三年余の服喪を明ける
エディション・エフはこの9月から10期目に入った。まる9年のあいだに26タイトルを刊行している(振ったISBNの数でカウントしたら26だが、諸事情あって市場に出さなかったものとか版元ドットコムへの登録が済んでいないものとかも、これには含まれる)。一年3タイトル未満というといかにも少ないが、創業以来毎年「何か」をつくっていたのは確かなわけで、生来ぐうたらな自分にしては上出来である(と思うようにしている)。
なぜ出版社をやろうと思ったのか。それは家に猫がいたからである。
2005年の冬に父が他界すると、残ったメンバー3人(母と私と私の娘)はそれぞれが家の中に空隙を感ずるようになるが、なかなか埋まらないその隙間を埋めるには、と一年かかって思いついたのが猫を飼うことであった。ただし思いついたのは私と私の娘であって、母は大反対した。動物嫌いなのだ。しかしここは多数決で強行した。タウン紙に「仔猫あげます」広告を見つけて電話し、その日のうちに引き取りに行った。
到着するやいなや仔猫はわが家の姫様になった。メンバー3人は程度の差はあれど彼女に傅き、競って抱き上げ、遊び相手になった。大反対していた母の変貌ぶりは当時ご近所に噂されたほどである。ある朝隣のおばちゃんが私を呼び止めて言った。「アンタのお母さん、最近猫の話しかしゃはらへん」。かえらしいかえらしい言うから孫か親戚の赤ん坊のことかと聞いてたら猫のことやった、と。
とはいえ猫というのは愛想のない動物である。普段は寝る、食べる、出す、寝る、食べる、出す、の繰り返しのみである。餌を置く場所とトイレの場所は定位置をつくったが、寝る場所は猫が自分で好き勝手に決めていた。とくに昼間は、季節によって、また一日の時刻によって変わる。寝心地のいい場所を、のそのそと、探しながら移動する。見つけたら、どこであろうとそこで寝る。
2007年の夏、変化のない猫の毎日を絵本にしようと思い、手づくり絵本教室へ通って小さな「ひなたぼっこねこ」という絵本を完成させた。何も起こらない一日、ただ寝るためだけに暖かい場所へ移動する毎日。起伏のない猫の一日を描いた絵本だ。猫の絵を描くことやページ割、テキストの組み立てなど中身にも苦労したが、物理的な製本作業が最もエキサイティングであった。本はさまざまなパーツから成り立っており、表紙とか背とか小口とか、あらゆる箇所に名称がある。職業柄(私はライターである)知識はもっていたけれど、製本教室で、手を動かして本をつくるという作業を通して、あらためて本を知ったのだった。
2014年春、それまで10年間勤務していた編集プロダクションを辞め、母を介護しながら在宅で仕事をする生活にシフトした。フリーランスのライターとかアートディレクターとか、なんでも名乗ろうと思えば名乗れたけれども、出版社をつくろうと思ったのは、猫の本、正確には「私の猫の本」をつくりたかったからである。家にいる「私の猫」の本である。世の中にはすでに猫の本が氾濫していた。いかに私が名文を書きカワユイ猫の写真や絵を添えても、まともな出版社の目から見ればそんな企画はもはやありきたりすぎる。自分でもそう思う。だから自分の会社から出す。そうしよう。それがいい。というわけでエディション・エフは2014年9月1日に創業し、創業第一作を翌年7月に出したあと、2015年10月に例の『ひなたぼっこねこ』をメジャーデビューさせたのだった。
『ひなたぼっこねこ』おづちともか作、2015年10月10日刊行
手づくり絵本教室でつくった時から7年経っていたが、猫の生活は変わらない。だから絵本の中身はほぼそのままだが、カバーをつけると商業出版本らしくなった。ひとりで紙を切って貼り合わせて……と作業した手づくり本の時と違って、出版にあたっては写真家やデザイナー、印刷所、製本所の大きな協力を得た。完成した『ひなたぼっこねこ』はいったん流通に載り、店頭に並んだ。返品はあるものの、継続して販売してくれる書店があり、見知らぬ読者を次々に得た。絵本が縁で親しくなった子どもたちもいる。刊行から8年経った今もこうした縁や出会いは生まれ、続いている。広く読まれるように本をつくって売ることの歓びを、『ひなたぼっこねこ』は教えてくれたのだった。
だが、『ひなたぼっこねこ』の主役猫は2020年10月にあの世へ旅立った。病気が発見されてちょうど2か月後、衰弱しきって、私の腕の中で息絶えた。人生で初めてと言っていいほどの大きな悲しみと絶望。猫は猫社長としてエディション・エフのSNSに登場させたりもしていた。そもそもロゴマークも猫がモデルである。会社をやっていく大きな原動力が、猫だった。その猫が、死んだ。
2023年末まで3年余りの期間を喪に服すと決め、ごく近親者のささやかな祝い事以外を、私はいっさい遠ざけた。折しも世界中がCovid-19の災禍に遭い、多くの人々が亡くなっていた。鳥インフルエンザが猛威を振るっているのをご存じだろうか。鳥好きの私には耐えられない現象が地球を襲っていた。逝ってしまった猫に幾度も話しかけた。君がいなくなってから世界中が喪中だよ。
一条の光も見出せない闇にすっかり気力を失い、私は会社を畳むことを自問した。が、そんな時にもエディション・エフから本を出したいと言う著者候補がひとり、ふたりと現れる。そのたび奮い立たされ、勇気づけられた。なんとか立ちあがって歩こうと、出版社を続けようという気力を取り戻した。服喪期間と決めた2023年末はもうすぐそこだ。予定どおり、喪を明けよう。亡き愛猫への思いは強まるばかりだが、だからこそ予定どおり、喪を明けよう。