埼玉県内の独立運動
先週の本欄で、吉備人出版の金澤さんが地方の話題、市町村合併と題して、岡山県内の市町村合併について取り上げていたが、この動きは、都下・首都圏でも関心事となっている。行政の一貫性、市町村名、役所の位置など、当事者のメンツと利害がからんで、多くの軋轢が生じている。
私は、「さいたま市」なるケッタイな名前の市から逃げ出すように移住したのだが、その先でも合併の問題があった。
現住の鳩ケ谷市は、1950年に川口市から分離独立したという、珍しい来歴をもっている。1940年に総力戦体制の一環として、行政簡素化のために吸収合併させられたのを、住民運動によって再独立したのだ。合併は県の発案・指導のもと、反対派議員の逮捕拘禁をふくむ「ムチとムチ」によるものだった。この記録をみると、地方の役人が中央に迎合したとき、こんな無法をおこなうものかと憤りが湧いてくる。
戦後の独立運動のほうは、めっぽう面白い。鳩ケ谷地域を二分する論戦・文書戦がかわされ、分離独立派が川口市政の中央部優先・不公平を言えば、合併存置派が「戦中・戦後の窮乏の怨嗟を市政の問題にすりかえている」とやり返す。双方とも経済的メリットを主張し、相手の試算を攻撃する。街頭に掲示板がならび、川口市長が反対声明を出し、デモでは「(独立)賛成音頭」が踊られる。よくもまあ、地域行政の区割り問題にここまで熱くなったものだとおもう。住民投票の投票率は87パーセントだった。
現在、鳩ケ谷市は経済的な苦境にありインフラ整備も進まないことから、今回の「平成の大合併」で川口へ再合併したほうが得策、という声が高まっている。しかし、その声は1950年に交わされたような熱い声ではなく、地域への強い愛着が感じられる言葉でもない。
鳩ケ谷の合併と独立にまつわる事柄を、私は市の図書館で知った。転入時に市からもらったパンフレットには江戸期以前の風俗と1967年の市制施行以降の年表しか載っておらず、近現代史が抜けているのを不審に思って調べてみたのだ。
たしかに分離独立の歴史は、川口市や県との対立の歴史でもあり、計画している合併の妨げとなるかもしれない。しかし、地域の記憶を知り、どんな街に住みたいかを語りあうことこそが、住民参加のまちづくりの出発点ではないだろうか。
そういう意味で、市町村には「行政効率の適正規模」のほかに、「住民が地域の記憶を共有して、まちづくりに参加していくための適正規模」というものがあるのではないかとおもう。
図書館には『鳩ケ谷市史・通史編』(1993年、鳩ケ谷市)のほかに、分離独立運動の中心人物であった高木利泰氏の著作『鳩ケ谷と私の昭和史』(1993 年、聚珍社)が複本で所蔵されていた。2000年までの貸し出しは日付が捺されていて、手元にある本は『通史編』が45回、『私の昭和史』が29回、どちらもコンスタントに貸し出されていた。公共図書館が「地域の記憶を受け継ぐ」という大きな役割を果たし、それに関心を持つ住民がいる。あとは、その関心をどうやって繋げていくか、である。
太郎次郎社では先月、『変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから』と題した新刊を刊行しました。全国各所のまちづくりを世話する著者による、地域からの社会再生の実践がつまった本です。第1章は、「まちづくりは、『まちを知る』ことからはじまる」という項から始まっています。どうぞ、ご覧ください。