川口さんのこと―感恩報謝
お世話になります。東方出版の楠川と申します。
版元ドットコムの版元日誌をお受けして、締切日に間に合うようにと書き進めておりましたけれど、内容を変更したいと思います。
2022年2月19日(土)に版元ドットコム会友でもある川口正さんが急逝されました。
あまりのことに言葉を失い、涙がとめどなく流れていきました。
誠に僭越ではございますが、川口さんについて書かせていただきます。途中関西弁の方言のところは、カッコの中に標準語を入れます。読みにくい箇所があるかと思いますが、ご容赦願います。
川口さんといえば、関西出版業界の重鎮であり、関西に来られる方はまず川口さんにお会いしたら良いと言われていると聞いたことがありました。
川口さんを初めてお見かけしたのは、前の会社(取次会社・柳原書店)に、新刊書籍をお持ちになって来社された時でした。すごくええ(良い)声で話されるので、気になっていました。川口さんが帰られた後、直属の上司で我が師・清水部長(1999年逝去)から、「川口は友達でな(で)、おもろいやっちゃねん(面白い奴です)。」と話されたことを今でも覚えています。清水部長と今の会社(東方出版)の稲川社長も友達で、稲川と川口さんも友達なので、川口さんのことは何となく一方的に親しみを感じていました。
東方出版に入社して営業部に配属になりしばらくして、稲川に誘われて、主に関西で活動する出版業界の有志が集まる会・勁版会(けいはんかい)の一員になってからは、ますます川口さんとのお付き合いが濃くなっていきました。川口さんは勁版会発足当初からのメンバーです。
毎月初めに「関西トピックス」をメール送信してくださり、この案内は、川口さんが参加しようと思っているイベントを載せているんだと聞いていましたので、毎月のように出版に関する勉強会に参加されている川口さんには尊敬の念に堪えません。
川口さんは厳しくもありましたがとても優しい方でした。「あんさん、これ読んどき(これを読んだら良いよ)。」と「出版流通機構の変遷」の研究稿のコピーを手渡されました。業界の大先輩として、私にとって勉強になるようなことを色々教えてくださいました。川口さんから私は、「あんさん」とよく言われたなと思い出し、「あんた」の丁寧語だと勝手に思い込んでいましたが、気になって調べたら、「若い男を親しみ敬って呼ぶ語。」らしい。どういうことやねん(ですか)(笑)。
勁版会はほぼ毎回出席していましたので、川口さんとは勁版会だけでも2000年~2019年まで240回とはいかなくてもそれぐらい近くお会いしていると思います。私にとっては、社外の方では断トツにお会いしていたと思います。今はコロナで勁版会は休会していますので、2年ほどお会いできずにいました。
昨年11月に川口さんが稲川に、私に渡しておいてくれと、『本と本屋とわたしの話18』をお贈りくださいました。結果的にこれが川口さんの最後の寄稿文となりました。「蒐書・散本、そして残る本」がタイトルです。感想を送るとそれの返信で、「勁版会、ボチボチ(そろそろ)再起動してもいい頃合いじゃないんでしょうか?」と言われたのに、オミクロン株が流行り出してしまったため、進行幹事と相談して休会続行を決めました。休会明けにまた会おうとおっしゃっていましたので、再会できるものと思っていただけに、相当ショックを受けました。
大阪から兵庫へ移転された新刊書籍と古書と雑貨を商われている書店様が春頃再オープンされる予定なので、その頃以降に少数人数でお伺いしようと思っていて、川口さんにお声がけしようと思っていました。「勁版会が先なんちゃうのん(先なのではないですか)?」ってお叱りを受けるかもと思いながら、コロナの感染者数が落ち着いてきたら連絡するつもりでした。
本当に後悔しています。
川口さんがその場にいるだけで賑やかになりました。例会の後の懇親会などで、笑いながら「ワシ、知らんがな(知りません)~!」とか「楠川~!!」とか大声で叫ばれる在りし日の風景が川口さんの声とともにはっきりと目に浮かびます。
さらに思い出されるのは、例会や会合の帰りに、みんなと一緒に笑いあった電車の中の光景です。合宿も面白かったし、面白かったことしか思い出せません。
川口さんが書かれた『本と人を糧に』(編集工房ノア刊)を読み直そうと思います。(2002年6月29日の出版記念会のことを思い出しました。その会場で受付業務をしていました。)
ご生前のご厚情に深く感謝するとともに、心よりご冥福をお祈り申し上げます。