特に大きなオチのない「左右社引っ越し日記」
2021年3月、左右社はオフィスを移転することになった。
左右社は渋谷区渋谷の「金王アジアマンション」というところにあった。
外観はよい意味でレトロ。築60年にしては新しく見える。玄関にはヤシの木のような南国っぽい植物が植わっていて、小説家の町田康さんと極めて近い名前の管理人さんがいる。
さらにさらに、世界のオノヨーコが住んでいたこともあるらしい。
このマンションが取り壊されることが3年前?に決まり、2018年から「今年は引っ越します」「今年こそ引っ越します」「来年はじめに引っ越します」と左右社は「引っ越す詐欺」を繰り返してきた。
みんな金王アジアマンションとお別れしたくなかったのだ。徒歩圏内に郵便局、ヤマト、エコ配、青山ブックセンター。出版社にとって最高の立地を誇る金王アジアマンションと。
しかし、ついに「来年(2021年)の2月がマジでデット」と管理人さんから告げられてしまう。
夏頃から物件を探していたがまったく見つからず、もう12月かぁ……、年明けて1月かぁ……、と時は過ぎるが誰も焦っていない。誰も焦っていないことに少し焦り始める。
管理人さんに謝り倒し(たかはわからないが)、3月まで猶予をもらえることになるも「渋谷近辺、今より広く、古すぎない」物件がなかなか見つからない。
しかも、部屋が暗くなくて、天井が高くて、郵便局が近くて、ヤマトが近くて、本屋が近くて、お昼食べるところがあって……。
半ば諦めていたある日、「引っ越すぞー!」と言って、内見から代表・小柳が帰ってきたのだった。
「出版社の引越しって面白いのでは??」
「コンテンツ化したらバズるのでは??」
と突如思いつき、これを書いているU(編集部、アート本・人文書などを編集)がひとりで盛り上がっていたところ、版元.comさんより「版元日誌」のご依頼を受けました。
「これは左右社が引越しと聞いてご連絡をくださったに違いない!そうに違いない!」とお引き受けすることになった次第です。
前置きが長すぎましたが、左右社引越し日記のはじまり、はじまり。
◼︎3月5日
オフィス引越しは3月15日に決定。
引っ越しまで、あと10日。
引越しの気配は皆無。
昨日、引越しチームリーダーのTKが「共有スペースは業者の人が運んでくれるから、個人の持ち物は各人でダンボールに詰めて」とアナウンスしていた。みんな、聞いていたのだろうか。実際、私もなんとかなるだろうと思っている。
いくつかの家具には「廃」のシールが貼ってある。
本の重さでゆがんでしまった棚や、ボロボロになった家具に貼っているのだ。出社したときに、一瞬、差し押さえか!?と驚いてしまった。
◼︎3月8日
動きなし。
◼︎3月9日
動きなし。
入校・校了が連続している引っ越しチームリーダーTKと、営業のNが関係各所に住所変更ハガキを送っている。ありがとうございます。
(ちなみにTKは、左右社人文書の大黒柱。分厚い本はほとんどTK担当。Nは数字に強く、緻密な仕事ぶりに定評がある。)
◼︎3月10日
引っ越しチームが家具を探してくれている。
小柳はインテリアを白と赤に統一したいとのこと。
◼︎3月10日
「作家さんやライターさんは缶詰にしてもらうと嬉しいという方が一定数いるらしいよ。取材で聞いた」というTNからの情報に、「新オフィスには缶詰部屋をつくろう!」と小柳。左右社新オフィスには缶詰部屋ができるのか。
(ちなみにTNは、左右社の詩歌部を立ち上げ、宝塚関連本にも力を入れている)
◼︎3月12日
いよいよ、来週月曜が引っ越し。
月曜なら楽勝でしょ、と誰も荷物を詰めていない。本当に大丈夫だろうか。
ここにきて、にわかに浮上したのは「カメ吉をどうやって連れて行くか」問題。
