ケアの現場から声を届ける――文章講座の試み
こんにちは。障がい者訪問介護事業を行うNPOココペリ121の出版部門ハザ (Haza)です。
ハザでは、ケアの現場にいる人々や、そのかたわらにいる人々の声を届ける〈ホモ・クーランスの本〉シリーズ(既刊2冊、いずれも西川勝著)、『K-POP言論』(野間秀樹著)

などを発行してきました。また、近日韓国と日本のあいだに生きる女性作家によるエッセイ集の発行を予定しています。
その一方でわたしたちは、ケアの現場で生じる声を拾いあげ多くの方に届けたいとの思いから、ヘルパーたちが言葉による表現をめざして切磋琢磨する場として、文章講座の活動を始めました。この活動は、ヘルパーたちが制作全般に関わったZINE『かなりあのたまご』の発行へとつながり、現在さらなる飛躍をめざして継続奮闘中です。
今日はせっかくですので、この文章講座で生まれた文章の中から、ケアの場面を表現した一つのエッセイをご紹介します。
コウノさんの「チ。」 H・M
気管切開をして発声困難となったコウノさんは、五〇音のひらがなが記された透明な文字盤を使って会話する。
なにか言いたいことが出てくると、コウノさんは「チ。」と舌打ちをしてヘルパーを呼ぶ。すると、つねにそばに控えているヘルパーが文字盤を取り出してコウノさんの目の前に掲げ、文字盤を通してその目の動きを読む。盤上のひらがなを指でたどりつつ、徐々に範囲を絞り込み、お目当ての文字をさぐる。
「あ行?(チ。)……か行?(チ。)……さ行?(顎がかすかに動く)。さ?(チ。)……し?(チ。)……」と応答をかさねる。コウノさんが「チ。」と舌打ちをするときは違っていて、すこし顎がひらくと正解。そうやって一文字ずつ確認していくわけだが、ときにヘルパーが早とちりして、勘違いしたまま先にすすんでしまい、「チ。チ。チ。」(こら、違っとる!)と舌打ちの連打をくらうこともある。
コウノさんとヘルパーの間に差し挟まれた文字盤、そのまわりで〈声〉はうろうろ彷徨ったり、やるせなく蹲ったり、もと来た道をすごすご引き返したり……。なかなか読みとれず、伝わらないことに対する、お互いのイライラやもどかしさ。あるいは以心伝心で、すらすらとんとん意思疎通できたときの心躍る感じ。〈声〉は文字盤のまわりにそのときどきの質感をもって立ち上がり、ひろがりをもって、しばしその場に滞留する。
ある日、なじみの訪問看護師さんが看護実習の女子学生を連れてくることになった。
初対面の相手に対して、パソコンに保存してある自己紹介の資料(ライフストーリーが記してある)を披歴するのが、コウノさんのお約束。資料作成はもちろんコウノさん自身による。「チ。」という舌打ち音をマイクで拾い、画面上のカーソルを操作して一文字ずつ確定していく。思えば気の遠くなるような作業だが、それで意中の女性にラブレターまで書いてしまうのが、コウノさんのコウノさんたるゆえん。これから白衣の天使の卵が訪ねてくるとあって、大はりきりである。
約束の時間になって、訪問看護師さんが学生さん二名をともなってあらわれる。軽く挨拶をしたのち、バイタルチェックからはじめて、てきぱきと通常の処置をこなす。その様子を学生さんは熱心に観察している。処置がひと通り終わると、いよいよコウノさんの出番だ。前もって起動させてあったパソコンを駆使して、学生さんに対するプレゼンテーションがはじまり、やがてそれも無事終わると、コウノさんは一仕事終えたような晴ればれとした顔つき。みんな輪になっての談笑となる。学生さんもそれぞれコウノさんに自己紹介をして、和気藹々と話がはずむ。
とはいえ、いつまでもゆっくり話を楽しんでいられる訳ではない。いよいよ訪問看護師さんたち一行の退室……、というタイミングになったところで、「チ。チ。」とコウノさんが舌打ちして呼ぶので、ぼくはそそくさと文字盤を用意してコウノさんの前に掲げた。そこからコウノさんの目の動きを読み、文字を指でたどって、応答をかさねつつコウノさんのことばを確認していく。すると、
「か」、につづけて、
「わ」、ときた。
もはやその先はほぼ察しがついている。文字盤のむこう側で、コウノさんの目が悪戯っぽく笑っていて、ぼくも共犯者のように、つられてニヤけてしまう。ここからは当て推量だ。
「『い』?」
コウノさんの顎が少しひらく。目尻はすっかり下がっている。訪問看護師さんにも、すでにニヤニヤが伝播している。次のことばへの期待が膨らみ、周囲を包みはじめている。
「もう一回、『い』?」
顎の動きがさらに大きくなる。コウノさんは満面に笑みをたたえて、もはや表情は決壊寸前だ。ぼくはグッと一息飲み込むと、その場にいるみんなに向かって、照れまじりに少し声を張って告げ知らせる。
「『かわいい』そうですよ!」
コウノさんを囲んでドッと笑いの渦が巻き起こり、にぎやかな〈声〉が四方八方に乱れ飛ぶ。