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負けるな! 在日ビルマ人
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2008年8月
- 書店発売日
- 2008年8月22日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2015年8月22日
紹介
激動するビルマ情勢、祖国を離れて民主化運動に力を尽くすビルマの人々、難民申請を認めようとしない日本のかたくなな姿勢・・・。シュエバおじさんの軽妙な語り口から、ビルマをめぐるさまざまな動きが見えてくる。
目次
主要目次
第1章 時はめぐり、また水祭りがきて
「日本」に向かうまなざし/おもしろうてやがてかなしき祭りかな/マイケル、結婚おめでとう!/豪放磊落で行こうぜ
第2章 シュエバ、旅に出る
往きも帰りもビルマをまたぐ/チェンマイの光と影
第3章 弟は帰れば捕まります
そりゃビルマ語は上手になるさ/美しくあれ、チンの山並み/カチン人 ~人権と民主主義を獲得するために~/ タテバヤシから新しい一歩を
第4章 シュエバ、たまには勉強をする
詩や文学はエネルギーの源/高見順を知っていますか?/名古屋とビルマ
第5章 シュエバ、夜明けを待つ
「習い性」となっていませんか?/白いシャツで街へ出よう/この国に生きる ~ビルマ人たちは今~
エピローグ(がんばれミンコウナインたち/サイクロン・ナルギスが残したもの
前書きなど
はじめに ~シュエバはそも何者ぞ~
シュエバとは多分人の名前だろうが、いったいどこの人でなにをする人物なのだろうと首をかしげられるかも知れない。シュエバは日本人である私の別名でありビルマ語の名前である。シュエバを名乗ってビルマ人とつきあうようになってすでに四〇年以上になる。一九六六年に大阪外国語大学ビルマ語学科を卒業してNHKに就職し、短波によるラジオ国際放送のビルマ向けビルマ語番組の制作を担当するようになってすぐに職場の同僚であるビルマ人たちがつけてくれた名前である。
はじめはこの名前の重さをまったく知らなかった。ビルマ語番組制作の現場にいて、ビルマの人びととつきあいながらこの名前がいかにすごいものかということを身にしみて知るようになった。ビルマの伝説的な映画俳優の名前なのである。ビルマ人ならば誰でもシュエバを知っている。シュエバは一九五〇~六〇年代に活躍した活劇スターであった。彼が映画で演ずる役どころは決まっていた。時代劇であれ、現代劇であれつねに貧しい人たち、虐げられた人たちの側に身をおき、その人たちのために悪しき支配者や権力者にたたかいを挑むのである。
シュエバはスーパーマンではない。二枚目でもない。身に寸鉄を帯びてもいない。徒手空拳で権力や悪に立ち向かうのである。はじめは負けに負ける。殴られる。いじめられる。しかしシュエバはあきらめない。粘り強くたたかい抜いて最後には勝利をおさめる。筋としては単純な勧善懲悪ものではあるがこれが庶民にうけた。シュエバは時代のヒーローとなった。
今はもうシュエバの時代ではない。しかし逸話はいくつも残っており、シュエバの名は人びとの記憶に残っている。
逸話のひとつを紹介しよう。
‥‥映画がはじまってからシュエバはずっといじめられる。悪戦苦闘がつづく。血の気の多い観客は我慢できない。「おい、シュエバをいじめるな」と叫んでスクリーンにものを投げる。石を投げる人もいる。騒然とした場内に館内アナウンスが流れる。「みなさん、お静まりください。シュエバは最後には勝ちます。しばらくご辛抱ください」‥‥
ビルマの人たちとつきあい、ビルマ語がそこそこしゃべれるようなり、ビルマの事情をだんだんわかってくるにつれて、シュエバの名前の重さをより感じるようになった。それはまた、シュエバというビルマの人にとっては耳慣れたビルマ名をもつ日本人であるがゆえにビルマの人たちが私に心を開き、力になってもらえるのではと期待してくれた結果でもあった。多分、最初に命名してくれたビルマ人は冗談半分につけてくれたのだろうが、名前は一人歩きをはじめ、私を引っ張りはじめたのである。
日本にビルマの人たちがたくさんやってくるようになったのは一九八八年の民主化闘争後である。軍事政権の弾圧を逃れてきた人、自由を求めてやってきた人、勉学や仕事を求めてやってきた人と、さまざまである。共通しているのは母国ビルマを平和で、自由な、人権の保障された国にしたいというおもいである。
私は一人の人間として彼ら、彼女らのおもいに共感を持つようになった。できるだけビルマの人たちの希望の実現に協力したいとおもっている。
ビルマの人たちは日本でさまざまな困難に直面している。難民認定申請、在留特別許可の取得、職場でのさまざまなトラブル、医療や教育の問題‥‥。こうしたことについては日本人の協力・支援がどうしても必要である。貧しい人、困っている人の味方であるはずのシュエバとしては当然手伝わなければなるまい。タナベさんを知らなくとも、シュエバに頼ってくるビルマ人は目白押しの状態である。
シュエバとしてビルマ人に親しまれながら、シュエバとして彼ら、彼女らを手伝う一方で、ビルマのこと、在日ビルマ人が直面している状況について日本の人たちにもっと知ってほしいという気持ちから私はものを書くようにもなった。シュエバという名前で書いたほうがぴったりすることもあった。今は休刊している雑誌『恋するアジア』に書いたもの、ビルマ情報ネットワークのサイトに掲載してもらったもの、私自身メンバーの一人であるビルマ市民フォーラムのホームページや機関誌『アリンヤウン』に掲載されたものがこの本に集められている。
そのほかに、非常勤講師として担当している中央大学経済学部の「人権論」、恵泉女学園大学の「現代国際事情」の授業のために書いたものもある。だから人称がシュエバであったり、私であったり、ぼくであったりとさまざまであり、読みづらいかも知れないがお許しいただきたい。全編を通して、ビルマ人たちの喜怒哀楽に充ちた生き様を読み取ってほしい。同時にシュエバであり、田辺寿夫である筆者のおもいをくみとっていただければ幸いである。
シュエバ・田辺寿夫
二〇〇八年七月
版元から一言
シュエバおじさんの軽妙な語り口から、ビルマをめぐるさまざまな現実が見えてくる。現実は厳しくとも、あくまでも明るく、明日への希望があふれだす。
上記内容は本書刊行時のものです。