カメ吉とは、左右社のマスコットキャラクター。ミシシッピニオイガメという種類のリアル亀である(ちなみに左右社のロゴは亀。このカメ吉をイメージして、デザイナーの松田行正さんがつくってくださった)。
月替わりで社員が週2回、カメ吉の水槽を掃除している。
「カメ吉、どうやって運ぶ?」
「花瓶に入れる?」
カメ吉も無事に引越しできるのだろうか。
◼︎3月15日
引越し1日目。
仕事のあいまに荷物を詰める。みるみるうちにダンボールまみれになった。
本棚から昔のゲラが出てくる出てくる。いつのゲラなのか不明なものは大体TKのゲラである。
「本はダンボールいっぱいに詰めないでほしいんですよ」
引っ越し会社の人に注意を受ける。
本は思ったより重い。引っ越し会社さんの腰が折れてしまうのだ。
教訓、本はひとつのダンボールいっぱいに詰めすぎてはいけない。
今月のカメ吉当番TAがバケツにカメ吉を入れて運んできた。 「カメ吉、タクシーに乗って楽しいそうでしたよ~」
カメ吉は無表情だった。
(ちなみに、TAはガッツがトレードマーク。入社半年の編集者である。)
◼︎3月16日
引越し2日目。
お世話になっている会社さんから引越し祝いをいただいた。胡蝶蘭3つ、ちょっとおしゃれな観葉植物1つ。お祝いごとには本当に胡蝶蘭を送るんだなぁと思っていると、近所にも新しくオープンしたお店があり、胡蝶蘭が左右社の20倍くらいの数置いてあった。負けた、と思う。
引越し後はじめてのお客さんは、印刷会社の営業Mさんだった。
Mさんは凄腕の営業マン。いの一番に訪問するところにMさんの凄腕感をみた気がする。
◼︎3月19日
社内スケジュール表に「ビリー着」と書いてある。「ビリーとは誰なのか」と思っていたら、小柳が本棚(IKEAのビリー)を7つ購入したとのこと。
◼︎3月23日
ビリーがやってきた。
配達の方が運べども運べども終わらない。ビリーはこんなに小包装されているのか?
最終的に21箱が運び込まれた。
「あ、7つ×3回購入していた!」と小柳。
なぜ「×3回」になったのだろう。
「これ絶対に日誌に書いた方がいいよ」とTNがすかさず言う。
全員でビリーを組み立てる。営業Nにもビリーがあるらしく、組み立て方が手慣れている。(ちなみに、Nは福岡で書店員をしていたこともあり、かなりの本読み。人文書や詩歌が好き。)
◼︎4月1日
引っ越しの賑わいも完全に冷めてきた、4月1日。
左右社ははじめて「入社式」をした。
近年は毎年のように新しい社員が入社するが、入社式と呼ばれるものをしたことがない。今年の新入社員は2人。
営業部長Aは、祝辞で何を話すべきかGoogleで検索してみたらしい。
(ちなみにAは、左右社の営業を強化した立役者である。挨拶の声が元気。)
左右社はいま10人の社員がいる。
私が入社したのは2年前だが、当時は6人の社員とアルバイト1名だった。そのときから考えると、ここ数年で急速に人数が増え、社内の体制も整ってきた。
左右社で2番目に社歴が長いW(編集。英語日記BOY、戦前尖端語辞典などの話題書を手がける)は、ここ数年の採用面接に立ち会っている。
そのWは「先輩からの祝辞」のなかで、
「最近、左右社に応募してくれる人が増えました。みなさん本当に優秀な方ばかりです。そのなかで誰を採用するのか。迷ったとき、『3年後に、左右社の真ん中で一番活躍してくれるであろう人』を選ぶことにしています」
と言った。
3年後(もっと早く?)に、一番活躍してくれる人が2人も入ってくれた。こんなに嬉しい入社式があるだろうか。
一冊一冊土俵の真ん中で勝負する、全員で売る。
これからもそんな出版社であり続けられたらいい。
◼︎5月10日
引っ越しからほぼ2ヶ月。
ビリーの半分以上はまだ梱包を解かれていない。
カメ吉は日光の差し込む窓辺で、引っ越し前より元気に泳いでいる。
特にオチはありませんが、新オフィスで再始動の左右社を、本年度もどうぞよろしくお願いいたします。