うんここそあげなきゃ?
どの本だったか忘れたが、哲学者スラヴォイ・ジジェクは「うんここそあげなきゃ」というタイトルのエッセーを書いている。フロイト心理学の「肛門期」を例にとり、人間の表現行為の初期衝動を「うんここそあげなきゃ」と表現したのだ。
「うんこだけどもらってください」ではない。「私がうんこしか作れないのでもらってください」でもない。これはうんこだからこそ、ぜひともあなたにもらって欲しいのだ。他でもない、それが私の体からひり出したうんこだからこそ、あなたにあげたいのだ、そうすればあなたは喜ぶだろうから――だいたいそんな内容だったと思う。ジジェクらしい諧謔に満ちた表現だが、なかなか本質を突いている。『信じるということ (Thinking in Action)』という本に収録されているはずだが、間違っていたらごめんなさい。
私は2001年に作家としてキャリアをスタートしたが、2007年に新潮新人賞を受賞しても本が出なかったことにより、よくわからないなりに自分でも本を出す方法を模索しはじめた。同人誌を文学フリマで売る、直接取引で書店に委託販売してもらう、小説投稿サイトを作る法人を立ち上げる、電子書籍を作成し販売する……そんなこんなでようやく2021年12月に拙著『アウレリャーノがやってくる』をISBN付きの書籍として一般書店に流通させるに至った。発売前増刷もできたし、誰に頼まれるでもなく世に出した書籍が読者を見つけられたわけだ。「うんここそあげなきゃ」の精神が実ったという実感がある。
2022年6月には佐川恭一『シン・サークルクラッシャー麻紀』と斧田小夜『ギークに銃はいらない』の二冊が加わり、計三冊となった。当面の目標としてはこれらの本を一生懸命売っていかねばならないので、まだまだやることは山ほどあるのだが、問題は、両方ともオリジナルの文芸書であり、著者が著名人というわけではないのだ。実力は折り紙付き、内容も胸を張れるのだが、「この先どうしよう」という不安がないではない。
さて、マーケティングの基本に立ちかえると、「うんここそあげなきゃ」つまり「プロダクト・アウト」のやり方はよくないとされている。「マーケット・イン」つまり需要や顧客を先に見つけてから商品を作る方がリスクが少ない。顧客のニーズをつかむことなしに商売は成功しえないのだ。
では、所属する書き手たちの熱意や初期衝動を元に文芸作品を作り上げていく「うんここそあげなきゃ」スタイルの破滅派はどうしたらいいのか? 誰からも求められていないかもしれない書籍を作りまくり、返品の山を築くのか?
いまのところ、これに対する私の答えは「作家自身がニーズを掴むこと」である。ニーズを掴んでいる作家に執筆を依頼するのではない――それだといかにもニーズを掴む作家が書きそうな本ばかり出来上がってしまう。そうではなく、破滅派という文芸コミュニティに所属する書き手にニーズをつかめるようになってもらうのだ。
私自身の出版経験からすると、書籍の初版部数がどのような理屈で決まったのか、そしてそれが実際のところどれぐらい売られたのかはよくわからなかった。この反省点をふまえ、破滅派では、著者に対してすべてのデータを共有するつもりだ。
・印刷代、広告費をはじめとするすべての経費
・取次搬入部数、取り扱い書店、書店ごとの返品率
・書籍の利益、損益分岐点、増刷ラインなどの会計データ
小説投稿サイト破滅派では、投稿作品の閲覧数や電子書籍の売上はすでに共有されている。いままでの実績だと、こうした数値を分析し、その結果を共有することで、書き手たちはさまざまな反応を見せる。「タイトルが扇情的だと閲覧数が上がりやすい」となれば、それを試す書き手があらわれる。「電子書籍の価格を安くしても総売上が上がるほど販売数は増えない」と伝えれば、その通りにする。うまくいく宣伝手法を共有すれば、何も言わなければ混沌が訪れるだけだが、何かを言えば書き手たちは学ぶのだ。
熾烈な可処分時間の取り合いが行われている現代において、しょせん娯楽にすぎない文芸書を買ってもらうのは至難の技だ。しかし、蠱毒の壺さながら、この熾烈な戦いで生き残った書き手の作品は新しい文学の地平を切り開いていってくれるだろう。
ところで、破滅派ではデータ管理用のツールをほぼすべて[GitHub]で公開しています。手取り足取り教えたりはできませんが、開発に興味がある版元で一緒にやってみようかなと考えている方はぜひご連絡ください。