「日本のフロラ(植物誌)を自分の手で作りたい」という志を一途に追った波乱万丈の生涯は、そのまま、劇的な物語です。本書は、富太郎の幼少期から晩年に至るまでの植物と富太郎との関わりを中心に綴った自叙伝の傑作です。
幼少期に父母を失い、小学校を2年で退学し、22歳(明治17年)時に二度目の上京をし、東京大学理学部植物学教室への自由な出入りを許され、そのまま、東京大学理学部の嘱託、助手、講師となり、一方、莫大な借金を背負いながら、日々、植物研究にまい進する富太郎の熱情が、富太郎自身の口から縦横に語られます。
新訂版では、幅広い読者が自然に読めるように、漢字表記を現代仮名遣いに準じて改め、小学校中学年以上の読者が楽に読めるように、ルビを大幅に増やし(ほぼ総ルビです!)、句読点も現代のスタイルに改めました。また、現代では不明な用語や人物名等については、該当する頁上に詳細な「補注」と「写真」をつけ、その頁上で解説が読めるように工夫しました。
牧野富太郎に深く関係する植物については、植物名が登場した頁上に、昭和18年に北隆館から刊行された『牧野日本植物圖鑑』(初版3刷)から牧野自身の描いた精細な植物画を掲載し、トピックな場面については、高知県立牧野植物園が所蔵する貴重な写真を掲載しました。記述の内容をビジュアル的にも楽しめる編集となっています。
更には、読みやすいように小見出しを大幅に増やした他、旧版の通時的であるべき内容が不自然に前後していた章や節、あるいは、テーマが近似しているにも関わらず不自然に離れていた章や節を再編し、「流れのある統一感」を出すように編集(再編成)しました。
また新訂版の巻末には「付記」として、コラム「森鴎外と牧野富太郎」を初掲載しました。本文中の「ある日の閑談」の一節の中に、鴎外と富太郎とのエピソードが登場します。鴎外が「漢詩に登場する樹木が、現在のどの樹木に該当するのか?」に疑問をもち調べますが、結局、自分では解決できず、富太郎に手紙で照会を求めました。その顛末が、鴎外最長の史伝『伊沢蘭軒』の二つの章(段)に登場します。新訂版では、該当する章の現代語訳を全文紹介しました。同じ年(1862年)に生まれた、二人の意外な交流を楽しめます!
目次
凡例
第一部 牧野富太郎自叙伝
揺籃(ようらん)の地
東京大学で植物学に挑戦
家の財産が底を尽く
植物採集と新発見
受難、悪戦苦闘の日々
中村春二先生との惜別
寿衛子の激励と内助
科学の郷土を築く
七十九歳の抱負を語る
八十九歳の抱負を語る
第二部 混混録(こんこんろく)
所感
赭鞭一撻(しゃべんいったつ)
幼少期の回想
わが希望を放言する
牧野富太郎縦横談
わが「植物哲学」を語る
付記
森鴎外と牧野富太郎
前書きなど
【わが故郷、佐川町】
土佐の国、高岡郡佐川町、この町は、高知から西へ七里隔たったところにあり、その周囲は山で囲まれ、その間に、ずっと田が連なり、春日川という川が流れている。この川の側にあるのが佐川町である。南は山を負った町になり、北は開いた田になっている。人口は五千ぐらいの小さい町である。この佐川からは、いろいろな人物が輩出した。現代の人では、田中光顕・土方寧・古沢滋(迂郎が元の名)・片岡利和・土居香国・井原昂などの名を挙げることができる。
古いところは、いろいろの儒者があり、勤王家があった。この佐川町から多くの儒者が出たのは、ここに名教館という儒学、つまり、漢学を教える学校があり、古くから教育をやっていたためである。佐川には儒者が多く出たので「佐川山分学者あり」と、人がよくいったものである。山分とは、土地の言葉で「山がたくさんあるところ」の意である。
佐川の町は、山内家特待の家老[筆頭家老]――深尾家の領地で、それがこの町の主権者であった。
