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錦帯橋 宮田伊津美(著) - ロゼッタストーン
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錦帯橋 (キンタイキョウ) ヒマラヤ山麓で発生した技術が岩国で奇跡の結実 (ヒマラヤサンロクデハッセイシタギジュツガイワクニデキセキノケツジツ)

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A5判
縦210mm 横148mm 厚さ13mm
重さ 406g
272ページ
並製
価格 3,500円+税
ISBN
978-4-947767-26-4   COPY
ISBN 13
9784947767264   COPY
ISBN 10h
4-947767-26-X   COPY
ISBN 10
494776726X   COPY
出版者記号
947767   COPY
Cコード
C0021  
0:一般 0:単行本 21:日本歴史
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2022年11月15日
書店発売日
登録日
2022年11月27日
最終更新日
2023年1月5日
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紹介

元岩国徴古館館長が、40年間の研究成果をまとめた本。地元研究者ならではの新しい視点で、錦帯橋の価値を問い直した渾身の1冊です。ヒマラヤ山麓で発生した技術が、いかにして、「錦帯橋」という橋となって結実したのか? そこには奇跡的な出会いがありました。
現在の再建した橋の「橋梁技術」で世界文化遺産を目指すのは難しい。でも、技術の伝播と結実の奇跡的な例であることに注目すれば、世界文化遺産の可能性も出てくるのではないか、と著者は提案します。また、著者は、先人達が水流を調整していたことを示す史料を新発見。錦帯橋が長年洪水で流されなかった謎を解明します。篤姫が錦帯橋を渡ったときのエピソードなど、橋や歴史の専門家でなくても楽しめるような要素も盛り込まれています。

目次

Ⅰ 中国の端(渡河手段)
Ⅱ 朝鮮の橋
Ⅲ 日本の橋
  1 橋のおこり
  2 臂木橋
  3 船橋
  4 吉川広家の岩国入封と城下町造営
  5 岩国の橋
  6 錦帯橋
  7 錦帯橋を題材とした作品
  8 錦帯橋の価値と調査

前書きなど

錦帯橋は岩国三代藩主吉川広嘉の指導下に、延宝元(1673)年に創建された木造アーチ橋として知られている。しかし、その技術はどこからもたらされて、どうして岩国で錦帯橋という形で結実したのか、等々不明な点が多く、明確な言い伝えもない。
近年よくいわれているのは、江戸参府の時に見た甲斐の猿橋(臂木橋)にヒントを得て考案したのではないか、という説である。これは岩国徴古館学芸員(のち館長)であった故・桂芳樹氏が最初に唱えたものである。それ以前に語り伝えられてきたのは「かき餅説」であった。
吉川広嘉がかき餅を焼いていて、反り返ったところを箸で押さえたところ、跳ね返す力が大きかった。これをヒントに跳ね橋を考案した、というものであった。今ではこの説を信ずる者は勿論、唱える者もいない。
また、錦帯橋の構想は僧独立がもたらした『西湖志』に載っていた西湖の蘇公堤を見て広嘉が思いついたとされているが、これも故・桂芳樹氏が吉川家に伝来する『西湖志』の写本に付けられた独立自筆の序文の中から発見したことである。現在では、誰もが当然のこととして猿橋と西湖の蘇公堤のことを記している。
猿橋の技術はチベット、或いはインドのカシミールのスリナガルあたりで発明されたものといわれているが、これがどのように錦帯橋へつながっていったのか探ってみたい。
また、錦帯橋が架設されるまでの横山・岩国川(錦川)の様子は史資料の制約からよくわからない点が多いが、これらについても考察したい。
今、「錦帯橋を世界文化遺産に」という運動が展開されているが、後述のように、戦後の再建時に橋台を平行にしたことにより、技術の質が平易化し、江戸時代からの伝統が途絶えてしまったので、橋梁技術で世界文化遺産をめざすことは難しいと思われる。むしろ、技術の伝播と結実の奇跡的な例として錦帯橋を見ると、世界文化遺産の可能性が出てくると、私は思う。

版元から一言

「錦帯橋」というと、なんとなく、昔の大工さんたちのすごい技術の結晶…というような印象しかなかったのだが、宮田氏は、錦帯橋のルーツがどこにあるのか、中国にまで何度も足を運び、技術の伝播を追っていく。その結果、ヒマラヤ山麓で発明された臂木橋(ひじきばし)と、青州(いまの山東省)で生れた虹橋(こうきょう)の技術が、岩国で融合して「錦帯橋」という新しい橋を生み出したことに気付く。

また、宮田氏は、偶然発見したメモのような文書から、橋台を洪水から守るために、昔の人々が水流をコントロールしていたという新事実も発見している。

私が個人的に気に入っているのは、吉川広嘉が錦帯橋を思いつくきっかけになったという「西湖の図」と、実際の西湖の写真が並べてあるページ。実際の写真の橋は錦帯橋とはかけはなれた雰囲気で、本物を見たのでは錦帯橋なんて思いつかなかったはずだ。イラストの持つ力の不思議。

「橋が破損しているから」と通行を断わられた篤姫一行が強引に橋を渡ったエピソードも興味深かった。篤姫といえど、当時は女性差別にあっていたのだ。

まったく面白味のない錦帯橋年表にも注目してほしい。書かれている内容は、主に「どこどこの工事をした」というもの。いったん架けると洪水で流されない限りはそのままかと思っていたのだが、架橋以来、かなり頻繁に工事をし続けているのだ。水にぬれて腐蝕しやすい錦帯橋の維持には、こんなに手間ひまかかっていたのか…と先人達を尊敬した。

「錦帯橋を世界文化遺産に」という運動がある。宮田氏は、「橋梁技術で世界文化遺産をめざすことは難しいと思われる。むしろ、技術の伝播と結実の奇跡的な例として錦帯橋を見ると、世界文化遺産の可能性が出てくる」と述べている。世界遺産の登録基準には「建築、科学技術、記念碑、都市計画、景観設計の発展に重要な影響を与えた、ある期間にわたる価値観の交流又はある文化圏内での価値観の交流を示すものである」という項目もある。確かに、錦帯橋は「ある文化圏での価値観の交流」そのものだ。

この本をきっかけに、世界文化遺産への動きが加速すれば幸せである。

著者プロフィール

宮田伊津美  (ミヤタイヅミ)  (

1946 年7月生まれ。広島大学文学部史学科卒。1969 年4月から2005 年3月まで、岩国市立岩国徴古館に学芸員として勤務。途中1年間、岩国市教育委員会、社会教育課文化振興室長。岩国地方の文化・芸術・歴史などの展覧会を行なう傍ら、岩国徴古館の所蔵する資料の整理・保存にあたり、岩国地方の歴史を研究。近隣の市町史等の執筆を分担。日本人の生活・文化を考える中で中国の少数民族に興味を持ち、少数民族の村々を訪ねる旅行を重ね、その中で錦帯橋の技術の伝播も想うようになった。学芸員の仕事をしていて焼物に興味をもつようになり、独学で陶芸を始め、退職後、中国重慶の四川美術学院で短期集中講座を行なう機会を得て、改めて日本の陶芸の豊かさを認識する。著書『岩国の俳句』(2004年9 月12 日岩国徴古館)、市民歴史講座『岩国の歴史』(2020 年8月20 日風霜文庫)。

上記内容は本書刊行時のものです。