言葉の持つ力を信じて
書肆侃侃房は出版社として動き始めて、19年になる。少しずつ、出版点数も増え、書店に本を置いてもらえるようにもなってきた。今では、文芸、とくに短歌に強いと言われているようだ。
ところで、出版したいと思う本との出会いは、いつでも突然やってくる。歌集『前線』
もそんな一冊だ。歌人の犬養楓さんから、問い合わせをいただいたのは2020年12月7日、まさに新型コロナウイルス禍の第3波が猛威をふるい始めた頃だった。救急救命専門医として「今まさに第3波で悲鳴を上げる医療機関の内なる声や現実を集めた最新の短歌連作を紙の歌集として出版できないか」という依頼だった。「メディアでは語られない医療従事者の声を、直接的には言いにくいその思いを、短歌という形式に載せて、世間に届けたいという気持ちと、また第1波、第2波と幾度となく困難に直面してきた医療従事者の忘れてはいけない過酷な体験(診療だけでなく、世間の風当たりなども含めて)の記録として、なんとしても社会に届けたいと思っています」という言葉に心を打たれすぐに、出版しましょうと返事した。年末年始も医療現場にいながら、何度も何度も推敲を重ね、「もうこれ以上いい歌は出て来ません」というところまで、頑張ってくれた。そして、緊急事態宣言が解かれる予定だった2021年2月7日を発行日とした。『前線』というタイトルは過去にも歌集はあるが、この歌集の前線とは意味が違う。まさに医療の前線にいるのだと実感できる歌集である。
咽頭をぐいと拭った綿棒に百万人の死の炎(ほむら)見ゆ
表紙カバーも、遠く窓ガラスのそこだけ赤々と灯をともした病院の情景である。まさにこの歌のように、百万人の炎が燃えるような、暗闇の中に明るく灯った命の火のような、そしてその炎のような灯をただ、遠くから眺めるしかない人々の心の叫びが聞こえてくるような……。
歌集を買ってくださった看護師の方から「泣きました。表紙を見ただけで涙がこぼれてこぼれて……コロナ禍、外で禍を起こしている人がいる中で、急流を浴びる石のように頑張ってくださっているナースやドクターの方々と同じフロアにいるような気がして、思わずありがたくて手を合わせています」と。そして「何より、この状況から逃げない強い意思によって詠まれた医者の短歌に深く心をえぐられました」という歌人の方からも。
「言葉」の持つ力を信じたい、多くの人、医療従事者や患者のどちらにも届けられる、応援歌になりますよう、そんな思いを込めた。新型コロナウイルス禍第4波の緊急事態宣言が解かれる中、重版が出来る。