コロナ、ミニシアター、クラウドファンディングと地域出版
新型コロナウィルス感染拡大の影響で、ミニシアターと呼ばれる映画館もまた危機的状況に陥っている。
岡山県内唯一のミニシアターであるシネマ・クレールも、感染拡大が表面化した2020年2月以降入場者数が減少し、国の緊急事態宣言が全国を対象になった4月下旬から5月の連休明けまで休館を余儀なくされ、危機はさらに進行した。
こうしたなか、「岡山のミニシアターを存続させよう」「多様な映画の灯を消さない」と、5月下旬にシネマ・クレール応援団(仮称)が結成された。応援団といっても、シネマ・クレールの支配人である浜田高夫さんを知る5、6人が声を掛け合って「何かできないか」とスタートしたゆるやかな集まりだ。そのメンバーのひとりから、「吉備人にも力を貸してもらえないか」と、声がかかった。
シネマ・クレールがあるのは、吉備人の事務所と同じ岡山市北区丸の内。徒歩2、3分のところにある文字通りのご近所さんだ。支配人の浜田さんとは、生活情報紙の編集者をやっていた35、36年前からの知り合い。困ったときはお互い様、少しでも役に立ちたいと応援団に加わった。
シネマ・クレールは、当面の存続のための資金集めをクラウドファンディングで行う計画だったので、応援団ではそれをサポートすることになった。目標は1000万円。支援してくれた人たちには、そのお礼をしなければならない。Tシャツや缶バッチ、著名な映画監督のポストカード、フィルム缶、さらには多額の寄付者への映画館の貸し切り権などとともに、シネマ・クレールの本(特別記念書籍)を返礼品にすることになった。これは吉備人出版としてできる応援だ。
この2、3年でクラウドファンディングを活用した出版をいくつか経験してきた。出版を企画した著者(多くはグループ、団体)が、クラウドファンディングで編集・制作のためのお金を集めて、吉備人から出版するというパターンである。
小児がんのことを知ってほしいという思いから制作された絵本『しろさんのレモネードやさん』、小児がんで亡くなった小学生が残した絵本『そらまめかぞくのピクニック』、障がい者が当たり前に生きられる社会の実現を願った絵本『世界一やさしいレストラン』、障がい児をもつ保護者の居場所づくりを進めるNPOのリーダーが経験をまとめた『ひとりじゃないよ』、高齢者介護の実際をみつめてきた写真集『オレが覗いて来た介護最前線』などである。
現在も、2018年夏の西日本豪雨災害で被災した写真や絵の修復ボランティアの記録集やアスペルガー症候群の当事者が病気への理解を深めるための本など、クラウドファンディングを活用しての出版が予定に入っている。
ただ、このシネマ・クレール応援団が返礼品とした活用する書籍の場合、書籍の出版そのものが目的ではないという点で、事情は少し異なる。つまり、クラウドファンディングの主体となるシネマ・クレールの負担は極力少なくし、なおかつ返礼品としての魅力あるものにしなければならないからだ。短期間で、しかもお金をかけずに、返礼品としての役割を果たせるような本を出版できるのか——悩ましい役回りを引き受けてしまった。
目標額の1000万円は、正直かなりハードルが高いと思った。しかも仮に目標額が集まったとしても、コロナで瀕死の状態となったミニシアターの経営危機を救えるかどうかはわからない。
そこで、記念出版の編集・制作にあたって、つぎのような方向性で進めることにした。
一つ目は、一時的なピンチを救うためのお金が集めるだけでなく、地域のなかでミニシアターの必要性を感じてもらえるものにしたい。そのために、クラウドファンディングで支援してくれる声を集め、その声を本でも紹介しよう。
二つ目は、シネマ・クレールのこれまでの歴史や上映してきた作品をちゃんと記録しよう。そのことによって、ミニシアターが、地域で果たしてきている役割をより多くの人に伝えたい。
そして三つ目は、支援してくれた人への返礼品とするだけでなく、より広くの人に届けられるよう、書店でも買える市販する本にしよう。
