職住接近から職住循環へ
センジュ出版を立ち上げてから6年が経った。
この出版社が生まれることになった大きな要因の一つに、「職住接近」がある。
未曾有の地震が起こったことで家族のもとにすぐに駆けつけられる場所で働きたいと感じたこと、
そして息子が生まれて、できる限り子どもと過ごしたいと願ったこと。
加えて、できる限り仕事をしたいと考えたこと。
すべてを諦めないとしたら、自分にとっては仕事場を自宅に近づけることの優先順位が高くなった。
2015年。センジュ出版が生まれ、物理的に「職住」は近づいた。
自宅から自転車を飛ばして信号が青ならば、5分程度で会社に着く。
子どもが熱を出しても、忘れ物をしても、すぐに行き来できる距離。
台風が来ても交通麻痺に悩まされることなく淡々と仕事を進められ、黙々と家事をこなすことができる。
なんて快適な。
はずだった。
甘かった。
なぜならば本当の意味での職住接近が、わたしには当時理解できていなかったから。
物理的に近づいたところで、頭はまだまだ仕事脳。
帰ってから何度もため息をついた。
早く食べ終わらない息子、わたしと遊びたがる息子に、
いい加減仕事させてよ、とイライラが募ることもしばしばだった。
センジュ出版が立ち上がって数年のわたしは職住接近のうわべだけをなぞり続け、ずっとずっと時間に追われていたように思う。
この頃、「忙しそうだね」と言われたところで、強がるでもなく答えていた言葉はいつも、「いや、全然」。
なぜなら、実際自分にとってはかなりの時間を、子どもに「奪われ」ていると考えていたから。
仕事がまったくできていない、子どもに絵を描くことをせがまれたり、探険ごっこするように促されたりしている時間の、どこが忙しいのか。
なので、以前よりずっと暇になったはずだというのに、気持ちはいつも落ち着かない。
結果、少しずつため息が増え、何のために職住を接近させたのか見失いかけ、
この会社のモットーである「しずけさ」と「ユーモア」が、遠のいた。
「職住接近」が意味していたものを本質的に自分が理解するようになった一つのきっかけに、
2020年から世界に拡がった感染症の存在がある。
これほどまでに「家族」で、「家」で、過ごしてください、のメッセージを連日耳にするようになって初めて、「職住接近」が自分にとって本当の意味で現実のものとなっていった。
さらには接近どころではなく「一致」することになり、おかげでこの数ヶ月は、自宅のそばに会社を作ったあの頃の感情を一つひとつ思い出した。
そして、ずっと自分に欠けていたものにも、気づくことになった。
職住は、はたらくこととくらすことは、別々のものではなくつながり合う一つの流れのこと。
仕事から派生する大切な人達のため、そして大切な家族のためにも、今ここを自分の生が担う、ということ。
センジュ出版が作る本、手がけるサービス、提供する場、そのいずれも、はたらくこととくらすこと、どちらも同じように考えるところから始めるべきだった。
自宅で仕事するようになり、仕事場の環境を整える意味でも模様替えし、掃除し、不用品を手放すなど自宅に手入れをしていくうちに、家の手入れもまた、はたを楽にする、はたらきだと改めて感じた。
同時に、いつしか自分がお金を生むことと生まないことに明確な線引きをしてしまっていたことを、とんでもなく恥ずかしく思えた。
「できる限り家族と過ごし、できる限り仕事をしたい」
センジュ出版を立ち上げたときの自分は、それぞれの自分を別人のように切り分けて考えていたけれど、そうではない。
職住を大切にしたいのであれば、それぞれの時間を人生の中に確保することを、自らに定めなければいけない。
今では会社の分室のようになった自宅でスタッフと打ち合わせすることも、編集作業することも、少なくない。
そして同時に、季節の台所仕事を楽しめたり、突然の来客に慌てずにいられる程度には家を片付けられたり、息子の「遊ぼう」にイライラしたりも減り(時にはざわつく)、気持ちは以前に比べずっと落ち着くようになった。
会社のための仕事、家族のための仕事、それぞれのはたらきがあって「くらす」自分も生きてくる。
一つとなったことを実感してはじめて、それぞれが「循環」する。
接近から一致になって、循環するまでに6年。
これは早かったのか、遅かったのか。
けれど、かつての自分がそうであったように、この循環を必要としている人たちにも、
センジュ出版が小さな後押しをできるよう、
これからはこの循環を、ほがらかに楽しめる出版社であろうと思う。
自分にとってどんな循環を心地よく感じるか、そのヒントを知りたい方はぜひ、
センジュ出版の本を読んでみてください。
本の中に、それぞれの著者が担う生がそれぞれの循環を記してくれています。