日本語修正版:プライベートな出版とパブリックな出版
先日、友人たちと趣味の延長というかたちで、東京・谷中の古民家を会場に小さなzineのイベントを行った。「トタンでzineパーティ」という名のささやかな交流イベントだったが、せっかく趣味の延長でのイベントなので、実験的なことをしてみようと考え、10年以上ぶりに自分でzineを制作して出版した。

そもそも、zineという出版形態とその可能性は、商業出版とは異なるものと考えた方がよいだろう。商業出版が版元から読者へ、書店等を通して一方的に届けられる情報の束だとすると、zineは情報の束といっても、切れ端だったり、簡易的な(切り分けたり再度束ねたりしやすい)束であるといえる。だから、その情報の流れは、途中で読者からの会話が挟まれ変容する余地がある。そのため、必ずしも一方通行とはいえない。つまり、その可能性は対話を生み出すツールなのだと捉えて、イベントではまず、対話の場を別途用意することにしたのだが、これがとてもよかった。
一方、自分で作ったzineのほうに関しては、あくまでその場でしか買えない、というルールにした。しかも、ものものしく「SNSで内容を呟かないで!」などの注意書きを入れた。「そこでしか買えない」本は城崎温泉の「本と温泉」シリーズから着想してはいるのだが、内容も拡散しないでほしい、というのは作り手として随分傲慢である、と言われても仕方がない。
ここでしか買えない、というルールを敷くことで当日、たくさん売上を上げることも一つの目的ではあるのだが、なぜ、こういう拡散してほしくない情報をわざわざ出版しようと思ったのか。
その意義についてはまさに限定zineに記しているのでここでは詳しく書かないが、一つ言えることがあるとすれば、それは「プライベートな出版」という行為は可能か? ということである。書くことは、たしかに専門的な知識やユニークな物語、自分しか知らないとっておきのネタを他者へ提供する行為である。それは他者のエンパワーメントに通じる営為であると思う。一方で、日記など、自分自身をケアしたりエンパワーするために、「書くこと」をプライベートに行う人々は多いだろう。ならば、自分自身をケアしたり、エンパワーするための限定的な自己開示、という出版の意義はあるだろうか。そんなことをもやもや考えたイベントであり、限定zineの出版だった。
せいぜい数十人の手に渡った本が、話題になるわけもない。でも実際、出してみてよかったのは、自分自身が少し元気になったことだ。たったそれだけのことだが、それほどまでに自分自身をエンパワーすることができるならば、プライベートな出版とは多くの人が思うより重要かもしれない。
思い出してみてほしい。友人たちとの2泊3日の旅行に合わせて、1週間くらいかけて作った「旅のしおり」の思い出を。人に見せるわけでもなく、家族に見せるわけでもない日記の切れ端を、ある特定の誰かだけに見てもらいたいという衝動を。パブリックな出版の意義がなくなるわけではないし、出版社でもある弊社も商業出版をやめるつもりはないが、その対岸に、また一つの出版の可能性があることを考えることもまた、出版に関わる者の一人としての楽しみである。