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琉日戦争一六〇九
島津氏の琉球侵攻
- 初版年月日
- 2009年12月
- 書店発売日
- 2009年12月5日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2010年3月3日
書評掲載情報
2010-02-07 | 毎日新聞 |
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紹介
最新の歴史研究の成果で「島津軍の琉球侵攻」を、琉球王国、日本、そして海域アジアを巡るダイナミックなスケールで描き出す。
独立王国・琉球を狙う「九州の覇者」、薩摩島津氏。そしてアジア征服の野望を抱く豊臣秀吉、対明講和をもくろむ徳川家康。ヤマトの強大な力が琉球に迫る。これに立ち向かう尚寧王と反骨の士・謝名親方。海域アジア空前の「交易ブーム」の中、うごめく海商・禅僧・華人たちが情報戦(インテリジェンス)に絡み合う。『目からのウロコの琉球・沖縄史』『誰も見たことのない琉球』で大注目の若き琉球歴史研究家、満を持しての書き下ろし!
目次
第一章 独立国家、琉球王国 ~プロローグ・琉球の章~
(1)南方の海洋王国
(2)嘉靖の大倭寇
(3)衰退する中継貿易
第二章 九州の覇者・島津氏と琉球 ~プロローグ・島津の章~
(1)戦国大名・島津氏への道
(2)あや船一件
(3)九州の覇者・島津氏
第三章 豊臣秀吉のアジア征服戦争
(1)秀吉のアジア征服への野望
(2)琉球使節、聚楽第へ
(3)琉球発インテリジェンス、明を動かす
(4)王府内部の確執
(5)「鬼石曼子」と泗川の戦い
第四章 徳川政権の成立と対明交渉
(1)朝鮮からの撤退と琉球・島津氏
(2)日明講和交渉と聘礼問題
(3)戦争回避、最後のチャンス
第五章 島津軍、琉球へ侵攻
(1)奄美大島制圧
(2)徳之島での奮戦
(3)今帰仁グスク陥落
(4)つかの間の勝利
(5)首里城明け渡し
第六章 国敗れて
(1)尚寧王、徳川将軍に謁見
(2)掟十五カ条
(3)「日本の代なり迷惑」
第七章 「黄金の箍(たが)」を次代へ ~エピローグ~
前書きなど
「はじめに」~より
一六〇九年(万暦三七、慶長一四)、薩摩島津軍が琉球王国に侵攻した。首里城を包囲された琉球国王尚寧は降伏し、わずかな家臣とともに日本の江戸へ連行された。尚寧は二年後には帰国するが、以降、琉球は日本の幕藩制国家のもとに組み込まれ、さまざまな政治的規制を受けることになる。
この島津軍による征服は琉球の歴史にとって一大事件であった。一五世紀初頭に沖縄島に統一政権を成立させ、海域アジア世界における交易活動によって繁栄した独立国家としての時代が大きく変わることになったのである。
琉球は一四世紀後半から中国(明)の朝貢・冊封体制下にあったが、島津軍の征服以降、日本の強い政治的影響のもとに、いわゆる「日中両属」の立場を生きていかざるをえなくなり、やがて一八七九年(明治一二)の琉球処分で日本の近代国家に併合され王国は滅亡、「沖縄県」として今日の体制につながっていく。
誤解を恐れず言えば、近世から近代、そして現代にいたるウチナー(沖縄)とヤマト(日本本土)がたどってきた歴史的関係の「原点」ともいえる事件がこの一六〇九年の島津軍の琉球侵攻とも言えなくはないのであり、おそらく、場合によっては薩摩藩の侵略と圧政、近代の沖縄差別から沖縄戦、戦後の米軍基地問題の「源流」をここに見出す者もいるであろう。確かに、そうした面はなくはない。
だが私は、ただちにこの一六〇九年の事件を「告発」し、「薩摩」やヤマトを糾弾することはしない。歴史は歴史的事実としてひとまずは冷静に検討されるべきであり、なるべくその時代の「現場」に立って歴史像を描く必要があると考えるからである(現代に生きる私にとって完全にそれを実現させることは無理であるとしても)。このような基礎的な作業のうえに立ってこそ、その歴史的意義を明らかにできるのではないだろうか。
島津軍侵攻事件についての大方のイメージは、おそらく次のようなものだろう。
《貿易の利権を狙う強藩・薩摩島津氏は一六〇九年に琉球王国を侵略した。一六世紀の尚真王の時代に武器を捨てた琉球は、わずか三〇〇〇の島津軍の攻撃に対してほとんど抵抗らしい抵抗もできず、早々に降伏して首里城を明け渡した。ごく一部では抗戦する動きもあったが、島津軍の強力な鉄砲隊の前に、クワやカマを持った琉球の人々たちは「棒の先から火が出た!」と初めて見る火縄銃に驚き敗走した》
このようなイメージは、ある部分においては史料の記述を若干反映しているものの、事件の全体像を忠実に描いたものとはいえない。実は島津軍侵攻についての研究は、事件の背景や歴史的意義などは詳しく分析されてきたが、事件それ自体の経過については意外なほど解明されていないのが実情である。「イメージ先行」のうえにさまざまな史料がバラバラに叙述されていて、これらを統一して事件の実態を分析したものが少ないのである。
例えば紙屋敦之「薩摩の琉球侵入」(琉球新報社編『新琉球史・近世編(上)』琉球新報社、一九八九)が事件の経過をまとめており、拙稿「島津軍侵攻と琉球の対応」(『新沖縄県史 近世編』沖縄県教育委員会、二〇〇五)でも両軍の軍事的対応を簡単に紹介した。最近では上原兼善『島津氏の琉球侵略』(榕樹書林、二〇〇九)が刊行されたばかりだ。
ここ二、三〇年の間に琉球史研究は格段に進展しており、またこれまでほとんど取り上げられていない史料もあるので、それらをもとに事件を再検討し、全体像をあぶり出す作業が求められよう。
さらに、これまでの研究でも明らかにされているように、侵攻事件は単に琉球・薩摩二者間の問題だったのではなく、背景には日本の幕藩制国家と当時の中国・明を中心とした東アジアの国際情勢が深く関わっていた。本書は事件そのものの詳細な検討にくわえ、事件前後の状況を海域アジア世界の広い視野からとらえていこうと思う。また事件に立ち会った当時の人物たちにもスポットを当て、琉球・薩摩それぞれの立場から真相を浮きぼりにしたい。
上記内容は本書刊行時のものです。