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ダダ・カンスケという詩人がいた
評伝陀田勘助
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2022年6月30日
- 書店発売日
- 2022年6月28日
- 登録日
- 2022年6月6日
- 最終更新日
- 2022年6月28日
書評掲載情報
2024-03-23 |
図書新聞
3633号 評者: 岡和田晃 |
2023-12-04 |
しんぶん赤旗
評者: (聳) |
2022-12-25 |
読売新聞
朝刊 評者: 梅内美華子(歌人) |
2022-11-19 |
図書新聞
評者: 加藤邦彦 |
2022-10-02 |
読売新聞
朝刊 評者: 梅内美華子(歌人) |
2022-08-25 |
日本経済新聞
夕刊 評者: 陣野俊史(批評家) |
2022-08-21 | 熊本日日新聞 朝刊 |
2022-08-13 |
毎日新聞
朝刊 評者: 永江朗(ライター) |
2022-08-06 |
東京新聞/中日新聞
朝刊 評者: 栗原康(アナキズム研究) |
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紹介
「ダダ」を自分の名とした唯一のアナーキスト詩人、陀田勘助(1902-1931)。アヴァンギャルドの担い手として鮮烈にデビューしながら、やがてその筆名と詩を捨てて、本名の山本忠平として共産主義者に転向。非合法共産党の中央委員候補として検挙されると、謎の獄死を遂げる。享年29。
細井和喜蔵、岡本潤、萩原恭次郎らとの交流から、当局による自殺との発表に対して、いまなお小林多喜二に先立つ虐殺説が根強いその死にいたるまで、謎に包まれた詩人の影を追いかけた初の伝記。定価3700円+悪税。
◎本書の刊行を記念して、2022年7月2日より、北海道の市立小樽文学館で「アナーキスト詩人・陀田勘助展」開催!
目次
島に居る岡本潤と俺の肖像
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第1章 「同志山忠」とは誰か
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発端―1枚の絵
「モダン東京―一九三〇年代の夢」
栃木―蔵の町の少年
本所―忠平は隅田川を渡る
荒井町の洋服屋
大手町―内務省の給仕
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第2章 陀田勘助の出発と雑誌『種蒔く人』
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開成中学自主退学事件
「啄木会」―渋民歌碑建立募金文芸講演会
1921年第2回メーデー
忠平、村松正俊と出会う
『種蒔く人』創刊
幻の二人詩誌『ELEUTHERIA』とペンネーム・ダダのこと
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第3章 詩誌『鎖』創刊
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『鎖』をめぐるさまざま
『鎖』創刊号―1923年6月
『鎖』第2号へ―1923年7月
『女工哀史』細井和喜蔵の登場
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第4章 関東大震災──亀戸事件と陀田勘助
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印半纏で走るカンスケ
亀戸事件とは何か
南葛労働協会には「支部」もあった―佐藤欣治のこと
亀戸警察署長、戒厳司令官はこう語った
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第5章 震災後を生きる
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『鎖』第3号からの再出発
「日本無産派詩人連盟展」と詩誌『無産詩人』
松本淳三の詩誌『詩を生む人』への寄稿
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第6章 岡本潤と陀田勘助──『マヴォ』における呼応
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『赤と黒』と『鎖』
小野十三郎の勘助評
『マヴォ』に呼応する岡本潤と陀田勘助
細井和喜蔵の死、渋谷定輔のこと
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第7章 ギロチン社事件と『黒旗』──アナキスト山本勘助の模索
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江東に自由労働者の組合を
労働運動社、大杉栄、岩佐作太郎
ギロチン社のテロリストたち
黒旗社結成と『黒旗』創刊―1925年11月
黒旗社パンフレット
ギロチン社事件の余波―『文芸戦線』再見
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第8章 復興局の土木人夫──『反政党運動』時代