明治の代になり、文明開化の世になると、学校も前とは組織も変わり、後には、そこで、科学・文学を教えるようになった。そうなったのが、明治五、六年の頃であった。
明治七年には、初めて小学校制が敷かれたので、名教館は廃され、小学校になった。
佐川の領主――深尾家は主権者だが、その下に多くの家来がいて、これらの武士は町の一部に住み、町の大部分には町人が住んでいた。そして町の外には、農家があった。近傍の村の人たちは、皆この町へ買い物にきた。佐川の町には、いろいろの商人がいて商売をしていた。佐川は、大変、水のよいところなので、酒造りに適していたため、数軒の酒屋があった。町の大きさの割には酒家が多かった。
富太郎、呱々の声を挙げる
この佐川の町に、かく述べる牧野富太郎が生まれた。文久二年(一八六二年)四月二十四日、呱々の声を挙げたのである。牧野の家は酒造りと雑貨店(小間物屋《こまものや》といっていた。東京の小間物屋とは異なっている)を経営していた。家は町ではかなり旧家で、町の中では上流階級の一軒であった。父は牧野佐平といって、親族つづきの家から牧野家へ養子にきた人である。牧野家家付の娘――久寿は、すなわち私の母である。
佐平と久寿の間に、たった一人の子として私は生まれた。私が四歳の時、父は病死し、続いて二年後には、母もまた病死した。両親ともに三十代の若さで他界したのである。私はまだ余り幼かったので、父の顔も、母の顔も記憶にない。私はこのように、両親に早く別れたので、親の味というものを知らない。育ててくれたのは祖母で、牧野家の一人息子として、とても大切に育てたものらしい。小さい時は体は弱く、時々、病気をしたので、注意をして養育された。祖母は私の胸に骨が出ているといって、ずい分、心配したらしい。酒屋を継ぐ一人子として、大切な私だったのである。
生まれた直後、乳母を雇い、その乳母が私を守りした。この女は、隣村の越知村から来た。その乳母の背に負ぶさって、乳母の家に行ったことがあった。その時、乳母の家の藁葺家根が見えた時のことを、おぼろげに記憶している。これが私の記憶している第一のものである。その後、乳母に暇をやり、祖母がもっぱら私を育てたのである。
版元から一言
新訂版は、従来流通していた版よりも、格段に読みやすくなっています。文字の大きさ、ルビ、植物画、トピックに関する写真、詳細な解説(補注)が本文中に豊富に盛り込まれています。文章中に富太郎が関心を示した植物が登場すると、その頁内に『牧野日本植物図鑑』(初版3刷)から精密な線画を掲載しました。
更には、読みやすいように小見出しを大幅に増やした他、旧版の通時的であるべき内容が不自然に前後していた章や節、あるいは、テーマが近似しているにも関わらず不自然に離れていた章や節を再編し、「流れのある統一感」を出すように編集(再編成)しました。
NHK朝ドラ「らんまん」などで、新しく牧野富太郎を知った読者層に訴求すると同時に、児童でもよみやすいようにルビを豊富に振りました(ほぼ総ルビです!)。小学校中学年以上の子供が、自然に読み通せる水準を意識して編集しました。
また新訂版の巻末には、「付記」としてコラム「森鴎外と牧野富太郎」を初掲載しました。本文「ある日の閑談」の節の中で、富太郎が鴎外との交流のエピソードについて触れています。鴎外が富太郎に「漢詩に登場する樹木名が、現在のどの樹木に該当するのか」を手紙で問い合わせたのです。その顛末が、鴎外最長の長編史伝『伊沢蘭軒』の中に登場します。本版では、富太郎が登場する二つの章の現代語訳をコラム「森鴎外と牧野富太郎」の中で全文紹介しました。分野を異にした、二人の意外な交流を味わうことができます!
- 旧版ISBN
-
9784061596446
上記内容は本書刊行時のものです。