始まりはいつも思いつきから
皆さん、こんにちは。
小社は一昨年の年末にスタートした、大阪と京都の境の“天下分け目の天王山”の麓から、「希望をカタチにしてお届けする」小さな小さな出版社です。
創業2期目になる今年は、かつて神戸の名ソムリエとして知られた著者が、淡路島で自給自足の有機農業を実践しつつ、私たちの食や農業、暮らしなどについて思考を重ねた、都市生活者と農業を架橋する手づくりの現代思想『哲学するレストラトゥール』
を5月末に、
関西人のソース好きを基点に、お好み焼や串カツ、地ソースといったところから、関西の下町を巡り、そこに根付く「下町のエートス」を浮かび上がらせた“味と思考の旅”『大阪(+神戸&京都)ソースダイバー』
を7月末に発刊致しました。
紀伊國屋書店梅田本店さんでは、『大阪(+神戸&京都)ソースダイバー』と連動して、本書で工場を取材した大阪の地ソースメーカーのソースを集めて、「大阪の地ソースフェア」を開催。店頭で地ソースをご販売頂いたのですが、生産量が少なく「幻のソース」とも言われるヘルメスソースをはじめ、まとめ買いされるお客様も多く、品切れが相次いで、すぐに追加発注という大盛況。改めて、大阪の皆さんのソース愛を痛感致しました。
お分かりの方はスグにお分かり頂けたと思いますが、小社『大阪(+神戸&京都)ソースダイバー』は、地政学を基に大阪という街の成り立ちを掘り下げた中沢新一先生の名著『大阪アースダイバー』への地元・大阪からのナナメ45°のオマージュです。
ちなみに中沢新一先生にも敬意を込めてご献本差し上げたのですが…。
発売から3週間ほど経た真夏のある日、外出する直前にかかって来た電話に「誰かいな?」と出てみると、「中沢新一です」。何と直接お電話を頂戴しました。
急なことで思わず「いつもお世話になっております」とお答えすると、「いやいや、お世話した覚えはないけど」。確かにお会いしたこともないし、こちらから一方的にリスペクトを差し上げているだけで…(汗)
言葉に詰まっていると、「『大阪ソースダイバー』面白く読みました。まさに下町のフォークロアですね。対談の参考にさせてもらうかも」というありがたいお言葉を拝受しました。
嬉しいやら恐れ多いやらで、受話器を置いた後に思わずバンザイ☆
炎天下、ソース漬けで胸焼けに明け暮れた制作時の想い出と共に、この夏の忘れられない記憶になりました。
その『大阪(+神戸&京都)ソースダイバー』ができるまでの経緯については著者が本書の後書きで言及していますが、元々はお風呂に浸かりながら『大阪アースダイバー』を読んでた時(私事ですがお風呂に浸かりながら読書するのが日課でして)、ノボせながらふと「ソースダイバー」ってタイトルを思いついたのが始まりでして…。
後日、著者とてっちりを食べつつ次の企画をご相談した際に、「コレも一応、入れとこ」と『大阪ソースダイバー』とタイトルのみ企画案のリストの一番下に入れておいたところ、ふと著者の目にとまり、
「この『大阪ソースダイバー』って何?」
「いや、お風呂に浸かりながら『大阪アースダイバー』読んでて思いつきまして。タイトルだけなんですけど…」
「アホやのう、お前は。コレやでコレ!」
と思いがけず決まったという次第。
私の単なる思いつきをに対して、見事に骨格を組み立てて肉付けして、ソースを補助線に「下町のエートス」を照射した今までにない1冊に仕上げて頂いた著者の創造力に改めて敬服致します。
歌の歌詞にもありますが、始まりはいつも突然に…というか、小社の場合、始まりはいつも思いつきでして…。でも、この「思いつき」っていうのを大事にしたいなぁと思っております。
もちろん本を作って売ってきちんと利益を上げて、出版を商売として成り立たせていくのには、マーケティングや事業計画というのも大切なのですが、それだけでは面白くも何ともない気がします。
音楽で例えるなら、スタンダード曲を譜面に忠実に則って演奏するなら外れはないけども、偶発的で予想外な面白みもあまり生まれないのと一緒で。それよりも最低限のリズムとコード進行は抑えつつも、アドリブでその場その時のノイズや偶然が入り込む方が何処に辿り着くか分からないスリルもあって断然面白い。
あるいは、出掛ける前に情報誌やグルメサイトで☆が多い店をあらかじめ下調べして、そこに載っているオススメを注文し、出てきたメニューをスマホで写してSNSに上げて「コスパが今一つ」って振る舞いも、ふらり初めて扉を開けたスナックやバーで、その場の雰囲気や、ママやバーテンダーとの距離感を計り、その店のローカルルールやコミュニケーションの行方を手探りしつつ…という方が、街や店を本当に愉しめるのであって。
ゼロサム的な競争の狂奔の元、グレーゾーンを排除した白黒の二元論で峻別し、何にでも単純明快な分かりやすさが求められ、いかに無駄なく早く簡単に結論を導きだすかに終始する、無時間モデル、等価交換が必定な消費社会。
あらゆる出来事が記号として流動的に消費されてしまう中で、目的や手段も決めないままにとりあえず「思いつき」から始めつつ、何度も立ち止まってじっくりと反芻し、排除されがちなノイズや余白をも取り込み、時には寄り道や無駄足もしつつ、その時その時で逡巡しながらも手探りで進んでいくことで、想定外な偶然や思いもつかないようなアイデアにも巡り合うことができ、当初は意図しなかったようなゴールに辿り着けるように思います。
小社『大阪(+神戸&京都)ソースダイバー』における、何からできているか一見分かりにくいソースが下町の文化として育まれたことから飛躍させて、よく分からない異質な隣人やものでも、まずはひとまず許容し受け入れる、そんな”街場の度量”こそが「下町のエートス」であり、今それが損なわれつつあるのではないか、という著書の提言にも相通じるかもしれませんが、分かりやすさばかりを求め無駄なく早く簡単にゴールに辿り着くことばかりを目指すのではなく、まずは目的や手段も決めずに、「コレやでコレ!」な偶然の思いつきから始めて、寄り道や無駄足もしつつ、複雑でわけの分からない、理解不能なノイズや余白も許容し取り込んで、日常の生活で培ってきた記憶と経験、身体感覚を元に、道筋を掘り当てて、足場を固めていく。ひとり一人が固有名を持った個人として孤独に強くなりつつ、孤立することなく個として繋がり、お互いの日常の生活感覚を共有していく。
そんな有り様が、小社が社名に掲げている「ブリコルール」的な営為にも通じるような気がします。
ということで、小社はこれからも「思いつき」から始まる偶然を大切に、寄り道や無駄足をしながら、一歩ずつ歩いて行きたいと考えつつ、日々、小さなスナックのカウンターで諸先輩ご同輩と肩を並べながらマイク片手に薄い水割りを上げ下げし、ほろ酔いで家に帰ってはお風呂で読書しつつ思いつきを探る日々(って根本的に間違っている気がしますが…)。
小社はまだまだ非力な小さな小さな出版社ですが、皆様のご指導ご支援を頂けますよう、よろしくお願い申し上げます。