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創業から5,6年。

子どもが生まれたばかりだった。
東京で働く夫婦共働きの悩みは通勤時間の長さと,自宅と保育園との距離だろう。5時に会社が終わったとしても駅の至近の保育園に着くのは,私の家の場合なら6時にはなってしまう。子どもを8時に寝かせなくてはならないとしたら,どういうタイムスケジュールになるのだろうか。

妻が産休・育休をとっていたので家に帰れば赤ん坊がいて一緒にあやしたりする,のんびりとした生活になっていた。仕事も多少は残業ができる。帰ったら食事の用意はされている。が,4月になり,子どもが保育園に通うようになると,生活はどういうふうになるのだろう? そもそも希望の保育園に入ることができるのだろうか?
そんな理由が一つあり,もちろんそれ以外にもいろいろと理由があって,私は自分で会社を興すことにした。2008年の年末のことだ。心理学を中心とした専門書出版社で,遠見書房と名付けた。
最初の事務所は入る予定の保育園のそばに置いた。家賃5万円くらいのワンルームマンションで,6帖くらいのスペース。家からは自転車で通った。子どもがちょっとずつ大きくなり,なぜか最初の言葉は「これ」という指示代名詞だったが,ちょうど発語のころ1冊目の本ができ,すぐに増刷になった。会社を興して3カ月めくらいだったろうか。いや,「会社」ではなく,まだ法人化をしていなかった。個人事業として行っていた。
アウトドアが好きだったので荷物が載るワゴン車を持っていたのは我ながら運がよかった。経費削減のため本ができると印刷所まで車で取りに行った。心理学の専門書の刷り部数は1,000部~1,500部くらいなので,ワゴン車にぎりぎり載った。懇意にしている印刷所は太平印刷社さんと言って値段も手ごろで,作業スペースを貸してくれたので,そこで配送用に梱包をさせてもらったりもした。
最初に口座を開いてくれた取次店は地方・小出版流通センターさんだった。印刷所で本を積んで,その足で地方小に新刊の納品に出向いた。納品後は,町田にあるこれまた世話になっているソーシャルワーカーの中村正利先生が倉庫をただで貸してくれたので,そこに行き,本を置かせてもらった。家賃の代わりに本を作ったりもしたが,恩人の中村先生はその数年後亡くなってしまったのはとても残念である。会社に戻ると夕方だった。本を運ぶのには人手がいるが,ちょうどそのころ仕事がなくて暇だった同級生の駒形君に手伝ってもらった。お金がなかったから,最初の頃は酒を奢ることで許してもらったりもした。
4月からは毎日毎日子どもを自転車に乗せたり,車に乗せたりして保育園を行き来した。保育園の朝は8時半で,夕は17時半。打ち合わせや出張などでどうしてもいけない時もあったが,その時は妻や妻の母親が近所に住んでいたので変わってもらった。爆速で家に帰ると,夕餉の準備をした。子どもはご飯を作るときでも「お父さんお父さん」と抱っこや負んぶをせがんだが,妻が帰ってくると,すぐに妻の膝の上に移った。そして寝るまでずっと妻の膝の上にいた。お父さんは寂しい生き物だなと思った。
妻から埼玉の某所に変わった保育園があると聞いた。里山のある保育園だった。会社のそばの保育園もよかったが,このまま狭い世界でいいのだろうか,と私は思うようになっていた(そこは便利だが狭かった)。その里山の保育園を見に行った。とても気に入った。保育園の保育士さんたちがみな均整のとれたアスリートのような体型をしていたのだ。子どもたちと全力で遊ぶ。ゆえに太らない。大人は子どもたちと遊ぶときに幼いと手を抜くことが多いが,それは間違っているような気がしていたので,すごくいいと思った。そして里山なのか園庭なのかわからなくなっている庭では,泥んこになって子どもたちが遊んでいた。とってもワイルドで,こういうところで子どもを育てたいと思ってしまった。
問題は埼玉の某所というところである。近隣の駅の至近にアパートを借りて住めば,妻の会社からドア・トゥ・ドアで1時間15分くらいで着きそうだった。私の方はアパートの一部屋を事務所として使えば通勤の必要はない。保育園までは駅から車で30分。駅前といえど3DKのアパートが,最初のワンルームの事務所の家賃プラス2万円くらいで借りられた。会社の所在地を住んでいた東京の自宅に移し,倉庫代わりとし,町田から本を引き上げ,ワンルームマンションを引き払った。経費削減のためにNTTの電話番号ではなく,050番号で開業をしていたので,幸いなことに引っ越し先でも使え,大きな混乱はなかった。いや,一度,営業に来た広告会社の方が空き家倉庫にきて泣きながら電話をしてきたことがあった。
週に1度か2度,埼玉某所から東京・三鷹まで車で行き来をし,その足で地方小にも納品をした。年に10冊くらいのペースで刊行ができそうだった。売上が1千万円を越えたら株式会社にしようと考えていた。起業して2年。10冊の本を出したころ,法人化をすることにした。
そのうち暇だった駒形君を説き伏せ,編集作業やなんかの手伝いをいろいろとしてくれないかと頼み,週に2日くらい自分の家で働いてもらった。一人出版社ではなくて,ほぼ一人出版社となった。車の走行距離は1年で5万キロくらい増えた。子どもは野性味を帯びて小鹿のように野山を走っていたが,私のほうは運動不足で太ってしまった。
定期的に似たような分野の本をつくると,出版社の知名度もあがり,それなりに企画が入ってくるようになる。売上数もあるので明言はできないが,少部数の専門書の世界だと年7,8冊くらいがライフ・ワークバランスがとれているような気がする。が,売り上げが伸びない本が連続で出てきたり,制作経費が予定以上にかかったりすると,この冊数だとアウトで,次の印刷諸経費が出せないという循環に入ってしまう。自転車操業でもなくなってしまうわけである。となると,年10冊くらい作ると安全なのであるが,10冊作ると当然疲れるし倉庫問題も大きくなってくる。ページ数にもよるが500冊だと冷蔵庫くらいの大きさになる。年に10台,冷蔵庫を買っているようなものだな,と思ったりもした。
子どもはどんどん大きくなった。私は毎日保育園への送迎を行い,ママ友やパパ友ができた。頑張って,保育園コミュニティに溶け込んでみたりした。子どものためだ。その保育園には入園をさせるためにわざわざ引っ越してくるような人が私以外にも多くいた。園長先生はカリスマ的な人物で私は苦手だったけれど,信奉者も多かった。それよりも副園長先生である園長先生のご主人が私は好きだった。保育園の飼っている動物の世話を土日には買って出た。すると,その副園長先生が必ずやってきて,一緒に仕事を手伝ってくれて,ありがとね,と夏蜜柑や煎餅をくれたりする。屈強な老人で働き者の象徴のような分厚い手をしていた。私には吠えかかる犬も,その副園長の前では大人しかった。
ほぼ一人出版社,あるいは一人出版社でもいいのだが,ある程度考えておかなくてはならないことがある。それは職業人生の終焉についてである。未来のことなど考えられないところもあるが,本は基本的には永続的に売られるべきものである。もちろん,多くの本の賞味期限は1,2年くらいであろうが,編集者はテーマとして本を永続的なものにする努力をしているものである。当然,著者もそう考えている。「本はずっと残るもの」というセリフを何度も聞いたし,何度か言ったようにも思う。多くの著者もそれは理想だとは思っているが,少なくとも20年くらいは本を売り続けてくれないだろうか,というようなことを考えているような気がする。年齢にもよるだろうけれども。
40歳の編集者に原稿を託すとき,20年保証はまあ,守られるであろうと著者は思うはずだ。しかし,これが60歳の編集者であればどうだろうか。60歳の編集者が営む一人出版社だとしたら。
ということを考えると,40歳をいくらか超えた社長である私の(ほぼ)一人出版社は,今後厳しくなるだろうな,と思った。書いてくれる人は年々減っていくだろう。ゆっくりと衰退をしていくのだ。しかし老後を前に厳しい経済状態になるのは楽しそうな人生ではない。
となると,会社をそれなりの規模に成長させて,会社そのものの信頼性をあげ,同時に事業継承をしやすいような形をつくるか,社内に若いスタッフを入れて次期社長になってもらうかして,未来を保証する必要がある。以前勤めていた会社には創業者の会長がいて,近所に住んでいた私は一緒に帰る機会がよくあったのだけれども,そのときに「会社というものは,始めた以上は停滞はなくて少しでも成長させねばならないのよ」と言っていたことを思い出した。成長と継続。ギラギラ系の考えではあるが,経営の現実でもある。
埼玉のその地では11月に霜が降りた。赤城下ろしという人もいたし,秩父下ろしという人もいたけれど,乾いた冷たい風が吹いた。自転車に子どもを載せていたら,「寒い」と言って泣き出したことがある。保育園の卒園が近づき,私たちは東京に戻る決意を固めた。それなりに会社を大きくする必要が私にはあった。卒園式をめぐって,カリスマ園長の信奉者たちと,そうではない人たちとの間で揉め事が起きたりもした。桃源郷のように見えた里山保育園も,それなりに現実的な場所だったということなのだろう。副園長先生は日焼けをした体には似合わないスーツを着て,卒園をしていく子どもたちに「またおいでよ」と手を振っていた。