——などである。
クラウドファンディングは、6月5日から7月20日までの約1カ月半にわたって行われた。この時期、映画館だけでなく演劇団体やさまざまな社会活動への支援を求めるクラウドファンディングが多数あり、岡山で「ミニシアターの灯を消さない」という呼びかけに果たしてどれだけの人が応えてくれるだろうか、という不安もあった。
応援団の動きは、地元紙や放送局などメディアでも大きく取り上げられ、さまざまなところで、いろんな人から「シネマ・クレールへの応援に協力したい」という声をかけてもらうようになった。思った以上の反応だった。
結果、期間中に無事目標額を越え、最終的には支援総額は1133万円、支援者数は1087人にのぼった。
こうしたクラウドファンディングでの支援の集まりを気にしながら、6月、7月は浜田さんへの取材、インタビュー、上映作品のリスト作成など原稿制作と編集作業を急ピッチで進めた。その過程でいくつかの発見があった。
映画は、基本的にはあの暗闇のなかで大きなスクリーンで観ることを前提にしてつくられたものであること。映画館は、私たちがあまり知らないところで、その作品を作り手の意図を100%再現するための場づくりに大きなエネルギーを注いでいるということだ。
2001年に完成した現在のシネマ・クレール丸の内は、既存のビルに入居するかたちのミニシアターが多いなか、「新築一戸建て」は全国でも珍しい存在だった。コンクリート打ちっぱなしの美しい外観、スクリーンは、スチュアート社の一枚物(幅10メートル、高さ7メートルほどある)で、そのスクリーンには音響のために極小の穴が空いているのだそうだ。こうしたシネマ・クレールのこだわりは、多くの監督を役者さんら映画関係者にも伝わっているのだろう。上映期間中の舞台あいさつだけでなく、観客と近い距離で語り合う機会が頻繁に行われてきた。
大都市をはじめ各地でミニシアターができた1970年代後半から80年代、90年代にかけて、ミニシアター発の話題作がいくつも出てきた。おしゃれな女性誌の映画欄にはむしろこうしたミニシアター系の作品がより多く取り上げられていたようにも記憶する。ところが2010年ごろを境に、ミニシアターの映画人口に陰りが見えはじめる。理由のひとつは、シネコンの台頭。「ミニシアターとシネコンの垣根がどんどんなくなってきた」からだ。また、最近ではネット配信で映画を楽しむという若い人たちも多くなったことも、要因となっていることが想像できる。
シネマ・クレールをつくる以前から、浜田さんは世界のいろんな歴史や文化を、映画を通じて知ってほしい、そんな願いをもって自主映画の上映会を企画してきた。シネマ・クレールをつくってからも、国内外の良質な作品を選りすぐって上映し、岡山に居ながらにして世界中の作品に触れることのできる場所を提供してきた。もし、シネマ・クレールが岡山からなくなってしまったら多様な作品にふれる機会がなくなってしまう……そんなことを考えると、はやりなくてはならない存在であり、地域の文化の豊かさを支えている存在だということはきっと多くの人が認めてくれるに違いない。
その姿を、ずっと見てきた者としては、ミニシアターが地方での出版と重なり、シンパシーを感じずにはいられない。また、ミニシアターを守ることは、また私たちのような地域の小さな出版を守ることに通じるものがあるのではと思うのだ。
7月以降、自粛が解除され、シネマ・クレールにも徐々に観客が戻り始めた。とはいえ、厳しい状態は続いている。しかし、コロナ禍とクラウドファンディングによって、岡山のような地方都市で生活する市民のなかに「ミニシアターは必要なのだ」「シネマ・クレールの灯は消さない」という、そんな思いも育まれたのではないだろうか。いや、そうあってほしいと思いたい。年内には出版予定の「シネマ・クレール物語」(仮題)のゲラを読みながら、今、そんなことを考えている。