出版を通して、青い鳥を探している
「版元日誌」二回目の登板のお声をかけていただきました。なんと光栄なことか。うちのように零細の中の零細の出版社に依頼してくださり、版元ドットコムには感謝しかありません。うちは一般の出版社とは真逆で、あえて売れる本を目指していないからです。おそらく小社だけでしょう。
実は、出版を通して、数少ないであろう共通の方向を目指している人を探しているのです。それが残りの人生、ぼくの目指す出版への素直な見方かもしれません。若い時は至らず、売れる本、目立つ本を目指して、大手出版社の編集長とデザインの試行錯誤をやっていて、寝る間も惜しんでベストセラーを目指していましたが、経験を積むごとに、これがいかに陳腐な目標なのかを思い知りました。賭け事のようで、ある時とても意味がないように思えてならなくなりました。版元として早5年、前回の日誌で述べましたように、一人出版社を手探りで、母の介護の隙間を狙って日夜努力していますが、編集者の仕事、営業の仕事を全くしたことのないぼくも、時間や実体験を経ることにより変化というものはあって、試行錯誤し、悩みに悩んで軌道修正し、将来に向かっています。
まず、本の実制作販売をAmazon一本に移行いたしました(一部販売は自宅のみの本も)。この工程、教え子から勧められるまで、いや実装してみるまでは、完全にバカにしていましたが、とにかくすばらしい(Appleでアプリを制作販売した時と同じ気持ち)。ここまできたか、という実感です。もちろん本来の工場で専門職の印刷製本といった書籍制作の工程からしたらば、当然ですが自由度は少なく、質も粗悪。しかし現在うちで発刊している書物は、高級写真集でもなく美術本でもない。そういう昭和のクオリティを追求している本は、すでに市場から姿を消しつつあります。この仕事を始めた当時、このような状況になるとは想像できなかったわけで、かつて追いかけた視点でなく全く違った視点から出版というものを見ると、不思議と浮かび上がってくる真意に気づくのです。諸々の造本の葛藤の末、InDesignでページに仕上げたら、指定ファイル形式に落とし、KDP本棚にアップロード、校正本(写真2)を依頼して本の状態で確認後、最速で三日後には市場(マーケットプレイス)に。これは全世界で同時発売という意味で。スイス・バーゼルにいる先生もUS・サンフランシスコにいる友人もアイスランド・レイキャビックにいる知人も購入できるようになるのです!ぼくが求めている本としてのソリューションには十分というか、もってこいなのです。在庫管理などにいちいち気を配ることもなく、もちろん出費もなく。販売データはメール添付の請求書でなく、WEB上で過去の情報すべてといつでも自由に比較確認でき、余計なことをしなくても、手数料の支払いなどはなく、販売収入は自動的に毎月確実にネットバンクに入ってくる。夢のようなシステムです。
実際、市場に出た裸本『ボタニスト』は思ったようには売れませんでした。発刊当初、新聞広告を出しましたがほとんど動きがなかったし、植物学者牧野富太郎ブーム到来も、当の牧野富太郎に関する書籍は好調だったようですが、その礎となる植物学の真髄に関するところまでは読者の思考が向かわなかったのか、在庫温存を1年延ばしたものの作戦は的外れ。自然科学翻訳本トップバッターとしての成果は厳しいものでした。その後、倉庫から全てを撤退し、一部を自宅に保管し、市場には一冊も残さないことにいたしました(まだ時々忘れた頃にちらりほらり返本がある)。そして、手元にある手塩をかけた内容の本に新たに価値をつけました。「一個もの」の特装本として販売しています(写真1)。基本=宣伝はしない. ネットで検索していただき、どうしても当本を手に入れたい方にのみ販売する. 内容とデザインが良質な本、安くしたから売れるとは限らない. 本は数でなく、その本に相応しい人の手元に届くことが一番の幸せと実感できる. たまに多くの方が参加するイベントなどでは店頭にてお披露目してみる. 意外に手に取っていただける.=ことあるごとに、必要とする人に正確な物的紙情報が行き渡ればよいのです。そう、出会いなのです。この本以降、通常の販売ルートは懲り懲り。業界ではAmazonの批判を多々耳にしますが、うちにとっては素晴らしいシステムとしか言いようがありません。とにかく、小口を磨いて新しい肌をみせ、傷んだジャケットを新しいのに着せかえた二度のお勤めではなく、そのままで根本をも生まれ変わらせる。違った命を吹き込み、本当に必要とされる読者に届くように案を練る。それがその本に責任を持った出版社なのです。戻ってきた本を、店頭で他購入者にタダで配布するような、本に愛情のない無様なことはしない。返本というこの業界の恥部の出来事で、その出版社の本への姿勢がわかるのではないでしょうか。
