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出版者情報
哲学するレストラトゥール
自給自足の有機農業で実践する「贈与への責務と返礼」
- 初版年月日
- 2017年5月
- 書店発売日
- 2017年5月18日
- 登録日
- 2017年2月14日
- 最終更新日
- 2017年5月23日
書評掲載情報
2017-11-05 |
神戸新聞
朝刊 評者: 中川伸一氏 |
2017-08-23 |
あまから手帖
9月号 評者: 江 弘毅氏(著述家・編集者) |
2017-07-12 |
農業共済新聞
2017年7月12日 評者: 橘真 |
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紹介
神戸の名ソムリエが淡路島に移住して実践する、有機農業による自給自足。
オルタナティヴな営みの実践を通して導く、ラディカルな手づくりの哲学と思想のカタチ。
かつての神戸を代表する伝説的なフランス料理の名門として一時代を画した[レストラン・ジャン・ムーラン]のソムリエを経て、闊達でフレンドリーな店として人気を博したワインバー「ジャック・メイヨール」の店主であった著者の橘 真さんは、その後、フランス・イタリアのワインや野菜の生産地を視察研修の後、ワインの輸入卸業務店を経て、2009年に淡路島に移住。自らの思考と哲学を実践すべく、有機野菜の栽培、平飼いの養鶏による飼料の自給、罠と銃による狩猟などを行いつつ、淡路島内外のレストランに野菜などの直接販売を手掛けており、将来的には葡萄の自家栽培による有機ワインの醸造を目指しています。
都市的生活から一転、地方の中山間地に移り住み、「有機農業による自給自足」という、等価交換的価値観が蔓延する現代日本におけるオルタナティヴを選択し、自らの農業を「自然からの贈与に対する責務と返礼」と考えるその暮らしのカタチには、これから縮小していくのが既定路線であるこの国で生きるための知恵が隠されているように思います。
農業に興味を持ち地方へと移住する若者が増えつつある今、現代の日本社会の歪み、農業や地方が抱える問題と向き合いながら、農業や私たちの食、共同体、自我と隣人、人間存在や生きていくことの本質を、レヴィ=ストロースや網野善彦、オルテガなどの古今東西の知の巨人の思想にも言及しつつ、掘り下げて述懐します。
無償の贈与に対する責務の返礼を負ったレストラトゥール(レストランの職人)としての矜持を胸に、1人の農業家が自らの実践を通して導く、ラディカルな手づくりの哲学と思想がここにあります。
内田樹先生(思想家・武道家)のご推薦文より
「僕が「行きつけのバー」というようなものにお店の人とおしゃべりをするためだけに足繁く通ったのは、
後にも先にも橘さんのお店だけである。それくらいに橘さんの話は面白かった」
「橘さんはいったいどんな文章を書いてきたのだろうとわくわくして頁をめくった。
そして、何頁か読んで、うれしくなってきた。バーのカウンター越しにおしゃべりしていたときの口調と同じなのである」
「その文体は、その語り口と同じように、自由である。そのときに頭に浮かんだアイディアの尻尾をどこまでも追いかける。
捕虫網を持った少年が真っ黒な足を激しく動かしながら、田んぼを突っ切り、小川を飛び越え、森の中を走り回っているのと同じである。
ここに記されているのは、その「足跡」である」
目次
淡路島で実践する自給自足の有機農業のカタチ
(レストラトゥールの本質は「無条件で無防備な贈与」/自然の「永遠の循環」の中に農も食も暮らしもある/
「大地との有機的な繋がり」を回復する試み/「自然からの恵み」を交換し贈与することで返礼する/
等身大の自然養鶏、自給作目の環の中の養鶏/「境界の往来」を担う「現代の公界者」として/
失われていく、我々に共有されていた「大文字の物語」)
「レストラトゥール」って何だ?
まったく非文脈的に、個人的に召喚された「あの日」
農業に関心のある若い世代の人たちが増えているのはなぜか?
都市生活者の、地方への移住
有機野菜をめぐる、「陳列棚からはみ出している」ものについて
境界線とこちら側(1)農業で「自給自足」する
境界線とこちら側(2)鶏を飼う
境界線とこちら側(3)変わりゆく、レストランのカタチ
現代の狩猟をめぐる試論(1)
現代の狩猟をめぐる試論(2)「料理人」は「世界」を秩序づける
現代の狩猟をめぐる試論(3)「自然の贈与」に対する「責務」
給仕人とは、生と死の結界を出入りするシャーマンである
一杯のうどんをめぐる、二人の「美味しいの差」について
淡路の玉葱とおじいちゃんの「時間」
暮らしの中で失われていく「匂いに対する感受性」
墓と死者
これからの未来を担う若者たちへ贈られる「魔法のシチュー」
軽トラのフロントガラス越しに眺める、次世代の風景
内田樹氏(思想家・武道家)
「橘さんのこと~捕虫網を持った少年が走り回る足跡のように」
前書きなど
●本文より
僕の農業は、「レストラトゥール」としての「責務」と「返礼」がおそらく根底にある。
「レストラトゥール」の本質が無条件で無防備な「贈与」であるとするならば、おそらくそれは僕の中では「港の入口にある灯台」のような形態をとっているのでしょう。
農業における「生産」とは「自然からの贈与」を意味している。農業について考えるとき、労働は農産物を生産するためではなく「贈与の返礼」の形をとらなければならない。
「贈与され贈与するというネットワーク」、それは「純粋な消費者」というものには構造的にリンクできない、自然への「畏怖」や「礼節」である。
農業にかかわる喜び、それは循環する円環の「連続性」のことであり、「連続性」とは我々の、口承伝達的な「大文字の物語」のことである。連続性を失った産業としての農業は、「物語」として機能しない。
我々の食べているほとんど全てのものは、植物や動物に形を変えた、「聖なるもの」である。
それは、象徴としての自然からの「贈与」である。
我々の「生」には、それらすべてに対するビハインドが深く刻印されている。
我らは「責務」を負っているのである。
現代の都市生活は、都市の「生活様式」を整える代償に、かつてあった生活の中の「匂い」の奥行きを失ってしまった。そしてそれと同時に我々は、「匂いに対する感受性」をも、必然的に手放すことになる。
それは生活に密着していた、「色彩の豊かさ」や「音色の豊かさ」が、日々の暮らしから失われていく過程に思える。
暮らしの中で失われていく「匂い」というようなものへの鈍感さ、それは象徴的に、「大きなもの」へ対する感覚の喪失と重なっているように感じられる。
版元から一言
神戸の名ソムリエ、人気のワインバーのオーナーであった著者が、都市的生活を捨てて、淡路島の中山間部へ移住しての有機農業による自給自足という現代社会におけるオルタナティヴな暮らしを選択。その実践を通して、日本の地方や農業が抱える問題と向かい合い、人間が生きることの本質を突き詰めて思考した、ラディカルな手づくりの哲学の書です。ここには縮小していくのが必然な日本のこれからを生きる知恵と希望が隠されています。
上記内容は本書刊行時のものです。