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「黒色青年連盟」結成と銀座デモ
黒旗社時代を回想する―松田解子、菊岡久利
復興局の土木人夫
「反政党運動」―純正アナキズムとアナルコ・サンジカリズム
汎太平洋労働組合会議問題と全国自連の分裂 自協派・江西一三の回想
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第9章 アナ・ボルのわかれ──詩人たちの訣別
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『文芸戦線』の分裂
『文芸解放』創刊―文芸講演会に勘助飛び入る
隅田川のわかれ
暴力のわかれ―壺井繁治の場合
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第10章 プロレタリア美術展覧会と《同志山忠の思い出》
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東京合同労組へ、入党へ
トーマは帰れ―東京駅の騒擾
望月晴朗画《同志山忠の思い出》が描いたもの
ビラは天に向かって撒く―武田麟太郎のこと
望月晴朗という画家
プロレタリア美術とは何だったか
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第11章 検挙のあとさき
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組織者忠平の「作風」
忠平検挙へ―田中清玄「再建ビューロー」を巡って
松永伍一の「陰謀説」
なお残る不明点―南喜一と「解党派」問題
忠平以後―武装メーデーと「全協刷新同盟」
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第12章 獄窓の春、その死
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獄中詩編
死の周辺
田中清玄の証言
予審という闇
『戦旗』の在監者名簿―忠平の不在
戦後―「山本勘助追悼とぶらつく詩の会」
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参考文献
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あとがき
別丁カラー図版:《同志山忠の思い出》(望月晴朗・画)
前書きなど
東京国立近代美術館に《同志山忠の思い出》という油彩が所蔵されている。画家は望月晴朗。この絵に出会ったのはずいぶん前のことだ。いま図録を見ると、1989年の夏、「昭和の美術――所蔵作品による全館陳列」という企画展だった。昭和美術史をたどるプロレタリア美術の一群のなかに、津田青楓の《犠牲者》とともに並んでいたのである。
初めて見るのになんだか懐かしい絵だった。素朴派のおとぎ話の絵のようにどこかたどたどしくて、しかし懸命に描き込まれた人人人……。
こんなに人がいたのだ、大勢押しかけてきたのだよと画家は語りたくて、遠景の群衆の点描は点々と、もうコスモスの花畑のようである。手前の青年は演説するレーニン像のように右腕を突き出して、なにか騒乱が起きようとしているらしかった。薄暗い色調の中に密集する情感、ひたすら塗りこまれて突き立つ三本の円柱の暗鬱な緑色が美しい。
(そうだ、みんなこんなふうにして生きてきたのだ。みんな懸命に生きざるを得ないからみんな必死で、こんな時代がたしかにあった。―だが、望月晴朗という画家を知らない。同志山忠って、誰だろう……)
戦前の1931年、「第4回プロレタリア美術展覧会」に出品された作品である。プロレタリア絵画とはいっても哀しげな不思議なたたずまいの画風は、私のなかに長く印象の尾を曳いた。
その後、戦前の詩壇模様を語る資料をめくっていて、私は《同志山忠の思い出》の「山忠」が詩人の陀田勘助であることに気がついた。陀田勘助の本名は山本忠平であったのだ。ダダ・カンスケという、一度聞いたら忘れられない印象深い名前の詩人のことは昔から知っていた。その筆名が指すごとく、ダダイズムや未来派、立体派などの海外の芸術思潮が日本に紹介され出した1920年代、大正末年頃、前衛芸術の渦のなかにいち早く飛び出していった青年の一人である。山本忠平はダダ・カンスケを名のり、また漢字で陀田勘助と号した。だが駆け抜けていったつむじ風の砂塵は一瞬で、その姿がよく見えない。
気になって古書店のリストから『陀田勘助詩集』(国文社、1963年8月)を見つけ出し、取り寄せた。没後に編まれた全詩集としてはあまりに少ない40編ほどの詩篇、あまりに短い29年の生涯。
〔……〕
駆け抜けてあっというまに死んでしまった忠平。詩人としての活動期間はごくわずかである。詩人ダダ・カンスケはダダイズムに傾斜し、アナキズムに転じ、ボルシェヴィズムへと突進していった。非合法日本共産党の地下活動にかかわって投獄され、獄死する。〈ダダからアナへ、アナからボルへ〉という時代を、正直すぎるほどにまっすぐに生きた典型と言えるだろうか。詩人陀田勘助と労働運動家山本忠平はどんなふうにかかわりあい、わずかに残るその詩篇はいまわれらに何を語るのか。そして彼は詩を棄てたのか。
――[第1章より]
上記内容は本書刊行時のものです。