書籍が総額表示にできない3つの理由
先日、書店で見た光景。
レジで初老の男性客が、多量の本を買って精算を待っている。手持ちぶさたに、書店員に話しかける。
「本は総額表示じゃないんだね。」
書店員は、「ええ、まあ」と口をにごしている。
気持ちはわかる。下手な受け答えをして、お得意さんの機嫌を損ねたくはないし、「なんで、版元の表示の都合に私が言いわけしなくちゃならないんだ」という気分もあるだろう。でも、ちゃんと答えてほしいとおもう。本には、総額表示にできない理由があるのだから。
もとより、「総額表示義務化」はこれからの消費税増税に向けて痛税感を緩和するためにおこなわれた。「価格表示に混乱がある」「レジでわかりにくい」などという、絶無とまではいかないまでも、普遍性も切実性もない理由がつけられているが、そこに正当性はない。
私が小出版社の営業として見聞した範囲から言うと、この正当性のない理由づけに諾々と従えば、書籍流通、とりわけ既刊流通は近い将来に大きなダメージを受けることになるだろう。書籍の流通は以下の3点の理由によって、まったくもって総額表示には向かないからだ。
●理由1 点数が多い。
現在、書籍の入手可能点数は70万点ほどと言われている。なかなかの点数だ。
店舗あたりの点数も多い。たとえばコンビニエンスストアの一般的なアイテム数は40坪弱で3,000品目くらいといわれるが、3,000点しか置いてない書店というのはほとんどない。書店によって開きはあるものの、だいたい坪あたり400点くらい置いている。駅前10坪強の書店でも4,000点はある。コンビニの6倍の密度だ。
中規模(1,000坪ていど)なスーパーストアで25,000アイテムだそうだ。書店で1,000坪といったら、それは大きい。日本最初のメガブックストアといわれた八重洲ブックセンター本店が現在1,200坪、在庫点数は40万点以上となる。
一方で市場規模はと言えば、書籍のみなら1兆円、雑誌とあわせても2.5兆円に過ぎない。コンビニ業界は主要13チェーンで7兆円、スーパー業界なら 14兆円だ。16倍の密度に14分の1の売り上げ。書籍業界の負担はスーパー業界の200倍以上になる勘定だ。
とはいえ、点数の多い業界はほかにもあるかもしれない。手元にある50ccオートバイの部品リストを見てみると部品点数は1台で約1000点、それぞれに希望小売価格が付いている。機械部品は点数が多そうだ。しかし、書籍の流通にはほかにも特徴がある。
●理由2 メーカーが価格を決めている。
コンビニやスーパーでは、商品に値札が付いていることが少なくなった。かなりの店で、ハンディターミナルとPOSレジのシステムが導入されている。バーコードをキーにして、店で決定した小売価格をデータベースに登録し、価格を棚の表示に反映させ、レジでの表示にも連動させている。
生鮮食品が閉店間際に半額になったり、ある棚のものがタイムセールで20%引きになったりするのを見ればわかるとおり、小売価格は小売店が決定する。逆にメーカーが小売価格を統制することは独占禁止法で規制されている。
出版業界は、この独占禁止法の規定から適用除外を受けていて、メーカーが小売りの末端価格を指定することができる。再販売価格維持制度、略して「再販制度」と呼ばれるものだ。出版社はほとんどすべてがこの再販制度を利用し、個々の書籍のカバーに「定価」を印刷することでアイテム毎の販売価格を指定している。
日本の出版界がもつ、「再販制」と小売店が仕入れた書籍の返品をおこなうことができる「委託制」との組み合わせは、小売店のリスクとコストを下げることで、多品目の書籍を店頭に流通させることを目的につくられたものだ。種々の弊害は指摘されてきたが、おおむねその目的に成功してきた。
このシステムでやってきたため、書店は小売価格を自分で決める裁量をもたないし、もてるだけのマージンも受け取っていない。そのため、書店は価格表記を変える機能をもっていない。ハンディターミナルとPOSレジのシステムを持った書店も増えてきたので、原理的には書店が価格表記を変えることもできる。その場合、前述の取り扱い点数が邪魔をする。書店の棚は多くが1点1冊なので、棚に価格表示をすることはできない。したがって、かつてのスーパーでよく見られたように、ラベラーを使って価格ラベルを1枚1枚手貼りするということになる。しかも1枚ごとに価格設定を変えて。そのコストは膨大なものになる。書店にはとても負いかねる。
したがって、「再販制」と「委託制」のなかで、価格表記が変更されるときには、いったんメーカーである出版社に品物が差し戻される。ここに流通コストが発生する。これは、消費税の導入時にじっさいに起こったことだ。
●理由3 長期にわたって流通する。
