「金の切れ目」でも「縁が切れない」業界
販売ルートの切り替えで売上ゼロに
版元日誌の執筆は2度目となります。
dZEROは2013年7月、人文系出版社の編集部の一つが独立する形で誕生しました。同年11月から書籍の刊行を開始し、これまでに34点を市場に送りだしてきました。
当初は、取次ルート、しかも別の出版社を発売所とする形での出版でしたが、2017年から書店との直取引(トランスビューに代行を委託)に切り替えました。その間の大雑把な概要は前回の日誌 に記したとおりです。
前回の執筆から1年半ほどが経過し、dZEROの本がやっと直取引になじんできた昨今ですが、取次ルートから直取引に切り替えたことでちっぽけな出版社にどんなことが起こったか。おそらくこのような例は多くないでしょうから、前回の続編を記そうと思います。
発端は、販売ルートの切り替えによって、返品の担保として売掛金の支払いがストップし、売り上げは限りなくゼロとなったことです。dZEROが存続の危機に瀕したことはもちろんのこと、私自身、新卒から30年以上にわたって生業としてきた編集者をやめる選択肢も見えていました。それどころか、住む家を失うかもしれない騒ぎとなりました。
売上がないのですから、給与は出ません。出版社のスタートアップに際してすべてを投入してきたので貯金などありません。きれいにゼロです。幸い、子どもたちは成人して独立していましたが、住宅ローンは残っているし、最低限の生活費も必要です。
当座のしのぎとして他社の編集を請け負ったりもしましたが、「自分の編集スキルは自分の出版社のためだけに使いたい」という思いが次第に強くなっていきました。そこで始めたのが、出版とはまったく関係のない業界での夜勤アルバイトです。22時から7時まで、週2~3回(ときには2か所でのWバイトで連日)働きました。
その生活は3年続き、夜勤バイトをやめられたのはつい数か月前、2018年の秋でした。
だいたいの経過をまとめると次のようになります。
【取次ルート時代】
●第1期:2013年7月~2014年6月(黒字)
→文京区本郷にオフィスを構え、社員3名+アルバイトでスタート
→11月に第一弾刊行。2冊目と3冊目が重版し、まずまずの出足
●第2期:2014年7月~2015年6月(トントン)
→年10~12冊のペースで刊行、重版も出るが返品も増え始める
●第3期:2015年7月~2016年6月(赤字)
→年10~12冊のペースで刊行、返品が増える
→人員構成や流通を見直す
→生活費を稼ぐため、夜勤のバイトを始める
【切り替え期】
●第4期:2016年7月~17年6月(大赤字、存続の危機)
→2016年8月、販売委託先(発売所)に契約解除の意思を伝える
→市中在庫が1000万円以上あると推定され、それらの返品担保のため、売掛金の支払いがストップする。売り上げがほとんどゼロに
→同年10月、契約解除。在庫のうち約4万冊を断裁、3500冊のみ救出し、仮倉庫へ移動
→東京のオフィスを引き払い、千葉の自宅の一角を事務所に
→2017年1月、トランスビュー代行で書店との直取引を開始。既刊のISBNを新ISBNに切り替える。1冊の本で2つのISBNが存在する事態となるが放置
→スリップを刷り直して差し替え、カバー・奥付に新ISBNシールを貼付。売上ゼロのため製本所に外注できず。スタッフ3人と仮倉庫にこもり、年末年始に3500冊を改装。トランスビュー倉庫に搬入
▼写真は、ISBNの切り替えのために用意したシール。年末年始、暖房のない倉庫で粛々と貼付作業をした
【直取引に完全移行】
●第5期:2017年7月~2018年6月(収支は黒字)
→2017年10月、編著者がクラウドファンディングによって制作費を調達し、1年半ぶりに新刊『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』
を刊行。メディアに多数取り上げられ、4刷となる
→既刊が動き始め、重版のための印刷代を確保できるようになる。好評既刊を順次重版し、蘇らせる
●第6期:2018年7月~2019年6月(収支は黒字見込み)
→新刊第二弾『江戸の風』(立川談志)
、
第三弾『自己矛盾劇場』(細谷功)を刊行
→好評既刊『具体と抽象』(2014年11月刊行、細谷功著)
が、「若手起業家の推薦→Amazonでランキングアップ→リアル書店から注文が来るようになる」という流れで売れ始め、版を重ね第12刷となる
→既刊を蘇らせることを優先、新刊にシフトするのは来期からとする
▼写真は『具体と抽象』のカバー表4。左から「旧ISBN保存原本」「シール貼付(5刷)重版原本」「12刷重版原本」。2年4か月をかけて、やっとここまできた!
