前を向いて生きている
出版を始める前にお付き合いしている人がいた。
とても気が合って、一緒になって馬鹿馬鹿しいことを楽しんでくれた。よく笑う彼女につられて、私も笑うことが増えたようだった。
付き合って数年後、コロナウイルスの流行がおきた。そのせいで、私が興したばかりの事業(出版ではない)は、あっけなく頓挫、そのうえ、全国で外出の自粛が呼びかけられると、私は一人で家にいる時間が大幅に増えた。彼女と会うのは週末のみで、孤独と不安の中、私の心は徐々に内向きになってしまった。
一方で、彼女にも同時期に苦しい出来事が立て続けに起き、しかも、それらに伴う問題に一人で対処しなければならなかったので、強いストレスを抱えていた。かなり疲れているように見えた。あまりにも多くの問題が一度に起きて、お互いに余裕がなくなっていた。
付き合い始めの頃は、喧嘩をしてもその度にすっきりと仲直り出来ていたのが、徐々に、しこりを残したまま曖昧に終わることが増えた。恋のマジックは効果切れだったのだろうか。たいていは衝突が起きても、その都度お互いの愛情を再認識できれば、多少の問題は消えてしまう。でも、解消されずに積み重なった苦しさはいつか閾値に達して、関係は破綻するのだろう。実際、そうなったと思う。
彼女と別れ、数日間無気力に陥った後、私は少しずつ荷物の整理を始め、引っ越しの準備を進めていった。何も考えられなくなっていたが、次に移るのは、知人がおり馴染みのある都内の町と決めていた。以前から挑戦しようと思っていた出版の世界に踏み出したのも、その頃だった。
事前に本を読んだりインターネットで記事を見たりして、業界の事情に目を通してから、版元ドットコム/ポット出版の沢辺さん、トランスビューの工藤さんに会っていただいた。最初の刊行の目途がついたら、版元ドットコムに入れてもらい、流通はトランスビューにお願いしようと決めた。
それからは紆余曲折があったが、今のところ2冊の本を刊行し(電子のみも入れれば3冊)、自分の会社(薄月)を維持しつつ版元ドットコム事務局、ポット出版と同じ一室に入居して、お世話になっている。出版者の仲間もできた。中には社会の本流とはあまり縁のなさそうな、ユニークで面白い人たちもいる。人付き合いが苦手で、コミュ障を気にしていた私が、こんなにも多様な出会いに恵まれるなんて、やっぱり人生は分からない。いまは、人間って面白いとさえ思っているのだから。
それにしても、人生で必死になってやらなきゃいけないことなんて何もない。それなのに、どうして人は何かに挑戦したくなったりするんだろう。私が出版を始めた本当の理由は自分でもよく分からない。きっと、たくさんの小さな理由が集まって、意気地のない私を動かすほど大きな流れになったんだと思う。他のひとり出版社の方たちはどうなのだろう。根底にある原動力は本人にも分からないのかも知れない。
件の彼女はとても頭が良く、事務処理やコミュニケーションの能力も優れていたが、自ら好きなことに挑戦するという生き方は避けた。自分はただの社会の歯車だと常々言っていた。私は不思議でならなかったし、彼女の能力を考えたら惜しいことだと勝手に思っていた。でも、人それぞれこの人生でやるべきことが違うのだろう。
出版社を興してみて、うまくいっている人もいるだろうけれど、そうとは言えない人が大半だろう。やめてしまった人も少なからずいると思う。でも、うまくいくとは何なのだ。私は経済的には成功しているとは言い難い。でも、人生はずっと豊かになった。生きている限りは出版に携わりたい。自分の居場所はここだ、という感じが強くある。そんな感覚が得られたのは本当に幸運だと思う。
コロナ禍で孤独だった私が、いまは多くの人と関わっている。話を聞いてくれたり助けてくれる人が多いのがこの業界だと知った。日々有り難さを実感する。拾ってくれた沢辺さんには頭が上がらないし、感謝すべき人たちを挙げたらきりがない。人生は、自分の決断と出会いで如何様にも変わる。それが分かってよかった。
彼女との関係が終わりに近づいたとき、お互いが涙を見せるような衝突が度々あった。彼女はいつも、目を閉じず前を向いたまま静かに涙を流した。横になっているときは、天井を見つめたまま、涙が目尻から耳元へこぼれた。悲しみを堪えるのではなく、感情をそのまま受け入れているようだった。自分の中に明確な生き方があった。私は社会の歯車で良いんだと言い切っていたのが忘れられない。
いつも前を向いていた彼女は、いまもしっかりと人生を歩んでいるのだろう。私も、心の中の寂しさや苦しさを見つめながら、前を向くことだけは決して諦めず生きている。