その後の話はさほど面白い話ではない。駒形君を正式な社員にして社保と労災を払い,私は営業関係と編集関係の2つの仕事を行った。流通量が増えると一人では手がまわらず,アルバイトを雇った。青梅に倉庫を借りた。事務所の2階上で火事が起きたり(それで本の一部が水浸しになった),けっこう当たった本が出たりした。かなり時間がかかったがトーハンさん,日販さん,大阪屋さん(当時)に取引口座を開いてもらった。昔から知っていた華園さんに正式な社員として営業マンになってもらったら,事務所は手狭になった。中退共に退職金の積み立てをし,コロナを乗り越え,いろいろとあって,事務所を移転した。
出版社の仕事として外注するのは,カバーデザインと印刷製本くらいで,それ以外はほぼ自前でやっている。世の会社は,外注化をドンドンしていると聞くが,どうしてもなじめないでいる。
創業して18年めになる現在,子どもは大学受験の年齢となった。時々保育園時代の同級生と連絡をとっているようで,一人で育ったような顔をしている。会社は,正社員の編集スタッフもいるし,バイトもいて,総計で10人くらいで仕事をしている。本だけではなかなか厳しい時代ではあるので,オンライン講習会などをして売上の補填をしていたりするが,時々,本より儲かるような企画が生まれたりして嬉しいやら悲しいやら。でも,まあ,よい本を企画から作って,その本が売れるのが一番気持ちがいい。
駒形君はいまや編集長である。次期社長はなかなか見つからないが,まあまあの資産価値のある出版社にはなっているようである。

現在盛り上がっているのは,自前で構築した電子書籍販売システムである。

https://shop.tomishobo.com/

もちろん,ランニングコストもかかるし,人件費もかかるので利益率100%というわけにはいかないが,けっこうな率である。構築するのには多少のwebの知識が必要であるが,ECサイトのサービスなどを利用するので,オジサンでもできそうなレベルとなっている。
ご興味ある方は,ご連絡をください。

遠見書房 山内俊介
yamanouchi@tomishobo.com

遠見書房の本の一覧

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