それでもdZEROがつぶれなかった理由
やっと本題に入ります。ここまで長々と悲惨な状況を披歴してきたのは、これから記すことの価値を伝えたかったからです。
「dZEROはつぶれるんじゃないか」とか、「つぶすんじゃないか」とか、「いやむしろ、清算したほうがいいんじゃないか」とか、おそらく(きっと)周囲ではそんなふうに囁いていたのではないでしょうか。直接言われたこともありました。
当然の反応です。取次ルート時代の市中在庫(返品リスクともいう)という負債を抱え、売掛金の支払いをストップされて売上がゼロになり、資金調達のあてもなかったのですから。
ではなぜ、少なくとも現時点で(一寸先のことはわからない)存続できているかというと、理由は複数あります。第一に、他の役員が疲弊して退職したり、スタッフを雇えなくなったりしても、私自身があきらめなかったからです。あきらめたときが終わるときでしょう。あるいは、商売っぽい事由としては、
1)Amazonとe託契約したこと。実売のみの入金であり後々になって返品分がごっそり控除されることがないし、支払いサイトが短く2ヵ月後には振り込まれる。よって資金繰りしやすい。
2)電子書籍の売り上げがあった。
3)書店との直取引きに切り替えたことで、返品が1ケタ少なくなった。
4)国税庁の税務調査が「たまたま」入った結果、追徴されるどころか、消費税が150万円ほど還付された(つまり払いすぎていた)。
ということになりますが、実はこれらのことはさほど重要ではなかったと思っています。
「金の切れ目が縁の切れ目」といいますが、金の切れ目が縁の切れ目にならなかったこと。dZEROが生き延びることができたのは、それにつきます。言い換えれば、著者や関係者(装丁家やプログラマー、Webデザイナー、校閲者、印刷・DTPなど、あらゆる仕事関係者)が支えてくれたからです。
1)債権を放棄するという内容証明郵便が複数届いた
2)在庫を1500冊買ってくれた著者がいた
3)支払いを待つと言ってくれた著者や関係者が何人もいた
4)こちらの提示金額よりも安い「友情価格」にしてくれた関係者が複数いた
5)いまは別の会社にいるかつてのスタッフが無償で仕事を手伝ってくれた
6)資金的援助をしてくれたかつてのボスがいた
7)dZEROの什器・備品を大量購入してくれたかつてのボスがいた
8)著者(故人)の遺族から支援・激励が届いた
他にも、学生時代の友人が無料で仮倉庫を貸してくれたり、無料でシール印刷をしてくれたり、ご飯をおごってくれたり……など、書ききれないほどの支援(奇跡・幸運)がありました。現在も多くの方に支えられてdZEROは生き延びています。感謝の念に堪えません。
困ったときに助け合うのは、古くから見られた「著者と編集者」の関係性です。その関係性が変質してきたともいわれますが、この3年あまりの経験は、「いまだ健在」「出版界、捨てたもんじゃない」と思わせてくれました。
一言にまとめてしまうと、dZEROがつぶれなかったのは、出版界だったから。
出版不況と言われ続けて20年くらいになるでしょうか。逆説的ではありますが、出版社でなければつぶれていたし、私自身も事業をあきらめていたかもしれません。
出版、強し。
けっこうな年齢だし、休まずに働いてきた日々の疲れから、やる気が蒸発してしまいそうになることもあります。そのたびに、この3年を支えてくれた著者や仕事関係のみなさんの顔を思い出して、踏ん張っています。
生きているあいだに、みなさん全員に恩返しできるのか、かなり微妙ですが、もう少しお待ちくださいますよう。