現在、書店の店頭には多くの書籍が本体価格表示のまま並んでいる。「当面、本体表記のものも混在します」という店頭の貼紙を見た人も多いだろう。しかし、いまの混在が過渡期のものとおもったら大間違いだ。2002年の書籍新刊点数は7万6千点。現在の流通点数が前述のとおり70万点。つまり、いったん世に出た書籍は平均10年に渡って流通する。その間、幾度かに渡って出版社と店頭を往復するわけだが、その出荷のされかたは、新刊や重版で一度に配本されるだけではない。1冊1冊を読者に届ける客注や店頭の棚に並ぶ常備品の入れ替え、書店のフェアへの出荷などは、在庫品から出荷することになる。在庫品を出荷するのに価格表示の確認の手をかけられない出版社もあるだろう。
「当面の混在」はどのくらい続くだろうか。仮に、店頭にある書籍の98%くらいの価格表示が改まるのを「混在の解消」と考えるのなら、店頭在庫が代謝してその状態になるのに、すべての出版社が協力しても2年以上はかかるだろう。
政府税制調査会は、消費税を2025年度までに20%ていどまで引き上げるとしている。小泉内閣が来年には倒せたとしても、20年で15%だ。2%きざみとして7〜8回、ほぼ3年に1度の増税がある勘定になる(増税がなかった場合は国債の濫発からハイパー・インフレが起こるので、定価うんぬんの論議はいっさい不要になる)。
3年ごとに、この4月のような混乱が起こる。しかも、「定価1800円(税込)」だけしか書いていないような表記では、実際の支払い金額がいくらなのか、たしかめようもない。いつのまにか「定価表示カード」という名前をつけられた書籍スリップの上部への総額表示は上記のような税込み総額のみの表記が多い。(5)などと書いて税率5%を示唆しているものもあるが、そんな符牒を読者に判れといっても無理だろう。
財務省の言うような「わかりやすい表記」は、「スリップへの表記を随時変更」という方式では向こう20年以上は無理ということになる。その間に、再販制維持とのバーターをちらつかせた「カバーに総額表記せよ」という公権力からの圧力があらわれるだろう。書店が出店しているショッピングモールやデパートも「他業種と足並みを揃えよ」と言ってくるかもしれない。書籍への総額表示の必要性を認めてしまったら、そこに反論する根拠をどこに求めればいいのか。
以上の3点の理由の組み合わせによって、書籍を総額表示にするのはとても難しい状況にある。逆に言えば、総額表示を強行しようとすれば、3点のうちいくつかを犠牲にしなければならない。さしあたり「理由3 長期にわたって流通する」が犠牲になるだろう。
ただでさえ、既刊の流通はコストとの闘いである。新刊がもつ「手をかければ火がつくように売れだすかもしれない」という希望が既刊には薄い。これまでの売上実績から予測売上を出し、倉庫費用などの維持経費との兼ね合いで在庫量を決定することになる。死蔵させておいても売上が伸びることなどまずないが、やみくもに店頭に出荷しても、返品率を引き上げる結末になる。流通各所にかけてしまった負担と失った信頼も気が重いが、目の前で発生する入出庫経費や改装費もバカにならない。
そんななか、「意義があるとおもって世に問うた本だから」「まだ読みたいと言ってくれる読者がいるから」、出版社は在庫を維持しようとする。「この本がなければ、社のラインナップが崩れてしまう」という本もある。そこに総額表示の負担だ。1点の書籍が10年間で経験する増税は3回。カバーの変更なんてムリ、奥付表記なんてもってのほか、スリップの表記ですら「やせ馬の背にわら一本」、品切れへのきっかけとなってしまうかもしれない。
出版社が本を品切れにするのに、書店が本を返品するのに、「価格表記が古いから」という本質からまったく遠い理由を発生させてはいけない。「古い本=重版ができない本=売れない本」という等式はいつでもどの書店でも正しいとは限らない。読者・場所・時によって、求められている本はちがう。
新刊・重版ごとにスリップを入れ替えていけば、「新価格表記のあるものは売れスジ本」となる。しかし、そのような本だけが残って日本中の書店が「ランキンランキン」になってしまうような状態に、あなたは耐えられるだろうか?
5%への増税時に導入した本体価格表示こそ、本の安定流通のために書籍業界が公取委に対して勝ち得てきた権利ではなかったのか。それをこうも簡単に打ち捨てて、ほんとうにスリップだけで妥協が済むのか。早々にカバーに総額表示を入れだしている出版社もある。いまこそ、「本は総額表示にできない理由がある」とはっきり言い、読者や周辺業種への理解を求めるべきだろう。
スリップ表記に妥協することで「花を捨てて実を取った」気になって説明を怠れば、将来に痛い目を見ることになる。