以降、ぼくが関わる出版物はこのような流通にはのせないと決めました。その一冊目、2023年に挑戦したアーミン・ホフマン著『Reduction. Ethics. Didactics.』の日本語版は画期的でした。以前からデザインの流派を理解するための、狭い意味でのぼくにとっての真のデザイン思想や教育を著した本を出版したいと思っていましたが、その機会が早々と到来したのです。しかし、運よく出版できたのも束の間、直後にスイス本国で版権者が代わり、直接交渉の結果半年で絶版となりました。この出来事はいろいろな意味で勉強になりました。今でもこの本の内容はぼくの心臓部で、初心に立ち返り、これからいかにあるべきかを教えてくれます(写真2,3)。
二冊目は、少年の時の記憶と、自分の育て方を記した本とでも言いましょうか、中学生の時に配られた心得の冊子(写真4)の復刻版です。母校獨協学園の校長先生の一言一言をまとめました。読み返してみると、今の私たちの生活にも共通する個人としての存在や生き方の問題が説かれており、デザイン教育以前に、立ち止まってその周辺、いや、あらゆる仕事に対して現代病といえる根源を考えさせられます。今まで大学その他多数の公の場で学生や一般の人に向かい合うとき、わざわざ語ったことがない当たり前のことですが、よく考えてみると、今日「心構え」や「畏敬の念」といったことが大きく欠落しているのではないのか。日常ちょっとでも心当たりがある人はぜひ読んでほしい。このことがうちの出版物の一冊に的確にフィットしているのです。
また、この本に、日本人の「道」について述べられていたことにも驚かされました。35年続けている茶道。実は、先日その先生になったことから、指針となる指南書が欲しい。専門がスイスのグラフィックデザインの元大学教授が、なぜ日本の伝統の茶の湯なのか。それは流派(School)を重んじること。ぼくは「バーゼル派」。ぼくは「表千家流」。そこでの生き方で重んじていること。毎日毎日のちょっとしたことの精進が大切なのであって、作品で有名になったり、賞をとったり、そのようなことを突き進める社会に疑問を感じている。自分を律すること。自分の位置付け。そういうことを知る喜び。そして、場の問題。生まれ故郷のこの地で出版社を始めた理由の一つでもありますが、近所のことについて、江戸時代中期から根岸日暮里に住みついている一族だから思うことを記しています。思えばコロナ禍以降、母と近所を散歩すると土地と時間の重みを感じます。父も祖父も曾祖父も抱一も暁斎も大槻文彦も岡倉天心も木村伊兵衛も、ここいらを歩いていた。などほぼ原稿は上がっていて、さぁ、まもなく、新刊の出版です。
さて、これから、時間がかかっても、やってみたいことが残っています。現在まで関わってきてくれた方たちに一冊づつ執筆をお願いしている、その本の完成を。それと長年思い続けている一冊、幻の書物を完成させたい。さらにもう一つ、ぼくではない新鮮な後継の視点を小社に加えてみたいということ。ぼくが完全に退いた後、次世代のために新しい風を。今から準備しないと。この三柱にとうとう移行する時期が近づいてきたように思います。乞うご期待。
写真:
1.

うちの活版専門家の作品として生まれ変わった『ボタニスト』。手作業による特殊ジャケットを掛けて、プレミアム特装本になった。ひとつとして同じものはない(ナンバーリング付)。
2.

『削ぎ落とすこと. 倫理. 教育.』の校正本。本文と表紙のデータをアップロードすると2日ほどでこの帯印刷付きで送られてくる。修正し、3ページ目の「ペーパーバックの価格設定」を保存終了すると即、市場(マーケットプレイス)に載る。
3.

日本版とヨーロッパ版とアメリカ版のAmazon奥付、興味深いことにそれぞれ本文用紙など若干異なる。すでにこれら他国でも絶版。
4.

『若い人達へ/この道を往く』の獨協学園図書館刊オリジナル、当時8ポ活版刷りの学生向けに無料で配られた小冊子。新しい縦組みフォーマット、コンピュータフォントで大きめに組み直し、現在の言葉遣いにして、読みやすくしてある。他の年代の卒業生たちにも好評。